大切なひとが大切なまま時を止めたこと。 身近な人ほど現実味がなくて受け止められなくて ずっと生きているような感覚になる。 いつまでももらった言葉が消えなくて それを要らないよって反論することもできない 一方通行の思いを受け止めるしかない その言葉は大切にしまっていつかの自分を 救ってくれるって思うことで幾分か消費できる気持ちになる 絶対に忘れちゃいけない。 距離の近さなんて関係なく自分とその人との 関係や思い出を。 抱えている闇も思い出もあの人と自分の一部で 大切な人生の
あまり人には理解されない話。 私は昔からずっと「自分」という世間に生きる 1人の人間(コマ)を上から見つつ操作している、 ゲームをしている、感覚で心や言葉を決めている。 誰と話す時も受け答えにはいくつも選択肢を出し 最適であろうものを選んで進んでいる。 いわばシュミレーションゲームをしているに近い。 それは自分にとって遠い存在であればあるほど そのゲーム性を実感する。 職場などで問題が起こった時、 すごく冷静にたんたんと処理ができるのは 選択肢が常にあり、最悪の場合を想
ふと思い出した幼少期の記憶。当時5歳ほど。 お昼時の白い光がレースのカーテンから零れた照明。 幼児用ブロックの正方形と長方形で作ったマイク。 ウエディングドレスよりも綺麗なシーツのドレス。 観客は溢れるばかりの愛情の目をした母と祖母。 動く度、声を出す度、甘い歓声が聴こえる。 .......愛されていた。記憶。 いわゆる一般的な家庭に生まれ、不自由もなく 祖父母にも支えられ生きてきた幼少期。 教育の方針か、幼稚園には通わなかった。 閉ざされた世界で目一杯の愛情を受け育
社会人4年目。 ストレートで新卒入社した会社ではそれなりの評価を得てお仕事もこなせるようになった。 それ故にとてつもない喪失感と新たな知見を得たい欲望と逃げられない背景に追い詰められ、休職した。 逃げられない背景が迫ってきて助けを求めた。 一時しのげた。ただ新たに進めない。 何もしないまま毎日毎秒時を刻むことが怖くて、 日付が変わる度に心が沈み頭の中の考えが音源化する。 また誰かに助けを求めなければ前にはすすめないけど 前に進む調整をするために止まる余裕はない。 いわば
日本産。日本製品のボクに「日本人」を感じる一幕って訪れるのか。 地方創生に取り組む役所のお偉いさんたちは 口をそろえて「外から目線が大事」だと唱える。呪文。 でも、外の人は外の人で興味がないと全く知らないのに。 「知らない人でも知ってるもの」が強いマス的な発想は もう古いんじゃないかなぁ。わかんないけど。 「多様性の時代」って言葉はすごく嫌いなんだけど、 自分が自分らしくいるためにそれをみんなが理解し合おうと 変化しようとすることは素敵だと思う。 そんな時代に「マス」なん
朝の通勤。 満員電車に乗りながら辿りつく会社の最寄り。 今日も頑張らなきゃなぁと思いながら 少しの憂鬱に負けじと顔を上げながら歩く。 前から猛烈ダッシュの外国人男性3名。 ゴミ収集車の従業員。 それはもう全力のダッシュ。 大人の長距離ダッシュは初見かもしれない。 迫り来る。 私の少し手前で止まった。 A「ボクノカチダ」 B「オマエハヤスギルダロ」 C(ダッシュ) 回収場所から回収場所まで かけっこしてたようだ。 内心とても楽しそうな彼らを見て、 可愛いと感じ
社会人3年目。 仕事が見えてきてそれとなく過ごす日常に あぁこのままでいいのかなと漠然な不安を感じる毎日。 電車に揺られ、人に酔い、苦労してたどり着く 無言の巣窟。 一定数できるようになった新人に 話す言葉なんてないんだろうなぁとうさぎ化。 そんな何気ない日常に突如なった電話。 中学の恩師から「免許あるなら教師にならないか」 あぁ。なんで一般企業に入ったんだっけ。 地元を捨ててまで東京で社会人になった理由は?? なんでもないこなす日常をおくるため?? 「「絶対的に何か