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結婚できないふたりのお話
6月5日に放映されていた、NHKのドキュメンタリー番組「ETV特集 夫婦別姓〝結婚〟できないふたりの取材日記」を観た。
〝結婚できないふたり〟と聞いて、私がイメージしたのはふたつ。
ひとつめは〝同性愛〟の方だった。
2020年(令和2年)4月1日現在、日本国内において同性結婚は法的に認められていない。G7(フランス、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ)のうち、同性結婚もシビル・ユニオン(※1)も法制化されていない国は日本のみである。
(※1)シビル・ユニオン(英語: civil union)またはシビル・パートナーシップ(英語: civil partnership)は、結婚に似た「法的に承認されたパートナーシップ関係」を指す言葉。
(Wikipediaより)
そしてふたつめ。
それは無戸籍の方。
しかしこの番組のテーマは違うものであった。
2年半にわたる取材日記を〝自撮り動画〟で続けたあるカップルのお話。
見終わってから思うところが色々あり、今回この内容をまとめながら、自分の考えも残したいと思う。
ある夫婦の想い
高橋さん・神野さんご夫婦。
高橋さんは男性、神野さんは女性。
2018年7月に高橋さんが神野さんにプロポーズ、神野さんは快諾。
しかし、神野さんは〝高橋姓〟にはなりたくないと打ち明けた。
その理由とは…。
神野さんは自身が12歳の時にご両親が離婚。
それまでの名字が〝高橋〟だった。
その当時のことを彼女は話したがらない。
ただ前の名字に戻ると、名前を呼ばれる度に、思い出したくない過去を思い出してしまう。
それに両親の離婚後、〝神野〟として生きてきたので、そのアイデンティティを失いたくない。
それが彼女の〝姓を変えたくない〟理由であった。
私の話をすると、私の場合、離婚した時に子供達が私の旧姓に変わることにより学校で嫌な思いをするのではと、別れた旦那の姓をそのまま使わせてもらった。
母親の私だけが旧姓に戻るのも子供達に何かと迷惑をかけてしまうのではと思い、旦那に了承を得て、必要な手続きをし、子供達も私も名前が変わることはなかった。
姓を変えたくない理由は状況により様々。
彼女の気持ちは痛いほどよく分かる。
ご両親の猛反対
彼女の意思を尊重し、高橋さんは〝神野〟の姓で結婚することを決意する。
しかし、高橋さんのご両親は猛反対。
結婚式も出ないし、生まれてくる孫の面倒も見ない、親子の縁も切るとまで言われたという。
昔の人(言い方が悪いかも知れないけど)からすると、息子が嫁のほうの姓を名乗るということは、やはりひとつ返事ではいかないものであろう。
私の場合少し形は違っていたが、私の母は、私が離婚を決めた時、もちろん旧姓に戻るものと思っていたらしい。
しかし私は誰にも相談せずに、というより相談する必要性もなく初めからそう心に決めていたので、旧姓に戻らないという決断をした。
そのことを母は不快に思っていたかも知れない。
でも私がどちらの姓を名乗ったとしても、娘であることは変わりなく、先祖のお墓もちゃんと見ていくつもりだった。
しかし、高橋家の場合は深刻であった。
父親は断固反対。
なぜ妻が夫の姓に入らないのか、理解できないと話す。
母親も同じであった。
息子へ送ったメールには、ふたりには会いたくないとの文字がそこにはあった。
事実婚へ
親の反対を押し切ってまで…と考えた高橋さん。
2019年7月、婚姻届は出せないふたりであったが、〝事実婚〟として、住民票で世帯をひとつにまとめた。
婚姻届には『婚姻後の夫婦の氏』という欄があり、〝夫の氏〟〝妻の氏〟どちらかを選ばなければならない。
そのどちらも選べないふたりは、法律上〝夫婦〟と認められないのだ。
事実婚(じじつこん)とは、婚姻事実関係一般を意味する概念。
「事実婚」の概念は多義的に用いられ、婚姻の成立方式としての「事実婚」は「無式婚」ともいい要式婚(形式婚)と対置される概念であるが、通常、日本では「事実婚」は法律婚(届出婚)に対する概念として用いられている。
