原爆投下は日本の罪に対する罰なのか?<在日韓国人の視点>
過去の私は
随分と反日をこじらせていて、
妙な怒りのエネルギーに満ちていた。
広島や長崎への原爆投下の歴史についても
私は持つべきではない感情まで
抱いていました。
軍国主義の日本に
正当な天罰が下ったのだと
思っていたのです。
かけてる眼鏡のレンズが歪んでいれば
見える景色も歪んだものとなってしまう。
これが
「認知の歪み」と言われる症状です。
だから、
私はいわゆるネトウヨさんたちの気持ちも
理解できてしまう。
単に方向性が逆だっただけのことで、
私もネトウヨさんと同じ
思想的な陥穽に陥っていたからです。
そして、
思想的な病気に感染した者は
歪んだ景色を正当なものとするために
あらゆる理屈を総動員して
それを「正当な歴史観」に仕立て上げてゆくのです。
過去の私もそうでした。
「原爆投下はアメリカ軍の正しい作戦」という理屈
硫黄島の戦いで
「こんな小島の攻略は難しくあるまい」と思ったら、
米軍に大量の死傷者が出てしまいました。
こんな小島でこれ程の被害なら、
日本本土決戦になってたら
米軍にどれ程の被害が出ていた事でしょうか?
そう考えると、
米軍の原爆投下を責める事は出来ません。
米軍の原爆使用はやむを得ず、
自国兵士を守る為の
正当な作戦であったと考えられます。
なぜなら1945年8月の時点でも
まだまだ日本軍は戦意旺盛であり、
宮城事件(降伏阻止を謀った軍人のクーデター)まで
起こっているからです。
宮城事件が起こったのは
原爆投下の後でした。
原爆を受けた後ですら、
降伏に反対する日本軍人が
虫のようにワラワラと湧き出て来たのです。
そんな戦意旺盛な日本軍でしたから
最悪の場合は本土決戦派を
抑え込む事が出来ず、
本土決戦に引きずり込まれる可能性も
無かったとは言えません。
一刻も早く、かつ確実に戦争を終わらせ、
しかもアメリカが自国兵士を守る為には、
やはり原爆投下は
必要な選択だったのではないでしょうか?
原爆投下は苦渋の選択ではあります。
ですが原爆は必ずどこか1つの国に
最初に使われる運命だったのです。
どこか1つの国に
原爆が投下される事によって、
原爆の恐ろしさを国際社会が知ることになり、
以後は原爆の使用が国際的に抑止されます。
その最初の原爆は、
最も罪深い国に
落とされなければなりません。
歴史の必然として、
どこか1つの国に
最初の原爆が落とされる運命だったのです。
どこか1つの国に
原爆が落されるのが歴史の必然であったなら、
その1つの国は
原爆投下に値する
最も罪深い国が
選ばれるべきだということになります。
原爆を受ける事によって
日本の罪が多少なりとも償われたのです。
それは避けられない運命だったのです。
みずからの「認知の歪み」に気付くには
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