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ほんのり苦い茶粥は母の味〜お盆を終えて〜

今年もお盆を無事終えることができた。

我が家では昔から、13日・14日・15日の3日間、お仏壇にお野菜・果物・お菓子など様々な物を祀り、朝昼晩と精進料理を作り、仏前にお供えをしている。

メニューは全て決まっており、朝は3日とも決まって茶粥である。

茶粥とは、ほうじ茶で作るお粥のこと。

私が育った家ではなぜか常日頃から朝ご飯は茶粥と決まっており、小さい頃からずっと茶粥ばかり食べていた。

パンなどはかなり大きくなってから食べ出したように記憶しており、その反動でこのようなパン大好き人間になってしまったのだ。

先祖代々から伝わることなのか定かでは無いが、お盆には毎年決まって朝のメニューは茶粥。

子供の頃からずっと食べさせられていたら、大抵嫌いになると思うのだが、不思議とこの茶粥は嫌いにはなっていない。

むしろ今ではお盆と言えばこの茶粥というぐらい、夏の風物詩のような感じになっている。

13日の朝はさつまいもの茶粥とお漬物、昼は白ご飯と青瓜・薄揚げの煮物、夜は白ご飯と南瓜・薄揚げの煮物。

14日の朝は豆の茶粥とお漬物、昼は白ご飯とささげ・里芋の煮物、夜は白ご飯と高野豆腐・かんぴょう・湯葉・しいたけ・麩の煮物。

15日の朝はさつまいもの茶粥とお漬物、昼は素麺、夜はちらし寿司と豆腐の赤出汁。

毎年このメニューを調理し、仏様の数だけおままごとで出てくるような小さな器に盛り付けお供えする。

私が幼い頃は過去帳に書かれてある全ての故人の分だけお供えをしていて、それはもう大きなお盆にずらーっと敷き詰められ、母は汗をかきかきひたすら台所に立ちながらその3日間を過ごしていた。

そのようなことが普通に当たり前のことなのだと思っていたのだが、あまりにも毎年辛そうにしている母を見て、私が成人した頃ふと疑問に思い母に尋ねたことがある。

ここまでしなくちゃいけないものなの?と。

私は祖母にも会ったこともないし、父も高校生の時に他界。

自分が嫁いできた頃からの風習を、健気にずっと守り続けている母は確かに立派である。

しかしもう残されたのは母だけで、少しは自分なりに変えていくのもありなんじゃないかと思った。

それがきっかけだったのかも不明だが、母がある時、お寺のお上人に相談し、数を減らすことにしたのだった。

今では先祖代々としてひとつ、父の祖母、父、そして姉の分として、合計4つの器を並べお供えしている。

祖父はお墓には入っていない。

昔のお家騒動は複雑で、私の父は末っ子で、なぜか父親ではなく母親の姓を継いだのだ。

なぜ祖母がそんなことをしたのかは母も知らないようであるが、私の父と私の叔父(父の兄)との名字が違ったのはそういうことからだった。

なので家には遺影どころか写真すらなく、私の祖父がどんな顔をしていたのかさえ、私は知らない。

なので、お供えの器は何十個とあったのが、今ではたったの4つとなり、お仏壇も昔の家を売り払った際にコンパクトなものに買い替えたので、お供えするにはちょうど良い数となった。

私はまだ小さい頃から、よくそのおままごとに使うような小さな器に料理を盛り付けするのを手伝っていた。

何十個もあった時代は、盛り付けだけでも時間がかかる。

素麺つゆも、もちろん手作り。

ちらし寿司も、ひとつずつ具材を分けて煮込み作業をする。

レンコンならレンコンのみ、かんぴょうならかんぴょうのみ、といった具合に。

最終15日の夜にそんなことをするものだから、決まって翌日には全てを終えホッとするのか、必ず具合を悪くしていた母。

それは年々歳を重ねる度ひどくなり、必ず寝込むほどになっていった。

私は跡を継いでそこまでする覚悟もなく、いつだったかまた母に言ったことがある。

体壊してまでそこまでしなくちゃいけないの?と。

その一言に母は納得したのか、ちらし寿司の具材を一緒に煮込むようになった。

それでも手間はかかるので、私のさらなる一言で、今では素麺つゆもちらし寿司の素も市販のものを使うまでになった。

それは手抜きと言えば手抜き。

ご先祖様からすれば、お叱りを受けることかも知れない。

ちゃんと心を込めて手作りしなさいと。

しかし、何をどう祀るではなく、ご先祖様を想う気持ちがあれば、それが一番大切なのではないかと私は思っている。

若い頃の母のようには私は出来ない。

でもご先祖様を大切にしないといけないという気持ちは間違いなくある。

そこに父もいるし姉もいる。

お仏前には父と姉の好きだったものを沢山供え、ろうそくとお線香を絶やさず、朝昼晩とちゃんと温かいものをお供えして手を合わす。

それで充分、気持ちは伝わっているのではないかと思うのである。

昔は家のガレージで迎え火や送り火もきちんと焚いていたが、マンションに越してからはそれも出来なくなった。

大きな盆提灯も壊れてしまったのを機に、小さな可愛いものに新調した。

昔からの習わしを大切にしないといけないという気持ちはもちろんあるが、時代にあった祀り方ということも考えなくてはならない。

今年母は90歳。

キッチンから自分の部屋にあるお仏壇までお茶を運ぶのも危なっかしい状態。

しかし、茶粥だけは母が作ってくれた。

茶粥を食べる時、いつも私は幼少期を思い出す。

決して裕福ではなく、恵まれた環境でもなかったが、決して不幸ではなかった幼少期。

なんの疑問も持たずに毎朝食べていた茶粥。

それはまさに母の味であり、ふわっと優しい中に、ほんの少し苦味も感じられる、なんとも言えない忘れられない味なのだ。

来年もまた、母に作ってもらえるだろうか…。

一年後の夏に、想いを馳せる。




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