『金島書」を読み始めてみたの2 世阿弥ってどんな身体
1374年新熊野神社で観世ー座が興業して、
ものまね芸に田楽、曲舞をとりこんで評判をとったという
今に残る田楽、(YouTube 那智の田楽 和歌山県公式チャンネル)
今に残る曲舞 神楽の曲舞(ひろしま油木神楽【曲舞&猿田彦の舞(事始めの悪魔祓)】油木神楽保存会2022.10.2~第18回帝釈峡スコラ神楽共演大会(YouTube 神楽コレクション)
これが室町時代のものと、同じかどうかはわからないけど、
こ観世一座の大きさを考えてみた。
囃子方が4、5人、曲舞は1人から2人、田楽は最底4人、見栄えを考えるなら20人、
ものまね芸1人から4人、裏方もいるだろうし、全員が何役も兼ねるなら十数人、
芸ごとのよりあいならば3、40人
旅芸人ならば、十数人の一座じゃないかと。
とすれば10才の鬼夜叉(後の世阿弥)は、ササラもすって飛びはねて、
舞いも舞っていたのではないかな.
そして、現代のモノマネ芸的ダンス(Hypers kids africa YouTube)
世阿弥本人が言ってる「足利きたるによりて劣りたる」って体から発するこういう魅力で喝采を集めちゃったけど、世阿弥は望む方何性と違うんだよなって感じかもと思う
一つづくー
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