したがって、事実婚は広義には「内縁」の同義語・類義語としても用いられるが、講学上において「事実婚」という概念を用いる場合には、特に当事者間の主体的・意図的な選択によって婚姻届を出さないまま共同生活を営む場合を指すとし、届出を出すことができないような社会的要因がある場合をも含む「内縁」とは異なる概念として区別されて用いられることが多い。
この点を強調して「選択的事実婚」あるいは「自発的内縁」などと呼ばれることもある。
(Wikipediaより)
私の〝事実婚〟のイメージは、お互い籍を入れたくない者同士が夫婦として共に生活をする=「選択的事実婚」であった。
しかし高橋さん・神野さんご夫婦のように、届出を出したくても出せない場合の〝事実婚〟もあるということを、今回初めて知った。
さらにお恥ずかしいことに〝夫婦別姓〟で婚姻届が出せないということも、実は知らなかったのだ。
氏の歴史
そこで高橋さん・神野さんご夫婦は、〝氏〟の歴史について調べだした。
江戸時代まで、女性は結婚しても、慣習的に実家の氏を名乗っていた。
明治時代にはいり、明治3年(1870年)、庶民も姓の使用が許されるようになった。
明治31年(1898年)民法が制定され〝家制度〟が誕生。
〝家制度〟では代表者である戸主に絶対的な権限が与えられた。
家族は戸主の同意がないと結婚できない。
また家族全員が家の氏、同じ姓を名乗ることが法律で決められた。
実質的な夫婦同姓の始まりである。
(当番組ナレーションより)
「明治時代に決められたことが、その後120年以上も変わらず、なぜ私達が〝夫婦別姓〟で結婚できないのか納得できない」
ふたりはそう話す。
そして、家族法の専門家である方の元を訪れた。
家制度とは
その専門家が分かりやすく説明。
明治維新で新しい国家ができたが、天皇のことを国民全てが知っている訳ではない。
テレビもラジオもない時代。天皇がどんな人かも分からない。
その時に考えたのが、戸主と家族の関係と、天皇と国民の関係、これらをなぞらえるということ。
〝国〟ではなく敢えて〝国家〟と呼ぶのは、〝家族的国家観〟からきている。
そういうパーソナリティを教育を通して浸透させていくのだが、その支えになったのが〝家制度〟なのだ。
しかし戦後、新しい民法を作る上で〝家制度〟は廃止。
国会の中から、それでは家族の秩序が乱れ、社会が混乱すると、心配の声が上がった。
当時法案作りに関わった人々は、こう説得したという。
制度としての家は廃止するが、現実の家族共同生活まで廃止する訳ではない。
家族共同生活をする人は氏を同じくしている。
だから夫婦は同じ氏を名乗り、親子は同じ氏を名乗るのである。
なので〝家制度〟がなくなってもなんの心配もない。
しかし結果として、夫または妻の姓を選ぶことが出来るようになったものの、夫婦が同じ姓でないと結婚出来ない決まりは変わらない。
一方、世界では1970年代以降、夫婦別姓を選べる制度を導入する国が相次いだ。
法務省によると、把握している限りでは今、夫婦同姓の制度を採用している国は、日本以外ないとのこと。
なんてことだ。
日本だけなのだ。
裁判と子供の姓
そんな中、夫婦同姓義務は違憲だと訴える裁判が、2015年12月最高裁で争われた。
しかし、家族の呼称をひとつにするのは合理性があるとして、原告の訴えは退けられた。
最高裁の判決から3年後、事実婚夫婦たちが再び裁判を起こしている。
2019年11月、高橋さん・神野さんご夫婦はその裁判を傍聴しに行った。
その後に行われた報告集会の中で、ひとりの女性が自身のお子さんについて語った。
その女性の小学生のお子さんが「ママの名前をフルネームで言うと、『なぜお母さんと違うの?』と友達に言われる。毎回同じことを聞かれるので、説明するのに疲れる」と話したという。
その話を聞いて高橋さんは、少数派である事実婚を選んだことにより、将来子供が産まれた時に、その子が嫌な思いをするのではないかという不安が生まれたという。
親としてどう向き合っていけばいいのか。
高橋さん・神野さんご夫婦は、報告集会の中で話された女性のご家族の元を訪ねる。
