感情に手向ける、祝福としての観念
なにも間違ったことをしていない、と冷静な心地で理解していても、じっさいに動き出そうとすると重たく感じてしまうのは、これまでの経験や――それこそ魂や体に染みついた、自らを成すための辞書のせいなのだ。
わたしはさいきん、そのこれまで連綿と綴ってきた「〇〇とは〇〇である」の大規模な刷新をしている。その過程で、なんども重たいため息をついては、いっそ内臓が口から飛び出してしまうんじゃないかとひやひやしながら、これからを生きていくための心地よい観念を繋いで編んで最適化している。
大衆