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黒田日出男著「龍の棲む日本」を読んだら、世阿弥の発想のもとがわかった気がする

世阿弥の「金島書」の「北山」を読むと、時間と空間の捉え方が広い
天沼矛で潮を掻き回して国生みをする始まりの時からときおこしているし、
見下ろした視界の対角線の端に、淡路島と佐渡島が収まる、まるで天からの眼差しであるように思える

其の初めを惟んみれば、天祖の御譲り、天の浮橋より、光差し下す、矛まの国の、淡路を初めとして、彼れは南海、此れは北海の佐渡の島、胎金両部を具へて、南北に浮む。海上の四涯を護る、七葉の金の蓮の上よりも、浮み出で立つ国として、神の父母とも、此の両島を云とかや。されば、北野の御製にも、彼の海に、金の島の、有るなるを、その名と問へば、佐渡と云也。

世阿弥「金島書、北山」

この視界の広さを地図にしるそう、どうせなら世阿弥の時代のものにと思って行き当たったのが行基図。

『南贍部洲大日本国正統図』(東京大学総合図書館所蔵)  これが行基図


はてさて、行基図って何よ?って調べて行き当たったのが、
黒田日出男著の「龍の棲む日本」でした。
で、その前半を4コマにしてみました
後半には蒙古襲来やら、お諏訪様やら、龍穴やら、鹿島様やら
素敵なことがたくさん出てきますが、
金島書の参考になるのはここまで

史実じゃなく、物語では行基図とは何と思われてきたか、と、その底にある考え方


1コマ目
中世の物語や神話の中では、行基菩薩が日本を遍歴して、田畑の開墾をしたこと、
行基が歩き回ったことで日本ってこんな感じってわかって、
それを行基が地図にしたこと、


2コマ目
中世の吉野から熊野の修験のお話では、役行者と聖徳太子は一体で、その理由は天照大神と役行者は一体だから。東大寺建立において、行基と天照は一体、
ていうふうに、中世では、別々の偉人がいるのではなく、
聖なる何かがあって、それが、時代場面によって個人名を帯びるらしい
だから行基図は、「中世の神仏が描いた日本図」である

3コマ目
今、行基図と、独鈷を並べて見ると、似てる?って疑問に思うけど
ちょっと似ているぐらいの、よく知ってるものを手がかりに
漠然と知ってるものの認識を深めるように誘導するってのは良くやる。

中世の物語「行基菩薩記」では、日本は独鈷の形
独鈷は密教の法具。聖なるもの。
日本国という国土は、独鈷という聖なるものの形であると、いうフィルターをかけると
聖なる系の事を拾い易くなる。
独鈷の2つの剣先には、諏訪明神と住吉さん。
握りの左右がお伊勢さんと気比明神、握りのまん中に山王権現。
あらまあ、あっという間に、あらたかな神さまに囲まれた
日本🟰神国のイメージの出来上がりでした


4コマ目
この重ねる。同体である。という発想は、まだ続きます。
棒状=柱状=独鈷=日本国の形=天沼鉾=天逆鉾=金剛宝剣=伊勢の心の御柱
これをこの本では

すなわち聖なるモノは無数の名前を持っており、等号で結ばれるそれらの名前を通じて聖なるものは同体とされるのである。つまり、どんな聖なる名前も等号で結ばれ、その等号関係を通して自由に他の聖なるモノとなることができるのだ。

龍の棲む日本 黒田日出男

といっている。

世阿弥の『金島書』の「北山」の、海底の大日の金文は、すごいイメージだなと思っていたら、中世神話にある話らしい。
そして、この等号で重ねていく感じ、
人というものが、分かれた粒々として固くあるのではなく、功とか、徳とか、歳月とか、記憶とか、何かしらを積めば、別の存在にするりと変わる、柔らかくあるもの
というのは能の登場人物のあるあるでもある。
人だけじゃない、桜も梅も、柳も芭蕉も人の形で記憶を語る

この『龍の棲む日本』を読んで、
世阿弥の吸っていた時代の空気がそんな発想が当然だったんだなあってわかった。
黒田先生、ありがとうございます。

子供の頃は、植物が主役の能を、なんとも思わず当たり前に見てたけど、
大人になって自腹でシェイクスピアの何かを見た時、ずいぶん叫ぶんだなって思った。
何かが根本的に違う、とも。
違うのの理由の幾分かはこれかも。


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