娘さんはご主人と同じ姓、奥さんは別姓である。
ご主人はこう答えた。
正しいのかどうかは分からないが、このような中で暮らしていて、この考えを娘が理解してくれていたとしたら、それによって娘自身も学べることは大きいと思っている。
たとえ社会との軋轢があったとしても、それよりももっと遥かに大事なことを学べると信じている。
社会は多様な人で出来上がっているというのを実感して、その中に身を置いて、社会は寛容性がなければいけないんだということを知ってもらうためには、この別姓の元に生まれて生きていくのは意味があると思っている。
夫婦同姓と別姓を選べるよう法整備を進めていく際、子供の姓をどう決めるかは避けて通れない議論である。
世界で夫婦別姓を選べる国では、生まれた時に夫婦が相談して子供の姓を決めるのがほとんど。
両親の名字を合わせた複合姓を選べる国もある(フランス・イタリアなど)。
国会議員との交流
その後高橋さん・神野さんご夫婦は、別姓でも結婚できる選択肢を増やしてもらうため、国会議員に直接訴える仲間達と出会う。
結婚で名字を変えると積み上げてきたキャリアが途絶えてしまう。
再婚によって子供の名字が再び変わることを避けたい。
別姓でいたい事情は皆んなそれぞれ。
2020年2月、仲間達と与野党の議員が集まった勉強会にふたりは参加。
テーマは〝選択的夫婦別姓制度〟。
事実婚では、子供の共同親権を持てない。
パートナーは相続人になれない。
所得税の配偶者控除が受けられない。
など、厳しい現実に直面。
「私達が望んでいるのは、別姓でも結婚できる選択肢を増やして欲しいということ。
決して日本人全員が別姓になることを望んでいる訳ではない」
高橋さんはそう語る。
参加されていた国家議員のほとんどが、それに賛同しているように取れるコメントを残している。
法制審議会
〝選択的夫婦別姓制度〟の法制化の気運が高まったのは今に始まった事ではない。
1996年、法務省の法制審議会が〝選択的夫婦別姓制度〟の導入を視野に入れた民法改正案を作成。
しかし、家族の絆が薄れる恐れがあるなどとして当時の与党自民党が反対し、法案は成立しなかった。
それから20年以上が経過。
自民党内でも結婚時の夫婦の名字について議論を進めていこうという動きが出てきた。
2020年3月、高橋さん・神野さんご夫婦は、事実婚の当事者として話をして欲しいと、自民党本部に招かれた。
当時、党の幹事長代行だった稲田議員。
『女性議員飛躍の会』という議員連盟の共同代表として勉強会を開いたのだ。
『事実婚と言うと女性がわがままだとか頑固だとか、そんな風に見られる時点でフェアでない、公平でない。それは私が変えていかないといけないと思う。』と稲田議員が言っていたのは、本当にそのとおりだと思うと神野さんは話す。
自民党内でも幹事長代行というポジションでいた稲田議員がそう言ってくれたことは、希望が見えてきたしとても心強いとふたりは目を輝かせた。
万が一の時のために
2020年6月、事実婚を始めて1年、両親にその話を最初にしてから2年が過ぎた。
高橋さんは再度両親に気持ちを確認。
父親の気持ちは2年前と変わらなかった。
自分達自身も核家族になったことで、家族の関係性が希薄になったと後悔しており、夫婦の名字がバラバラになると、さらに家族の絆が壊れるのでないかと危惧しているという。
一方母親の気持ちには変化が。
あなたが変わらなければそれでも構わないと。
2020年7月、コロナの状況も深刻に。
事実婚夫婦だと、病院によっては手術の同意のサインが出来ない。
そのため万が一の時は法律で認められた夫婦になろう。
ふたりはそう決断し、婚姻届に記入。
名字を選択する欄は空白のままで。
その時コロナに感染していない方の名字にチェックを入れて提出しようとふたりは決めた。
2020年9月、菅政権が誕生。
〝選択的夫婦別姓制度〟について、国会の論戦でも導入の気運が高まるようなやり取りに。
ふたりは大きな期待感を持った。
世論も変化しつつあった。
大学の調査によると、他の夫婦が同姓でも別姓でも構わないと答えた人が、合わせて71%にも登ったのだ。
