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子どもの人格を尊重する①
私は常々、子どもの人格を大事にしたいと思っています。
そんなん、当たり前のことやん。って思う方も多いと思います。
が、私にとっては切実。
なぜなら、「アーティスト殺人行為②」で書いたように、
「おなかいっぱい」「暑い」「痛い」というような、
人間にとって最も基本となる感覚を
子どもの頃にうまく受け止めてもらえず、
私自身が自分の感覚を取り戻すのにとても苦労したからです。
だからこそ子どもには、
自分の感じたことを当たり前のこととして自分自身で受け止めて欲しい。
嬉しいことは嬉しい、悲しいことは悲しい、辛いことは辛い、
と当たり前のように感じて、そんな感覚を土台にして生きて行って欲しい。そう思って子育てしてきました。
そのために気をつけたのは、
子どもが自分の感覚を素直に感じられるために、
「できるだけ、母の思いが子どもの思いを邪魔しないように」
「できるだけ、子ども自身が自分の感覚に従って
(母の思いに引きずられることなく)物事を決められるように」
ということです。
これだけ気をつけてきたのに。
子どもへの母の影響って恐ろしい・・・。
もう7年位前のことになりますが、私が震撼とした出来事を
今日は綴ってみたいと思います。
ピアノ発表会の曲を決める
長女は3歳からピアノを習っていました。
最初は親も同じ部屋に入ってレッスンの様子を見ますが、
慣れてきたら親は廊下に出て、30分間のレッスンが終わるのを待ちます。
ある日、発表会で弾く曲を決めることになりました。
先生が数曲弾いて下さるのを聴き、その中から子どもが自分で決めます。
私は廊下で聴いていたんですが、1曲目が抑揚のある素敵な曲。
2曲目、3曲目はあまりピンとこないな~と感じました。
長女がどの曲を選ぶのか分かりませんが、
私は廊下で「絶対1曲目!」「他の曲はいまいち~!」
「1曲目を選んでたらいいな!」と思って待っていました。
長女の選んだ曲
レッスンが終わり、部屋から出てきた長女から聞いてみると。
選んだ曲は1曲目。
お~!良かったわ~。よくやった!
と内心ほっとした私に言った長女の一言。
「だって、ママあの曲が好きやろ」
え~!!ショック・・・。
私は、「子どもに、自分で」決めてもらいたかったのに、
子どもは「ママが好き」な曲を選んだのか~・・・
普通の感覚だと、ママが好きな曲を選んでくれて嬉しい!
と思うものでしょうか。私は、「これだけ気をつけてきたのに
母の気持ちを気遣ったのか?母が好きなものに決めたのか?」
と、母親の影響力というものを恐ろしく感じ、
膝から崩れ落ちそうになりました。
7年たって思うこと
当時は、子育てを始めてまだ5年。
「子どもの感覚を大事にしなくっちゃ」
「子どもの感覚を親が邪魔しちゃいけない」
と気負っていた部分もあると思います。
だから、子どもが「ママが好き」な曲を選んだことに対して
「私が子どもの感覚を邪魔してるんじゃないのか」
と、恐ろしさを感じました。
でも今、ちょっと客観的に見てみると、
子どもっていうものは母親のことが好きで、
そんな母が好きそうな曲を弾いてあげたいな~、
というような思いで選んでくれたんじゃないのかな?
とも思えます。
今、子どもたちを見ていると、
ちゃんと自分の好きなことを好きと言えて、
嫌なことは嫌だと主張できている気がします。
だから、私が気を付けてきた「子どもが自分の感覚を大事にする」
ってことは、ある程度達成できてきてるんじゃないかと
思います。
そう思えるまでに、何年もかかりました。
子どもの頃から、自分の感覚を当たり前のように感じて
育ってきた人とは、やっぱり違うんじゃないかな~。
ハンディあるよなあ。と思う出来事でした。
今度は、最近あった、「子どもの人格を尊重する」あまり
私が引き起こしてしまった失敗について書けたらと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
おわり