自分と自分が乖離している感覚

あまり人には理解されない話。

私は昔からずっと「自分」という世間に生きる
1人の人間(コマ)を上から見つつ操作している、
ゲームをしている、感覚で心や言葉を決めている。

誰と話す時も受け答えにはいくつも選択肢を出し
最適であろうものを選んで進んでいる。
いわばシュミレーションゲームをしているに近い。
それは自分にとって遠い存在であればあるほど
そのゲーム性を実感する。

職場などで問題が起こった時、
すごく冷静にたんたんと処理ができるのは
選択肢が常にあり、最悪の場合を想定しているからで
なんなら第三者としてその場を考えているからである。

人に本気で怒られた時、反省の色を見せるコマンドは
実在していて、ゲーム操作の当人は現場が納まった後に
解決方法とプレイヤーの動きの修正を行う。

プレイヤー自身にプライドはないし、
わがままもない。
ただそのプレイヤーに愛着を産めば産むほど
自分と近いプレイヤーに育ってしまう。

いま、動かしているプレイヤーの目標が
どこに向いているのか、分からなくなってきた。

わからない、当人が孤独に気づいたのかもしれない。

この話をとある大人にしたところ、
全く逆のプレイヤー理論を聞いて妙に納得したので
備忘録として載せる。

彼の感覚は「自分」が人生という生態系の支配者で
周りの人や環境も同じワールドに存在する。
他人が自分という存在に入り込んでくることはないが
人や環境の動きで生態系が歪み、自分も変化するという
感覚があるらしい。

彼との共通点は他人を自分(当人)に合わせないこと。

彼の場合はあくまで同じ世界の支配者と他人であり、
関わりとしては浅いものが多いため、
世間からの評価は「冷たいひと」

私の場合は当人は別世界だけどその感覚はないため
世間の他人から見た自分(プレイヤーの私)は
いつもいい顔をしてくれる「温かいひと」

ただ、蓋を開けたらどちらも空っぽ。

この両者の感覚を融合することで
当人が満たされるのではと思った。

例えば10年来の親友など
確実に信頼関係ができている相手には
脳死で話してみる。
嫌われるリスクよりも好かれるチャンスを
選びたい相手には何も考えずに話してみる。など

気づいたらすごく複雑になっていた思考回路を
1度リセットすることで何も言葉にできない
行動することが怖い、目標がないという
フェーズから抜け出してみたい。


あぁこの感覚、誰か理解してくれないかなぁ。

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