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「よしや君昔の玉の床とてもかからん後は何にかはせん」という西行の和歌

②から④と崇徳院像が、説話の中で盛られてゆく

讃岐にまうでて、松山の津と申す所に院.おはしましけん御跡尋ねけれど
形もなかりければ
松山の波に流れて来し舟のやがて空しく成にける哉
松山の波の気色は変らじを形なく君はなりましにけり


白峰と申ける所に御墓の侍りけるにまゐりて
よしや君昔の玉の床とてもかからん後には何にかはせん

山家集

西行の「山家集」の①では亡くなった知人のお墓参りの模様。
で、「よしや君」の和歌は無常への感慨、で独り言

そして②では、

松山の波に流れてこし舟のやがて空しくなりにけるかな
西行、夢とも現ともなく御返事申けり
よしや君昔の玉の床とてもかからん後には何にかはせん
かやうに申たりければ.御墓三度迄震動するぞ怖しき

保元物語

このときの西行と崇徳院は気持ちが通っているので「よしや君」の和歌は「どうぞ恨みを捨てて」が匂う
そして③では

今辺州ノカスカナル松山ノ苔下二ウズモレ御座ス事、無常変転ノ世ノ理ヲシルト云ヘドモ、夢ノ心地シテ、哀ニヲボエケルママニ、カクナム
ヨシヤ君昔ノ玉ノ床トテモカカラム後ハナニニカワセン
御返事ニ、カスカニキコヘケル
ハマ千鳥アトハ都ニカヨヘドモ身ハ松山ニ音ヲノミゾ泣ク
コレラノ歌ハ. ヨノツネニ人ノ口ニツケタレドモ、シズカニ詠ズル時ハ、万縁悉クワスレ一心漸クシズマルモノヲヤ

沙石集

西行と崇徳院の会話が成り立って、共感もあって、
この和歌のやり取りを、心静かに吟じる時は
全ての前世の因縁を全て忘れて心がようやく鎮まるものだろうかと、
和歌と成仏がつながってくる


崇徳院像を盛るのは物語🟰言葉
崇徳院像を怨霊に盛ると同時に、救済するのは和歌🟰言葉

で、物語作者といえば「源氏物語」を書いた紫式部。

静嘉堂文庫の「平安文学いとをかし」は、源氏物語オタクがこんなに狂いましたよという展示でもある。
源氏物語で絵巻作ったり書き写したり、2次制作したり、登場人物の家系図作ったり、絵本作ったり、源氏物語の本のための箪笥作ったり。全集持って布団の中で読み耽るの最高!とか

で、紫式部には狂言綺語の罪で地獄に落ちたという話がある。

静嘉堂文庫とは関係ないけど
狂言綺語の罪は書いた人だけじゃなくて読んだ人もで、
地獄に落ちないよう法要しながら、お経読みながら、
でも「源氏物語」を読むのはやめないっていうのもあったそう
源氏供養って名詞があるんだからよっぽどだと思う

で、(薪の神事)で世阿弥は、彼のやってる遊楽(申楽)を仏がご受納されるって書いている。
狂言綺語は己れの罪と世阿弥も思っていただろう。
西行と崇徳院の話は、言葉は救いの入り口であるという話である。

世阿弥は沙石集あたりのバージョンで読んでいたのではと思う。


紫式部の辞世と言われるもの
誰か世に ながらへて見る 書きとめし 跡は消えせぬ 形見なれども

崇徳院の墓の中から詠んだ、また、都に送る五部大乗経の奥書に書き付けた
ハマ千鳥アトハ都ニカヨヘドモ身ハ松山ニ音ヲノミゾ泣ク

金島書の最後世阿弥の歌
これを見ん、のこすこがねの島ちどり、跡もくちせぬ世々のしるしに

まあ単に、千鳥の足跡は文字の例えですって事なんだけど
なんだか、どこか響いているような、いないような…

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