幸福論(頭で理解してても納得いかない時)
先日、私が楽しみにしていた
未来が消えるという悲しい出来事があった。
そこから一旦落ち込んだ。
そしてそこから復活した。
今日は私がどうんな風に
自分と向き合い、
自分の正解を導きだしているのかを
紹介します。
………
具体的に何があったかというと、
大好きな友達に再会できる可能性が無くなった。
という内容。
私は現在オーストラリアのある都市に住んでいて、
その友達は違う国に住んでいる。
元々はすぐに私のいる都市に帰ってくる予定で、
帰ってきたら○○をしよう
○○に行こうと帰りを楽しみにしていた。
今回戻ってこないという決断をしたことに対しては、
本人の人生だし、しょうがない事なので、
そこを責めたり否定する気持ちは全くない。
しかし会えない寂しさや
楽しみが消えてしまった喪失感などから、
気分がめちゃくちゃ下がった。
とくにこの「楽しみが無くなった」
ことが私にとっては大きかった。
なぜなら、私はこの都市から離れたい
気持ちがあったにも関わらず、
友達が帰ってくるなら…
と少しずつこの都市に居座る
気持ちに傾いていたから。
友達が帰ってこないなら、
いよいよこの都市にいる意味が無くなってしまう。
こんな楽しみの無いこの都市に閉じ込められた。
都市を移動するにも犬もいるし
現実問題、簡単じゃない。
家族や他の友達もいる
日本に帰りたい気持ちもあるけど、
それはもっと難関。
こうやってどんどん
自分の現状をマイナスに捉え、
今の生活の価値を下げ、
勝手にどんどんと気持ちを下げた。
もちろん、愛犬との平和な毎日、
職場関係も良好、
他にも友達はいる
今の生活を恵まれていると思い、
これでも幸せを感じてた…
そうやって頭ではわかっていても、
どうしても喪失感に押しつぶされそうになった。
だからまずは、
この【頭では分かっているのに納得できない】
という部分と向き合うことにした。
この友達には今でも会えていない状況で、
ただ未来の予定が変わっただけ。
今の生活から何かが無くなった訳でもないのに、
なぜこんなに悲しいのだろう、
なぜこんなに寂しいのだろう。
そうやって自分に問いかけた。
始めにでてきた答えは、
「楽しみがなくなったから」
「その友達に会えなくて寂しいから」
そんな言葉だった。
でもそんな事とっくにわかってる事。
それでもモヤモヤするのには、
必ずそこに隠れてる気持ちがあるから。
そこで次に考えたのは、
何を考えた時に一番悲しくなるのか?
出てきた答えは、
【この都市に閉じ込められた】
ということ。
この瞬間「これだ!」と思った。
今の自分の周りには、
自分の好きなこと、やりたいことを
一緒に同じフットワークで楽しめる
友達がいない事…
ここに退屈さを感じていたのだ。
友達は他にもいる。
でも同じフットワークで
同じような趣味を楽しめる友達…
となると少し話は変わってくる。
私は離婚前に
自分の好みを押し殺して
結婚生活をしていたことに気付いた。
本来自分が好きだったものを思い出し、
それに没頭していくうちに
自分を取り戻し、離婚が決意できた。
その自分を思い出すきかっけになったのが、
今回の友達との出会いだったのだ。
だから、その本来の自分の【好き】を
大事にしていきたかった。
それをこれからの人生楽しんでいこうと決めた。
でも今の生活だと、
それを一緒に楽しめる友達が近くにいない。
私はそこに一番もどかしさを感じていたのだ。
それがわかった瞬間、
ものすごい勢いで涙があふれた。
大事にしたいものが
大事に出来ない環境で辛いよね。
なかなか気づいてあげられなくてごめんね。
そうやって自分に声かけをし、
出すだけ涙を出し切った。
しばらく泣き続けると、
気分も落ち着き、気持ちが楽になった。
そう…
これが私の私との向き合い方。
モヤモヤの出どころを見つける。
そして自分に共感して謝る。
気分がすっきりして、
初めて前向きに考えられるようになる。
今回の場合は、
今回の友達のように1人で何個も
共通の趣味を楽しめる友達はいなくとも、
各分野で一緒に楽しめる友達はいるし、
一人ででもその趣味を楽しんでたら、
その趣味の場で気の合う友達に出会えるはず。
そうやってやっと思えた。
そう思ったら、
何もないと思ってたこの都市でも、
もう少し頑張れるとも思った。
何でもそう。
思考と心は掛け算なの。
心がマイナスなら、
いくら思考をプラスにしても答えはマイナス。
だから私は心と向き合い、
まずはマイナスをプラスにする。
それが私の幸福論。
…ということで友達募集中です(笑)