お能が素晴らしくって、感動の勢いで詞章を検索して読むと アレ?こんなだっけ⁇って思うことが度々ある 謡曲自体読めば素晴らしい。筋書きもその通り。 だけど あの時のお舞台の上では絶対違うことが起こってた。 コレってどういうこと? 言いたいことをわかりやすく伝える目的の文章と違い、お能の詞章は意味が何層にもなっていて意味が何重にも取れる仕組みがあるように見える 「金島書」の「配処」 世阿弥は佐渡島の太田海岸に上陸、 一泊して山越え笠取峠、長谷寺経由で新保の万福寺に泊まる。
空間を区切る。たとえば御神域、茶室、 たとえば今年の奈良博の「空海展」のメイン展示 区切って囲ったものを特別な空間にする。 高台にのぼって、眼下に広がる支配地を見るのが「国見」 土地の名を呼び誉めるのは、国魂への挨拶 世阿弥のように自他の境界が薄くて空間感覚が強い人が 知らない所に流されたら何をしたいか その視点からすれば「金島書」の「若州」「海路」「配所」は 国見、国褒めして自分の空間にしようとしているところではないかとおもわれる 佐渡島の地図に、世阿弥のルートと順徳
『演劇島』のプレリーディングの「金島書」の講座の資料に があって、その補足で、小田先生が「お上が謡が聴きたいと思い「謡いを」の「う」を口にした途端、世阿弥はその場にふさわしい謡をうたいだせた」というお話があった 武術ではこういう技術を「出を取る」と言う。 攻撃の動作を目で見て反応するのと、 攻撃をしようとする意識の起こりに反応するのとでは 何秒か違う 攻撃をしようとする意識の起こりが分かれば相手に攻撃させないこともできる 「出を取る」を技術というからには、技術を磨く方法
前回は、世阿弥が軽技系も上手かったんではないかって話 その上で二条良基が という。 運動神経良くて、ほけほけとして健気な十歳ってどんな子? 二条良基にもらった名前が「藤若」 藤がふさわしいなら涼しい美貌 たおやかな.涼しい気配がする人には細いセンターが通っている事が多い (センターに興味があったら高岡英夫師の「センター、体軸、正中線」を参照) センターがあってインナーマッスルを良く使えている人。 近くで言えば、野球の大谷選手を思い浮かべていただければ、 あの魅力と明るさ、
1374年新熊野神社で観世ー座が興業して、 ものまね芸に田楽、曲舞をとりこんで評判をとったという 今に残る田楽、(YouTube 那智の田楽 和歌山県公式チャンネル) 今に残る曲舞 神楽の曲舞(ひろしま油木神楽【曲舞&猿田彦の舞(事始めの悪魔祓)】油木神楽保存会2022.10.2~第18回帝釈峡スコラ神楽共演大会(YouTube 神楽コレクション) これが室町時代のものと、同じかどうかはわからないけど、 こ観世一座の大きさを考えてみた。 囃子方が4、5人、曲舞
若州、海路という最初の2章 世阿弥7 2才5月4日に京を出て、5月5日に小浜に着く 今でも京都から小浜まで84キロメートル余り 歩いてだと22時間、馬だと1時間10キロとして9時間 この所要時間はGoogle mapの検索だから実際はもっと時間がかかるはず 1日で着いたのはフィクションなのか? ほんとに強行軍したのか 若州では若狭小浜の夏の景色を、瀟湘八景や白楽天を引用してるのが、 日本の田舎の明るい海をハワイ、 日本の涼しい山地をスイスと誉めるのと似てて 海路では、長い
櫻間金記師がお出になるので、2024年11月8日から始まる「演劇島」がとっても楽しみ。 楽しみついでに、演劇島のプロジェクト プレスタディ・リーディング新作戯曲「演劇島」理解のために #4 10月5日、世阿弥「金島書」を読む/に参加した。 雨の中、池袋駅から歩いて、線路を越えたところにある小さな場所で始まった 小田幸子さんのお話と、小田さんと佐藤信さんの対談がとても面白くて贅沢で 聴いてる最中から妄想がはかどるはかどる。 その妄想があんまり頭から消えないので、書いてみること