宇宙元旦の日に「期待」を捨てて「希望」を得る
こんばんは。櫻子です。
「期待」と「希望」似て非なるこのことばたち。
期待とは「当てにして待つこと」
希望とは「未来に望みを持つこと」
これは櫻子基準かもしれないけど。
期待は、叶って0(プラマイなし)、つまりマイナスからスタートしてる。
希望は、叶ったら超プラス、つまり0からスタートしてる。
自分がいつも大事に抱えているのは、「期待」なのか「希望」なのか。
これで、人生の楽しさ、しあわせ度が変わってくるような気がしてます。
ちょっと話題が逸れるのだけど、、
SEKAINO OWARIのHabitの歌詞で「分類するなよ」とあります。
(「分類するなよ」だけでGoogleさまトップヒットってすごい)
セカオワの歌詞にはシンパシーを感じるので、彼らに「分類するなよ」と言われると「あ、そうですね」と言いたくなるのだけれど。
分類、しないで分かるのって、むつかしくないですか。
「自分」って、自らを分けるって書くのですよね。
自分らしさって、気になりませんか。
だから、つい、分類しちゃいます。
で、分類した結果、以前、HSPだな、と思ってたのですが、
先日この記事を読んで、あ、ADHDでもある、とふと思いました。
で、ずーっと、当たり前にみんなができることができる完璧な人であることを自分に「期待」してたのですが、あー、できないことって、あるんだ、と腑に落ちまして。
そうしたら、できないことを「なんで自分できないの!」って罪悪感に苛まれたり、焦燥感に駆られたりするのではなくて、もともと超苦手とすることなんだ、と認めることができまして。
んじゃ、どしたらできるのかな?と対策をとったらちょっとはできるようになるんじゃない?と「希望」を持つことができるようになりました。
つまり、できないダメな自分(常にマイナス状態)から、できないのに結構頑張ってたなかなか愛いやつ(できなくっても0)に昇格したのです。
自分に期待しない、っていうとなんか聞こえは悪い気がするのですけど。
できないことがある自分を認めた上で、自分に希望を持つことにしたので、しあわせ度はアップしたのでした。
病院で診断してもらったわけではないけど、長年付き合ってもらってる友だちに「ADHDっぽい」と話したら、まーったく否定されなかった。
なんかわかっててくれる人がいるんだなって嬉しかったです。
+++
*HSPについてのnote
*自分らしさが気になる人にお勧めな自己認識プロジェクト
*分類好き自己認識マニアによる、まるっとその人全体を見て調和を見出すボディートークセッション
ボディートークって、「詳細」「より詳しく」って、どんどん細分化していくのだけど、みえてくるのはその人全体の今のバランス。