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怒りを認知する

怒りは私にとって人生のテーマのうちの一つだと思う。

ふと自分にメタ認知力がないことと、私の抑えきれないほどの怒りは、関連してるんじゃないかって気がした。
そのことをメンターの先生に相談したら、以下のやり取りの中でやっと繋がった感覚、理解できた感覚があった。

「じゃあ一緒に考えよう。あなたが怒っている時、どうメタ認知を生かす?」と先生に問われた。

ー怒りは解釈の歪みが原因。だから、メタ認知で客観的観察をし直して、事実を捉え直す?
……いやいやいやいや!絶対に無理!
怒りは瞬時に湧き上がる赤信号だし、認知や解釈以前に扁桃体がバーってなるし、その瞬間より前にアプローチするなんて絶対無理でしょ。

「じゃあ、何とかできるのは、怒りを感じた後の話ですね」

ー私が怒りを感じている時って…すごい悔しさがある。その悔しさは、恥の感情とも結びついている。生存を脅かされている!と体から信号が出ている。そしてその悔しさと怒りで眠れないし、翌日もずっと続く。

「あなたのような母一人子一人の家庭だと、親からの逃げ場がない。親子の力の差は歴然だから、本当に生存を脅かされるような体験をしてきた可能性がありますね。怒ったらあなたはどうするの?」

ー戦うか逃げる。でも戦うのは社会的評価に響くから、逃げられる状況なら相手をシャットダウンする。

「じゃあその様子を上から見てみましょう」

ーしばらくゆっくり想像の中で、怒りを感じた時の状況を思い出して、自分を上から見てみた。

怒りを感じてる私。
恥を感じてる私。
悔しくてたまらない私。
顔をこわばらせ、目の前の相手を無視してシャットアウトする私。

あー、、、。

「今、何が起きていますか?」

ーあー、、、。『そんなこともあるよねー、人が、人の間で生きてたら』というイメージ。思ったより激しくないし恥ずかしくない感じ。怒ってる犬や猫を見ても何ともないのに近い。それでその犬や猫の価値が落ちるわけでもないし

「そうです!それがメタ認知です!
怒るのは自然なことだと、受け止めること、認めることことを、認知と言います

逆に、怒っちゃダメ、は怒りを認知してない状態です」

自己否定が怒りを大きくする

メタ認知の「認知」って言葉を、私はこれまで「認識」と捉えてたけど、認知にはもう一つ意味があった!父親が子供を「認知」する、というような「認める、受け入れる」という意味。
メタ認知を後者で捉えると、理解が全然変わってくる。

そして、さらに教えてもらったこと。
これまで私がやってたのは、

怒り、悔しさ、恥の自分を認めない、責める

認められなくて怒りがもっと大きくなる

もっと強い力で押さえなければならない

もっと出口がなくなり悔しさが募る

という怒りの増幅サイクル

目の前の相手だけでなく、自分すらも敵だった、、、
外から傷付けられた皮膚に、自ら塩を塗り込んでいたんだ。
それじゃあ生存本能が脅かされるわけだ。

自分を受け入れないと、このサイクルでいつまでも同じところをぐるぐる葛藤する。

でもそうではなくて、「この怒りや悔しさは自然なことだよね」って認知する。受け入れる。

認められると、感情というものは軽くなり、次のステップに進むものだ。こうして囚われから離れられるのだ。

「もし幼い頃お母さんに『怒ってはいけない』ではなく『怒ってるね、そんなことされたら誰でも怒るよね』って言われてたら、どんな気持ちだったかな?
あるいは『意地悪するその子を避けていいんだよ』と言われたら?」

ーきっとホッとする。

「そうやって育った子は、実体験と言葉が結びつきます。そうしてメタ認知力が身につくんです。」

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