この先やっていきたいこと
私は今、NVC(Non-Violent Communication-非暴力コミュニケーション)が、心の世界に特段興味を持っていない、いわゆる「普通の人」に通用するのかどうか、誰の人生にも良い影響を及ぼしうるメソッドなのかどうかに興味がある。
だから今、会社で、NVCを全く知らない人たちに、Googleの大義名分を借りて「心理的安全性って企業において超大事だよね」とNVCの勉強会を始めてみた。初回の参加者の感想はとても好評で2回目の希望も出たので継続しようと思う。
ところで私がこれまで学んできたことは、ヨガ、マインドフルネス(瞑想)、ゲシュタルトセラピーと、その関連領域のセラピー、NVC、アサーティブコミュニケ―ション、そして心理学一般。それぞれの領域は、密接に繋がり合っていて、矛盾がない。
ほんの数年前まで、日本では、ヨガに市民権はなかったように思う。宗教やスピリチュアルに偏見やアレルギーのある日本人にヨガの良さを伝えるのは難しかった。自分に向き合うことすら、「宗教」と捉える人は多いのだ。(私は、宗教とは、外側に信じる対象や正解を求めることだと思っています)
ヨガは当初美容に興味のある女性には、広まった。宗教のイメージを一新する、美しいモデルと、おしゃれなスタジオ。でも男性に興味を持ってもらうのはとても難しいことだった。
だけど今、だんだんとそのアレルギーから解放されつつあり、誰しも本当はスピリチュアリティや心って大切だよね、って気づかれるようになった。
私がNVCを楽しんでいる理由の一つ。それは、ヨガやマインドフルネス、人間性心理学の哲学など、本物が根底にありつつ、その上に会話の実践的なノウハウがあるから。
私がNVCを学び始めたとき、「どうして学ぼうと思いましたか?」とトレーナーに何回か聞かれた。いくつも理由はあったが、覚えているのは、
「私は人の話をうまく聞くことができないって最近自覚してるから。こないだも男友達の失恋話をうまく聞いてあげられなかった。聞いてるうちに私がイライラして、結果ぎくしゃくしてしまった」と答えたこと。
そして先日、NVCの講座を一緒に受けている女性と、プライベートでお互いの話を聴き合う練習をしていたとき、その女性が「NVCを学びはじめた当初と比較して変わったこと」を話してくれた。それを聞いて私は、その失恋した男友達のことを思い出した。
その男友達は最近もまた病んだSNS投稿をしていた。それを見て私は思わずメッセージを送っていた。ネガティブに落ちている人が放っておけなかったのだ。励ましたかったのだと思う。「放っておけない自分」もまた深掘りするテーマだとは思うが、一旦それは置いておいて。
今回も彼はまた、私の励ましの言葉は受け取らず、というか励ましの言葉とすら認識せず、一人自分の世界に浸っていた。何を言っても否定で返し、ポジティブな事実には目を向けない彼に「変わってないな」とイライラしつつあった。
でも、私はNVCを学んでいることを思い出して、実践しようと思った。
それは、ただ彼の状況と気持ちを、「観察」でリフレクションすることだった。
やってみたら、確かにこれは彼自身の気持ちにちゃんと寄り添ったコミュニケーションだと思った。
そしてまた同時に、それは何だか自分にとって、とても安全なコミュニケーションだった。
「私が相手のネガティブに飲み込まれない。」ということに気づいた。
前回失恋の話をうまく聞けなかったのは、私が彼と境界線がうまく引けなかったのが原因ではないか、と初めて気づいた。
彼の辛い状況を、自分のことのように共鳴し、「どうにかしなければ」となっていたのだ。
私は「自分と人との間に線を引く」ということの、具体的な方法にこれまで出会ったことがなかった。(ゲシュタルトセラピーだと実際に線を引く動作をやるが、あれはやらされている感があるし、自発的な気づきがないので日常生活では元どおりだった)
だけど、今回NVCの具体的なコミュニケーションに教えられたと思う。
「観察」と「感情」のリフレクションは、自分にも相手にも安全で、境界線のある共感の仕方なんだ、と。
自分への共感と相手への共感。その二つが両立するってことを、これまで本当の意味で知らなかったんだ。
これまでの私は、「自分を大切にすることは、相手を無視したり離れること」だった。なのに、「自分を大切にしながら、同時に相手にも寄り添う方法がある」だなんて…!
頭で分かっていることと、実際のコミュニケーションで試して実感することとは違った。
そしてまた、NVCを始めたころと自分が少し変わったという事実に改めて気づけたのは、聞き役をしてくれた彼女の存在があったから。
話を丸ごと受け入れて聴いてもらったからだった。
そこでその時、もうひとつ初めて実感したことがある。
それは
「私はこれまで、人に話を聴いてもらった経験がなかったのではないか」
という説。
人から私の感情を否定される心配なく、自分自身の正当性を証明する必要なく、ただただ安全に聴いてもらえること。聞き手からのアドバイスや意見が来ないということに安心していて、自分を証明する必要のない話し方。そんな話し方が出来たからこそ、新たな自分を発見した。
コーチングやカウンセリング、ゲシュタルトセラピーでは、ここに至らなかった。
だって普通、会話の中には必ず聞き手の主観(マインド)は入る。
それが私にとってこれまで、「会話」というものだったのだ!
聞き手の誘導や影響なしに、自ら「気づく」という体験。
誤解がないよう言っておきたいのは、NVCの聞き手は単なるオウム返しのイエスマンではない。従順で空っぽな聞き手ではない。
私は相手の話に影響も受けたし、私の話が相手にどう聞こえているかも分かって話している。
こうしたNVCの聞き方はこれまでと違ったし、具体的で、ちゃんと練習すれば誰にでもできる。
こうした在り方で、お互いの存在を認めつつ、聴き合うこと。こんな機会が一人一人の日常にあれば、人生は今よりもっと素晴らしいものになると思う。
そんなことを考えながら、社内勉強会の2回目をいま準備している。
また、この勉強会に興味がある人が何人か集まったら、社外でもやりたいと思っている。
※NVC的に話を聴いてほしい、あるいはNVCの勉強をしてみたい、という場合は、メッセージください。どういう形で用意できるか、考えてみたいと思います。
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