同じ頃、内閣府は〝選択的夫婦別姓制度〟について必要な対応を進めるとする〝男女共同参画基本計画〟の案を菅総理大臣に提出。
しかし、自民党内で慎重論が出たことから、最終的には夫婦の氏に関する具体的な制度について『さらなる検討を進める』という表現になった。
驚いた亀井氏の発言
永田町での反対意見はなぜ根強いのか、議員在職中〝選択的夫婦別姓制度〟に反対した人物に、ふたりは取材を申し込んだ。
その人物とは、1996年、選択的夫婦別姓導入の法案に当時自民党議員として強く反対、2010年、民主党政権の時にも閣僚のひとりとして反対した、亀井静香・元衆議院議員。
亀井氏はこう切り出した。
「ややこしい。
ややこしいんだね、あんたたち。
あんた達は愛し合ってるのなら、心も体も一緒。姓も一緒でないと」
妻の神野さんが、
「なぜ夫婦同姓じゃないと結婚が認められないのでしょうか」
と尋ねる。
「それはね、国家の都合。
ひとりのわがままに合わせていたら国家は困っちゃうんじゃないかなあ。
1億人以上いるから付き合ってられない。
そこまでやるなら結婚しなければいいじゃないか。
簡単じゃないか。
国家の恩恵を受けたいなら、国家のルールに妥協しないと生きていけないだろう。
国家の保護を求めながら国家に対して一切協力しないというのは得手勝手って言うんだよ!
あなた方のために国民がいる訳じゃないんだよ!」
私は度肝を抜かれた。
昔からこの方のことは存じ上げていたが、はっきり言って『やばい人』だと思った。
それに対し、高橋さんは落ち着いた態度で、
「個人個人の思いを尊重できる日本になれるのか、こういう家族にしなさいと、ひとつの家族の形しか認めない社会になるのか、理想としてはどちらだと思われますか?」
と質問。
それに対し亀井氏は
「日本はなぁ、天皇の国だよ。
民が『夫婦が姓が一緒だ、別だ』と言うこともない。
みんな天皇の子だから一緒なんだよ。
身も心もあなたにあげる、という気持ちでないと。
あなたは(高橋さんのこと)心から愛されてない(神野さんに)んだよ。間違いない。
やっぱり『やばい人』だ。
ふたりを指差しながら、あなたはあなたに愛されていない、間違いない、と断言。
それに対しふたりは『そんなことはない』と反論したが、私が関心したのは、ふたりが最後まで笑顔を絶やさなかったということ。
亀井氏は最後にこう言った。
「頑張りなさい。
そのうち赤ちゃんでも出来たら見せにきなさいよ」
はい?おかしくないですか?
と大人気ない私とは裏腹に、ふたりは笑顔で『是非是非』と答えていた。
取材を終えて特に高橋さんは憔悴しきった様子。
たった一言だけ、『根深さを痛感した』と話した。
この内容は、朝日新聞デジタル版でも取り上げられていた。
「みんな天皇の子だから一緒」
いったいいつの時代の言葉だ。
今は令和。戦後何年経っている。
高橋さんは、
「個人をたたくのが本意ではない。異なる意見が理解できなくても、いがみ合うのではなく、同じテーブルでそれぞれの意見にしっかりと耳を傾けることの大切さを伝えたい」
と話したという。
立派である。
最後に
2021年元日。
神野さんが初めて高橋さんの実家へ行き、話をする予定であったが、コロナの感染者が大幅に増加し、急遽中止に。
高橋さんの母親は理解を示していたが、父親の考えは変わらない。
一緒に食べる予定であったお節料理を、高橋さんが母親から受け取るところで、取材日記は終了。
18年前私がそうであったように、離婚したにも関わらずそのままの姓を名乗ることは許されたのに、なぜ結婚する時はそのままの姓を使うことが出来ないのか…。
同性結婚も夫婦別姓制度も、法的に認められていないのは日本だけ。
私は姓にはこだわらない。
子供達がどんな姓を名乗ったとしても、家族は家族だ。
誰が何と言おうと、そこだけは変わらない。
私が印象的だったのは、妻の神野さんのこの言葉。
「何がゴールか分からない。
法制化されたとしても、お父さんが許してくれないうちはなにも変わらないのでは…」
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