私のどん底メンタルを回復させたのは、大っ嫌いだった運動だった!
私はもともと、不眠傾向や不安が強く神経質な気質もあり、気分の変動が大きい方でした。頭痛や胃痛、食欲不振や過食等、病院に行くほどではない心身の不調を起こすことも頻繁でした。
幼少期から自然に親しみ、登山歴もありましたが、運動は大の苦手で、ダンスや体操含め、体を動かすことは嫌いでした。
特に学校の中では優劣が目に付くため、運動に対して苦手意識を持っていました。今思うと、人目に付く中での競技としての運動が嫌いだったということだと思います。
また、小学生のころから疲れやすさを感じていて、めまいや頭痛を含め体がだるく、親に、「あなたはウドの大木(体だけ大きくて立派だが、なんの役にもたたないもののこと)」と言われるほど動くのが面倒で、すきあらば横になりゴロゴロしていました。
私自身、「重力に勝てない」というのが口癖なほど、座っているのも大変だったのを覚えているし、休みの日は夕方まで寝ていることもありました。
そして、心の面でも、私は感受性が強すぎる(豊かと言われたことも)と言われたことがあったり、小さな物音にも神経質になり眠れなかったり、お友達や大人たちの言動に一喜一憂しやすい側面もあり、気疲れをしやすい性格でした。
また、右耳の難聴も影響してか、お友達とのコミュニケーションがうまく取れず、"大人しい、いい子"という認識が大人たちの間ではあったものの、友人関係では、話さないつまらない子、反応がにぶい子、何をしても何も言い返さない等で、嫌な思いをしてしまうこともありました。
貧血や低血圧等、右耳の難聴等の身体的な不調の影響と、気にしすぎる繊細な性格、その他にも家庭環境など様々な要因が相まって、疲れやすく、飽きっぽく、落ち込みやすい、すぐに自己否定に沼る、頑張れない子になってしまっていました。
時は進んで、社会人になり、なんとなく、健康のために週に1、2回程度のジム通いと、ウォーキングはしていましたが、相変わらず運動は嫌いで、私が関わるものではないと思っていました。
そんな25歳の頃、職場で仲良くなった一つ上の先輩とフルマラソンを走ることになりました。彼女は元陸上部です。
大会前日。
「無理しなくていいんだよ。途中でやめてもいいんだからね、挑戦したことに意味があるんだから」
走る前から、走れない前提で(おそらくプレッシャーにならないように)声をかけてくださった方もいました。
周囲の人も私自身も、まさか私が42.195㎞を走り切れるなんて思ってもいませんでした。
42.195km走りきった。
それは私の中で一つ、確実な自信になりました。それ以降フルマラソンに2回完走しています。ちなみに5大会程出ていますが、2回は半分前後の距離で途中棄権しています。タイムは7時間半以上から8時間ですが、私にとっては完走できた事の方が価値がありました。
最後にフルマラソンを完走したのは1年半前の1月、最初にフルマラソンに誘ってくださった先輩を、今度は私が誘って、2人でほぼ同タイムでゴールしていますが、私の人生に転機をくださった先輩と、時を超えてまた走れたことが何よりも嬉しかったです。
フルマラソンに最初に参加して以降、私は運動が嫌いから、"運動は苦手だけど好き"、という認識に変わりました。また、できるかできないかの基準も、速く走ることはできない。けれど、42.195㎞制限時間内になんとか完走はできるという認識の仕方があることもわかりました。
別に運動が苦手でも、運動を好きでいい。一つの運動をとっても、マラソンみたいに、うまくできる部分、好きになるポイントは人それぞれ。
だって、そんな距離一生走ることもない人だっているんです。そう考えたら、フルマラソンを走ろうと思うそれだけで、すごい気もするし、興味ない人からしたら、本当にどうでもいい事。
大人になったら、学校の中よりはるかに広い範囲の、多くの基準があります。そしてそれを自分で見つけて、自分で選ぶことができる。
そう思うと、人と比べることって本当に無意味だなと感じます。
人からも自分でも、運動嫌い(下手)という評価や認識は、小さい頃の私に、「私はダメ人間」のレッテルを張りました。特に学校という枠の中では、スポーツができることは、勉強ができることよりも、なぜか重要なポイントだったように私は感じていました。
私は勉強も得意ではありませんでした。好きなことは絵を描く事と本を読むこと。外の世界が怖くて、空想の世界に閉じこもっているような子どもでもありました。
だけど、フルマラソンを完走したあの頃から、少しづつ私の心、そして体や姿勢さえも変わっていきました。
ゴールするまで走り続ければ、ゴールするんだ。達成するまでやり続ける事で成果は手に入ることを実感しました。これは別に、完走していないときでも似たようなものです。今の私の現状は22キロまでは走れた、という成果が、フルマラソンを走った結果として得られます。
行動すること、できるかどうかはわからないけれど、やってみること。そして、他人の事前評価を覆(くつがえ)すことすらあること。そして一緒に行動したり、応援してくれる人に本当に助けられること。
私の場合はフルマラソンが、自分の人生の一つの転機としてありました。
そしてここからますます、私は運動に目覚めていき、運動に助けられていきます。
そして気づきます。
どうして、自分の人生がうまくいかないのか。そこには、日常の中での習慣的な心と体の使い方と体力に課題がある。そしてその解決方法の1つが運動だと気づきました。
体の健康だけではなく、心の健康にこそ運動が必要だ。
そう思い、コロナ渦で深くメンタルが落ち込んだのを機に、本格的に週末の登山やSUP(マリンスポーツ)、日ごろの筋トレ、ウォーキング、ピラティス等を実践し始めました。
その後の2022年、アンデシュ・ハンセンさんの「運動悩」という本に出合います。
その本の中には、私が普段の運動や登山で気づきはじめ感じていた、心と体のつながりについて明確に分かりやすく書かれていました。
心とは脳という体の機能の一部で、メンタル不調は根性論ではなく、身体反応としての側面で捉えれば、機能改善のような形での改善方法があるという体感に確信を持ち始めました。
運動と生活習慣の改善、そして心理学の活用により、メンタル面だけでなく、頭痛や貧血症状、低血圧や便秘等もほぼ改善させることができています。
そして、私はこの自分自身の実体験と「運動悩」からの知識を手に、自分自身はもちろん、たくさんの人が、自分の心と体を心地よく感じ、自分の力で快適に自由にコントロールし、希望を持って行きたいところに向かって前に進んでいける、自分史上最適な自分になれるセルフケアをお届けすることを仕事にしたいと日々探求しています。