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信頼はなぜ裏切られるのか

【衝撃の事実!】

大金を見ただけで、人は嘘つきになる?

心理学の最新知見が明かす、人間の本質と「信頼」の真実。

なぜ、私たちは簡単に嘘をつくのか?

私たちの無意識の心は、常に他人の助けが必要かどうかを監視し、必要がなければ不誠実に振る舞えとささやきます。

本書では、信頼研究第一人者が、従来の常識を覆す科学的な視点から、「信頼」のメカニズムを解き明かします。





信頼は、善対悪ではない

自分の成果を最大限に高める、少なくとも生物学や進化の観点からそうするためには、「短期的な利己主義」と「長期的な忍耐や誠実な態度」のどちらかによって多くの利益が得られるかを検討する必要がある。

目先の衝動に負けず時間をかけて利益を蓄積できれば、結果的に報酬が大きくなる場合が多い。
だが逆に、利益を取って姿をくらました方が、多くの報酬が得られることもある。
価値を判断するとき、お決まりのようにただ直感に頼るのは禁物だ。
理屈と直感の両方から、自分が取るべき行動について納得のいく結論が引き出せるかを検討しよう。


たとえ自覚がなくても、状態や状況によって信頼度は変化する

コストと利益があまり変化しない安定した状況では、信頼度は一貫している。
だが、ひとたび利益の性質が変わると、すべての賭けが白紙に戻る。
しかも私たちは普通、そんなことを予想すらしない。

感情の状態、ストレス、さらには暗示といったちょっとした要因が、意識外で進んでいる計算を大きく変化させ、信頼度の天秤の傾きが変わることがある。
もし、自分は自分自身をつねに信頼できると思っているならば、考え直した方がいい。
他者の信頼度を判断するのと同じ力やメカニズムが、自分の信頼度も判断する。
今この瞬間にお金を使いすぎない、食べ過ぎない、ギャンブルに走らないと自分を信頼することは簡単に思えるかもしれない。
しかし、将来にそんな行動をしないと自分を信頼できるかどうか見極めようとすると、見通しは利かなくなるだろう。


能力のある人を探そう

信頼には、誠実さと能力という二つの面がある。
友人があなたに良いアドバイスをしてくれているつもりでも、その人が必要な技能や知識を持っていなければ、あなたはその人を信頼した末に失敗する。

信頼は「誠実さ」と「能力」で決まる。
つまり、適切なことをする意欲と実力が必要なのだ。


権力と金

客観的には社会経済地位(社会階級)の低い人々には当然、経済力や教育の機会に恵まれてい、ストレスが多いといった特徴がある。
一方、社会階級の高い人々は反対で、経済力に恵まれ、余裕があり、ストレスが少ない。
こうした現実から、あなたは次のように予想するかもしれない。
社会階級の低い人は、自分が生き抜くためのニーズを満たすことに集中し、他者よりも自分のニーズを優先する。
結果的に、彼らは社会階級の高い人よりも「信頼できない」。
一方、社会階級の高い人は、手持ちの資源がたくさんあるので、「他者を信頼する余裕がある」。
だが、もしあなたがこう考えたならば、信頼の実際の働き方について重要な点を見逃している。

信頼は、「独力でやっていけないときに必要となるツール」だ。
言い換えれば、他者を頼らなくてはならない人にとって、生き延びるための手段である。
このような見方をすれば、信頼と社会階級にかんする予想は逆転する。
社会階級の低い人は、「他者の協力に頼らなくてはならない」。
社会階級の高い人は、「他者に頼る必要はなく、お金に頼ればいいのだ」。

研究者たちは社会階級によって、横断歩道前で車を止める違いがあるかの実験を行った。
この結果は驚くべきものだった。
最下層に分類された車種のドライバーは一人残らず車を止め、研究者に横断歩道を渡らせてくれた。
中間層では、ドライバーの約30%が法律を破り、車を止めないで研究者の行く手を遮った。
そして最上層(フェラーリ)では、ドライバーの約50%が法律を無視して自分の都合を優先させた。

要するにこの研究結果からは、社会階級の高い人は、自分の目的を達成するためとあらば、立場の弱い人から寄せられる信頼を無視する可能性がかなり高いということ。
そして、多くの人が、自分があまり信頼できない人間であることをはっきり自覚しているだけでなく、別にそれでいいとも思っているようだ。
というわけで、これらの知見は全体的としては、「社会階級が高い人ほど信頼度が低く、不誠実な振る舞いを容認する」ことを示唆している。

