ストレス溜めずに愛を溜めよう
ふと気が付けば丸5年たっていた。
乳がんと診断がついて「5年」。
ひとまず再発・転移なく、一区切りついたかな?
とは言え、治療はまだまだ続くのだけれど…。
『とりあえず10年は続けましょう』
そう言われて始まったホルモン治療。
その時は「10年って…」と、
その長い年月に途方に暮れたものだが、気が付けば半分をなんとかクリアしたわけで。
しかしながら、乳がんという病気は、“いつまでも再発するがん”と言われており、まだまだ安心はできないんだけどね。
2021年10月に書いたこちらの記事。
いろんな記事を読み漁り書いたもの。
最後は自分でこう綴っている。
うん、そのとおりだね。
自分の言葉に改めて納得。
そして、、。
自分の病歴はスマホのメモに残しているけど、万が一データが飛んでしまった時のために、ここに記しておこうと、ふと思い付いた。
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○2018年11月初旬
51歳
勤務先の乳ガン検診にて、要精査との結果
乳腺外科受診
針生検施行
○2018年11月下旬
右乳房上内側部乳癌と告知される
がん細胞が乳頭に近い場所にあり、全摘を余儀なくされる
全摘後、乳房再建する方向で決意
○2019年2月
52歳
右乳房上内側部乳癌に対して、右乳房全摘術 + 同時再建術1期施行
手術中に、センチネルリンパ節生検施行
再建術は、いくつかある方法の中で、広背筋皮弁法を選択
エキスパンダーと呼ばれる組織拡張器を大胸筋の下側に挿入
半年間かけて生理食塩水を注入、拡張し皮膚を伸ばす
ドレーンが外せず、22日間入院
○2019年3月
病理結果がわかる
術中センチネルリンパ節生検にて、リンパ節には転移認めずステージIとなる
しかし、
①組織学的分類では、グレード「2」
②核分類では、グレード「3」との診断がつく
本来なら化学療法/抗ガン剤開始(3ヶ月〜半年点滴、初回は入院)を考慮すべきだが、
エキスパンダーが入ってることでリスクあり
内分泌療法/ホルモン療法を5年〜10年継続か?
外科の主治医から、形成外科の主治医と腫瘍外来の担当医に相談する、との説明あり
そして治療方針決定
内分泌療法=ホルモン剤服用で決定
化学療法=抗ガン剤治療の、再発を抑えられるメリットと、エキスパンダーを入れてることの感染のリスク+副作用のデメリットを考えた時、デメリットのほうが大きいのではという判断に至った、とのこと
最低でも5年、もしくは10年は飲み続ける方針
副作用もゼロではない
骨ももろくなる、太りやすくなるとの説明あり
○2019年4月
仕事復帰
体力低下を実感
内分泌療法開始
レトロゾール錠 2.5mg 1T 朝食後に服用
○2019年8月
右乳房再建術2期施行
エキスパンダー抜去
広背筋移植
腹部の脂肪を吸引、移植
またドレーンがなかなか外せず、 17日間入院
退院後も高熱などの体調不良あり
○2019年10月
仕事復帰
体力低下を感じる反面、職務がどんどんハードに
パワハラもどんどんエスカレート
○2019年11月
さらに体調不良続くが、上司に理解してもらえず
○2019年12月
循環器内科、呼吸器内科にて精密検査するも異常なし
ホルモン剤の副作用も考えにくいとのこと
○2020年1月
主治医に勧められ、精神科受診
その日に適応障害と診断される
正式病名は「混合性不安抑うつ障害」
職場環境改善命令
○2020年2月
53歳
産業医をとおし、担当部署について上司と面談するも、そこでの対応にも不信感抱く
骨粗鬆症発症
レトロゾールからフェアストン40mg 1T 朝食後に変更
骨粗鬆症に関しては、検査継続し要観察とする
○2020年3月
症状頻繁に出現
精神科主治医より、新たなストレスに耐えられるだけの余裕がないとの判断
休職を勧められる
産業医より上司に対し休職命令出る
右腕後遺症あり、リハビリ開始
○2020年8月
53歳
乳頭再建術施行
麻酔科管理での局麻鎮静にて
