見出し画像

刷り込まれた固定観念、育った環境で先入観を形成する?

皆様、本日もお疲れ様です。
「燃え尽きた悲しき愛の戦士」です。
(※2024年~ハグネキに改名しました☆)

さて、本日は「祝クソガキ卒業!超まじめちゃん爆誕~小学生編~」をお送りします。

簡単な自己紹介はこちら↓

クソガキ時代についてはこちら笑↓

***

さてさて、壇上でお話している園長の元へ殴り込み?笑に行ったり、
友2人を引き連れて放送室をジャックしに行ったりしていたクソガキは、
無事に?卒園して、ピッカピカの1年生に進化を遂げました。
ランドセルの色は、当時では珍しい「ピンク」。周りを見渡しても私だけ。
1学年2クラスしかない片田舎の小学校では「異端」そのものでしたね笑
6年間、ずっと「赤」がいいって言えばよかったって後悔してました。
「皆と違う」って不安なんですよね、義務教育の集団生活の中って特に。
(たぶん私からピンクがいい!って言ったと思うんですが、子供なんで先のことなんて考えられないじゃないですか…言い訳)

***

さあ始まりました。本格的なお勉強、規律を乱すことを許さない集団生活。
決まった時間じっと座ってお授業を受けるわけですよ。
さすがに小学生の私は、授業中に歩き回ることなく、きちんとお行儀よかったです笑 さすがにね笑

***

順風満帆だったクソガキ、初めての挫折

小学1年生の学芸会、1年生は「劇」を披露することになっていました。
題目は「オズの魔法使い」。
だいぶお利口さんになっていたものの、目立ちたがりのクソガキの名残が顔を出し、主役のドロシー役をやりたい!!!となります。

結果、どうなったか。
「西の魔女」という悪役になりました笑笑
この落差よ。現実と理想のギャップを齢6歳にして味わうことになったんです。
しかも主役はその当時一番仲が良かった子に決まったんです。なかなか複雑でしょ?笑
悔しくて、悲しくて、これでもかってくらい泣きました笑
(まぁ、魔女の手下の猿軍団役よりはマシだったかも)

猿軍団たちのセリフ「魔女様のお出ましだ♪魔女様には逆らえない~♪」
自分のセリフは忘れてるけど、手下たちのセリフは覚えてるっていう。笑

***

毒祖母が徐々に頭角を現す

母が働きに出ていたため、祖母と長い時間を過ごしていました。
幼稚園時代はお買い物によく着いていったり、公園に連れて行ってくれたり、ほほえましい祖母と孫って感じだったんです。

が、小学校という義務教育が始まってから、徐々に教育ママならぬ教育ババへと変貌を遂げていったのです。

突然「プレゼント買ってきてあげたよ!喜ぶと思って♪」と言って、
なんだろ!ゲームかな?とか思うじゃないですか!
なんとそのプレゼントは「全教科分のお勉強ドリル」だったのです。。。
大人の顔色を伺う子だったので、露骨にがっかりもできず、
「わ、わーい、あっありがと…」って感じで落胆と恐怖を覚えました。
いまだになんで喜ぶと思ったのかわからん。。。怖い。。。笑

自主的に勉強していても、なぜそこまでしかやらない?と口を挟むことは日常茶飯事。私が「今日の授業ではここまでしかやっていないから」と言っても、そんなはずはない。の押し問答。
え?あなたも一緒に授業受けてたんすか?って話の通じなさと逆らう方がもっと怖いという幼心から、自分を殺して勉強してましたね。

また、遊ぶ友人についても選別するようになり、
私が友達を家に招いて遊ぶのを極端に嫌がり、私や友人の前でも露骨に嫌な態度を出すなど、とても居心地の悪い思いをしてました。

***

毒祖母による教育による学力向上により、自己愛が満たされるというジレンマ

あらかじめ言っておくと、毒祖母と母の教育方針は真逆でした。
母は勉強ができる子より優しい子、自由に育ってほしい派で良い意味で放任主義、積極的に遊びにいってこい!って感じでした。
でも実家に住まわせてもらってる引け目もあったのか、母は毒祖母に強くは言えない感じでもありました。
それでも、私の味方だということだけはわかっていたので、救いでした。

そして、勉強することによってテストはどの教科もほぼ満点、
90点以下を取ることはまずない、みたいな状態まできました。
勉強ができる+放課後は色んな友達と遊ぶ+児童会長になるといった要素が組み合わさって、自己愛っていうんですかね?が満たされていたと思います。

***

児童会長への立候補、責任感と達成感

小学5年のときの担任の先生が、私のコミュ力?(マジで誰とでも分け隔てなく遊んでたから?)を見込んでか、児童会長に立候補しなさいと打診してくれました。
確か三者面談でも母に、なぜ私が児童会長になるべきかを力説してました。
正直選挙に落ちたらどうしよう…という不安もありましたが、
担任のどこからくる自信なのかわからない「絶対当選するから」という言葉を後押しに、立候補、無事に当選することができたのです。
(神の見えざる手が動いたのか…!?)

さて児童会長になってしまいました。
「お飾りの児童会長」にはなりたくないと思っていて、
何かいままでの児童会長がやってこなかったことをしようと思い立ち、
盲導犬の募金箱を設置して、学校で募金活動をしよう!と
先生や他の児童会の子たちと協力して、盲導犬協会?的なところに問い合わせて、快く募金箱を設置させてもらったり(実際集金できたのは微々たる金額ですが)、
学年ごとの隔たりを無くしたイベントがしたいと思って、朝会の時間をもらって全校生徒参加型の○×ゲームを企画して司会をやったりしました。
先生方からはよく考えてやり抜いたね!とお褒めの言葉を頂いたり、
違う学年の子からは、会長さんおはよう!と声を掛けてもらえることが多くなりました。

あと全然関係ないんですけど、竹馬が異常に得意で、学校記録の保持者でした笑笑

卒業式の答辞を読んだり、なにかと代表者挨拶をするなどする機会があったり、市内の別の学校の児童会との交流会に出向いて文通仲間を作ったり、
リア充で自己愛MAXの状態だったかと思います。

***

勉強ができないと何も認めてもらえないという「固定観念と先入観」

社会に出た今ではそんなことないよ、と言えるのですが、
毒祖母の影響を強く受け、また逆らうこともできず、
言われるがまま、勉強や周りと違う行動を取らない、挑戦をしない。
ということを6年間刷り込まれ、またそれを実行することでそこそこの結果を得られてしまったため、
幸か不幸か、やんちゃで挑戦心満載のクソガキは、何事にも安定・堅実を重んじる超まじめちゃんになりました。

これが吉と出るか凶と出るか。
幼いころに受けた傷は大人になっても引きずると聞いたことがあります。
言い訳がましくなるかもしれませんが、私も引きずってる一人で後悔してます。

今回もちょっと長くなってしまいました。
ここまでお読みくださった方々、ありがとうございました。
「スキ」「フォロー」「コメント」励みになりますので、どうぞよろしくお願いいたします!

燃え尽きた悲しき愛の戦士



いいなと思ったら応援しよう!