だが信頼には、信頼する場合とされる場合がある。
社会階級が高い人ほど、その人の公平さや誠実さが下がるのは明らかだが、「他者を信頼する意欲」はどうだろう?
もし他者に頼らなくてもいいという感覚が、一種の「自力本願」が信頼にかかわる行動を左右するならば、社会階級が高い人ほど、他者を信頼する意欲は低いと予想されるが、果たして結果は「予想通り」だった。
これらの研究結果は、一見すると単純なメッセージが引き出される。
社会級の高い人、つまり「裕福な人は利己的」だということだ。

だが、これは公平な評価だろうか?
私には、この見方は違うように思える。
信頼度は変動するものであり、たえず更新されている計算から導かれると主張してきた。
過去の振る舞いから将来の振る舞いを予測できるのは、状況があまり変わらない場合だけだ。
よって、社会階級の高い人々が恵まれた環境で育ってきたのは確かだが、彼らの信頼度が平均的に低いのは、それが原因ではない。
原因は、「彼らが今も恵まれた環境で暮らしているから」、すなわち、この瞬間に消費できる資源を依然として持っているからだ。
信頼度を生み出すのは、自分には他者が必要だという感覚である。
言い換えれば、独りでは望む目標を達成できないという感覚なのだ。
この見方から論理的に結果を導き出すと、社会階級の低い人の方が信頼できるのは、「そうでなくてはならない」からだ。

権力の影響は、はるか深いところにも及ぶ。
どんな権力でも、収入や教育の差をあからさまに示すものでなくても、相対的に強まると、人が利己的なレンズを通して世界を眺めるようになる。
研究者はある実験で、人々の権力意識を操作するのは実に容易だと気づいた。
他者よりも影響力の大きな地位を与えるだけでいいのだ。
権力は「他人に厳しく自分に甘い態度、信頼を失う振る舞いを助長したのだ(短期的な利己主義)」。

多くの場合、社会的地位が高いおかげで、社会的責任を果たす場面で成約を受けないように感じる。
他の人々は彼らの指示を聞かなくてはならないので、彼らは通常、「反撃を恐れずに自分の短期的な目標を達成できる」。
つまり、他者を信頼しなくてもよく、他者に指示できるのだ。
だが、こうした統率戦略には、「暴力や恐怖による強制力を何度も行使して地位を維持」しなくてはならないという問題がある。
そのため、有力人物が強制力を失うと、搾取に苦しめられた人々は、しばしば報復しようとする。
この事実を考えると、なぜそもそも権力は、短期的な利益を重視するように心に促すかと疑問に思うだろう。
もし悲惨な結末になる恐れがあるのならば、なぜ心は、人が権力を握ったときに、信頼にかかわる計算を変えるのか?
その答えは、この疑問の鍵は「もし」という言葉にあると気づけばわかる。
権力は「必ず」腐敗するわけではない。
「もし」有力な地位を維持できるのならば、自分の利益を図る振る舞いは、生き残りや成功を大いに助ける。
だが、「強制力に頼らず」に権力や指導的地位を得る道もある。
それは、報復という高いリスクを負わずに成功する方法だ。
権力の増大とともに芽生える、「目先のとらわれた自分勝手な衝動に抗える人もいないわけではなく、彼らはあまり重圧や辛辣な批判を受けずに」自分の地位を長く維持する。
そのような人々は、「名誉や公平さ、信頼を保とうと努める情け深い」リーダーだ。
とはいえ、情け深いリーダーを務めるのは難しいかもしれない。
なぜなら、多くの場合、短期的な報酬の最大化を諦めなくてはならないからだ。
もし、上位1%に入っている人や有力者が、本当に公平かつ公正に振舞っているのならば、その人は突出した利益を得てはいないだろう。
それでも、「特権的な地位からもたらされる長期的な安定や利益」が、「短期的な利益を上回る」のだ。
とすると、権力を得たときに成果を最大限にする秘訣は、「権力がどんな形で自分に影響するかを理解すること」だ。
基本的には、「心は短期的な利益を嗅ぎ取って不誠実な振る舞いを助長しうる」が、「それを受け入れなくてはならないというわけではない」。
このことを知れば、権力に伴う問題にきちんと対処できる。


『まとめ』

人を「信頼」しなければならない場合には、一つの根本的な現実がついて回る。
それは、「危険」を冒すことになるということだ。
誰でも、思い通りに自分のニーズを満たしたり望ましい結果を得たりすることができる訳ではない。
あなたの幸せはえてして、他者が協力してくれるかどうかにかかっている。
なぜ私たちはリスクを冒すのか?
一言で言えば、「そうするしかないから」だ。
他者を信頼することで得られそうな「恩恵」が、被りそうな「損失」より「平均」すると「かなり上回る」のだ。
人間社会の複雑さや資源、技術の進歩、社会的ネットワーク、急拡大する経済資源は増す一方で、そのどれもが信頼や協力で成り立っている。
だから私たちは信頼する。
単純明快だ。


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