私が生まれ育った環境。
私は田舎の畜産農家の家で牛と生き物たちと、大自然に囲まれて育った。
家の周りは四方を山に囲まれていて、車通りの多い道路も近くにはなく、隣近所も祖父母宅以外は視界に入る範囲にはない。
友人が私の家に遊びに来た時、"もののけの森"と言っていた。
裏山は私たちの遊び場で、よく探検にいった。
猿やイノシシ、鹿に遭遇することはまれだが、それでも、麓まで下りてくることはあったので、常に危険はつきものだった。
動物だけではない。蛇や蜂等の危険な生き物も少なからずいるし、どちらかというと、そういう者にはしょっちゅう出くわして、刺されたりもした。
木の棒を短剣替わりに、紐(ひも)で木の棒を体に括り付けたりして、探検家になって遊んだ。
ドキドキしながら、山の中を探索していく。
新しい王国でも見つけてしまいそうな気分で、自然と、わずかな里後の痕跡しかない山の中を勇者のように、物語の主人公になりきって、突き進んだ。
山遊びの中では、全身の感覚が研ぎ澄まされる。
山の中では、見えないものたちの気配をよく感じていた。
「何かそこにいる気がする」
気を付けながら、気配に集中しながら緑の中に目を凝らす。たいてい何も見つけられられないか、木々の揺れを目にする。
カサカサというかすかな音と不自然な木々の小さな揺れが、「やっぱり何かそこにいた」事に確信を持たせる。
それだけで私たちは、ワクワクするし、ドキドキする。
未知への遭遇と危険と隣り合わせの状態の中で、楽しさと少しの不安が興奮となって心を満たす。
そうやって裏山の自然の中で、五感を研ぎ澄ましてきた。私が最後に子どもたちだけで裏山に入ったのは、おそらく中学生の頃までだったと思う。
感性の研ぎ澄まされる、成長の著しい時期に、私は自然の中で人間の本能的な本質的な部分を特に成長させた。
今は地方の小さな都会の中で毎朝、車の音を聞いて目が覚める。
都会の喧騒とか言うほどのものではないかもしれないけど、自然の音の中で目覚めていた私には、はじめはかなりうるさく感じた。
それだけでストレスを感じるほどに。
ある程度は慣れるもので、今はあまり気にならない事も多い。
それでも、週末になると自然のある場所を求めて車を走らせたり、登山をしたりする。
私の心と体は、いつも自然を求めている。将来はまた自然の中で、ゆっくりと穏やかな時間を過ごそうと決めている。
未だに自然の中に身を置くと、自分がその一部になったような感覚になる。
それは五感が満たされる感覚。心地のよさ。私も自然の一部だと感じられる安心感。癒し。
それは、心と体が安定するような、生きている感覚。
生まれ育った環境にも影響されてか、私は本能的に今も自然に魅了されている。