いくつかある方法の中で、乳頭皮弁形成術、および乳輪左大腿内側鼠径部植皮術を選択、施行
3日間入院
○2020年9月
復職するに至らず
長期欠勤期間満了にて退職となる
○2020年10月
ホルモン療法、トレミフェン(フェアストンの後発品)40mgに変更
腫れている傷跡数ヶ所にドレニゾンテープ開始
24時間毎に貼り替え
○2021年11月
54歳
退職後、症状も少しずつ軽減
精神科終診となる
○2022年6月
55歳
左肋骨骨折
骨粗鬆症治療開始となる
①ミノドロン酸錠50mg 1日1回 1T起床時、4週毎に内服
②エルデカルシトールカプセル0.75μg 1日1回1C 朝食後、毎日服用
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ザッと書いたらこんな感じ。
改めて今気付いたのだが、元号が平成から令和へちょうど移り変わった時(2019〜2020年)に、私のカラダとココロにも様々なことが起こり変化。
まさかの乳がんのあとに、まさかの適応障害。
入職した時からパワハラの被害にあっていたのだが、そんなことに負けてたまるかと、歯を食いしばって頑張ってきた。
その頑張りが自らを壊してしまった。
人と関わる仕事が大好きだった私が、人と関われなくなった。
些細なことにイライラし、高齢の母を怒鳴り、泣かせ、最悪な日々を過ごした。
こんなはずじゃなかった。
私の未来にこんなことが起こるはずではなかった。
今まで苦労しっぱなしだったのに、なんで?なんでなの?
そして『死』というものを意識し始めた。
乳がんで悲しい姉の最期を見た私が、まさかの同じ病気に。
そして天職だと信じて疑いもしなかった仕事を辞めた。
これが運命なのかと、しばらく何も手に付かなかった。
そしてそんな時、ここ note という場所に巡り会う。
2020年12月に書き始めた note。
子供たち3人に自分の生き様を残したい。
そんなふうに思ったとたん、書くことを止めることができなかった。
どんな幼少期を過ごしてきたのか、なぜ離婚に至ったのか。
母への想い、そして子供たちへの愛。
全て、ひとつ残さず書き記したかった。
いつ何が起きてもいいように、心の準備をしたかったのだ。
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私は note に救われた。
書くことで、自分の想いを吐き出し、読むことで、色んな人がもがきながらも生きているという事を知り、私だけじゃないんだと思うことができた。
カラダもココロも一気に壊れた私は、元通りというわけにはいかないけれど、それでも元気に今日を生きている。
婚活しようなんて気持ちにまでなれたのだから、それはもう元気と呼ぶしかないよね。笑
2023年8月にはこんな記事も書いている。
読み返すと、我ながらハッとさせられる。
誰からなんと言われようとも、このオッパイは私の生き様。
このオッパイを愛してくれるたったひとりの人に、私は出会うのだから。
ホルモン療法が始まり、それからはずっと3ヶ月ごとの採血データにドキドキし、年に一度の全身検査にまたまたドキドキ。
このドキドキ感は何回重ねても慣れることはなく、たぶん私の人生において、一生付き合っていかなければならない試練。
「試練」なんて言葉、使っちゃ申し訳ないと思うくらい、今は元気に過ごしてるんだけど、それでもどれだけ笑って生活できていても、頭の隅っこには「再発」の心配が常にあるという事実。
だからと言って、とびきり食事に気をつけているだとか、サプリを飲んでいるだとか…、そんなことは一切していないわけで、兎にも角にも「ストレスを溜めない生活」だけを心掛けている。
ストレスを溜めずに、愛を溜めよう。
愛を与え、愛をもらい糧にする。
人に優しく、そして自分にも優しく。
そうすれば、きっと明日もいい天気になるはずだから♪
BGM は
#Beverly の
#A New Day
最後までお読みいただき有難うございました♪
ではまた。 Tomoka (❛ ∇ ❛✿)