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内側の変化

昨日はさっそく宇宙が私に見せてくれた。

アルバイト先でいわゆる
私から見て「優等生」に映る人がいる。

その人はとてもチャキチャキしていて
早く完璧にこなすことを良しとしている。

そんな彼女と昨日は一緒なシフトだった。

私はよくヌケモレをする。
昨日は提供する料理をお盆にセットする担当で
案の定、ドレッシングやソースをお盆に置き忘れてしまった。

それを多分彼女は許せなくて
私を無視したり大きな物音を立てたりと
ムカつくアピールをしてきた。

私はそれがものすごく不快に感じた。

だけどこの感覚、昔にもあった。
というか、過去何度も繰り返してきてる!
そうハッとした。

「ああ、宇宙さん、これね。」

これまでだったら私はそんな人に対して
2パターンで対応していただろう。

まず1パターン目は
「何あいつ!」となってこっちも
「負けるか!!」と戦闘モード。
バッチバチに敵対心を向け
どうしたらこっちも相手を
威嚇できるかばかりに目を向けていた。

2パターン目は
嫌われる恐怖から自分をギュッと閉じ、
何に対しても「ごめんなさい」の姿勢になることだ。

だいたい私は2パターン目を選択してきた。

私が悪い。
私がダメだから。
そうやって心を閉じ、
相手の顔色を伺う。行動を見張る。

そしてその人が誰かと話しているのを見て
私の悪口言ってるのかな?って怯え
周りを疑い、周りも敵だとみなし、
私はひとり 孤立していく…

自分を罪人にして
周りとの関係を切ってきた
自分のパターンだ。

昨日はそう俯瞰して見れた自分がいて
ちょっと嬉しかった。

そして彼女に対しても
反射的に敵意を返すのではなく
なぜだろう?と冷静に分析し、
私の内側はどう言ってる?と
内観することに意識を向けられた。

そのおかげか、
「私は私のままでいよう」と
自分に言ってあげられたし

彼女に対しても、
「生理前かな」みたいに思えた。 

戦いに乗るのではなく
そもそも土俵に上がらないでいられた。

そう出来たのはきっと、
"自分の行動" と "自分の価値" を
結びつけなくなったという
自分の内側の変化の現れなんだと思った。

何があっても私の価値は変わらない。

ただ、彼女の、人を罪人と思わせる態度は
私は好きじゃない。とても悲しかった。傷付いた。

その波動を頼りに
内側をじっくり感じて
これまたお掃除。

過去何十年分の置き去りにしたまま
涙を流している自分に
胸が張り裂けそうだった。

「ああ、この感情を感じたくなかったのね…」

ひとりになる恐怖。

周りに味方が居ない孤独。

不安で足元がグラグラで立つことも許されない。

自分の存在すら許されない。

そんな暗闇の中に私はずっと
自分を閉じ込めていたのだ。

なんてつらかったろう。
なんて怖かったろう。

自分のこれまでを労った。

存在を許されない恐怖は
とてもとても恐ろしくって

それを感じるくらいなら自分を捨てたっていい。

そう思うのも無理はない。

"私はよく頑張った。"
"これまでの私、本当にお疲れ様。"

自然に自分から優しい言葉が
出てくるようになったのも
嬉しい変化かだなと噛み締める。

これからは人に預けていた承認を
自分自身にゆだねる。

私が私の一番の味方でいてあげれば大丈夫。

そして居場所はひとつじゃないし
誰かに決められるものでもない。

いつでも どんなときでも
主導権は私なんだ。

宇宙が見せてくれたギフトのおかげで
またひとつ手放しが出来た。

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