見出し画像

【随想】小説『俺ではない炎上』浅倉秋成

いやー読んでよかった。中盤ちょっとページを繰る手が止まってしまったが、後半にかけて一気にアクセル全開で面白くなっていった。あまり聞いたことのない出版社(双葉文庫)から出ていて、本屋でも平積みされていなかったので、探し出すのに一苦労だった。最近文庫化されたばかりだから、しかも人気作家だし、平積みされてるだろうとたかを括って探していたのが悪かった。前作が角川から出ていたから、また大手出版社だろうと思い込んでいたのもダメだった。まるで見つからない。結局ネットで検索して出版社を調べて小さな出版社の本がまとめられている棚を特定してようやく見つけられた。たった一冊。もちろん在庫はあるだろうが、棚に置かれているのは一冊のみだった。そんなに書店は推してないのか?そんなに売れてないのか?いやでも、『六人の嘘つきな大学生』は相当ヒットしていたし、映画化もあり、書店でも大々的に売り出されていた。同じ作家の次回作とあれば、大学生の隣に陳列すれば飛ぶように売れるんじゃないか。あまりの書店の消極的姿勢に驚きつつ、そもそもなぜ買おうと思ったのか思い返してみる。そうだ。別の書店に行った時に新刊コーナーで平積みされているのを見て、気になって冒頭を立ち読みしたのだった。これは面白い、絶対に今度買おうと思った。その場で買わなかったのは、いつでもどこでも買えるだろうという慢心と、他により欲しい本が出てきてしまう可能性を考慮したものだ。冒頭の文章を引用してみる。

これは、本物だ。確信に至るまで、たっぷり三十分は要した。 十文字に切れ込みを入れて丁寧に焼き上げた朝食のトーストも、ペーパードリップで淹れたコーヒーも、すでにすっかり冷めている。二限の授業に出席するためにはまもなく家を出る必要があることも、いつの間にか意識から抜け落ちている。初羽馬はタップとスクロールを繰り返し、徐々に予感が確信へと熟成されていくのを感じていた。インターネットの使い方、フェイクニュースに騙されない方法、ネタと事実の見分け方。誰に教わった経験もないが、それらはPCやスマートフォンに触れる機会が増えていくにつれて自然に身についていった技能であった。文字がひたすら流れ続けるだけのYouTubeの動画、たった〇日で○キロ痩せる魔法の商材、拡散に手を貸すだけでお金が貰える夢のようなキャンペーン。どうして怪しいとわかるのかと訊かれたところで、初羽馬もうまく言語化はできない。何となく怪しいから、怪しいとわかる。消臭剤を撒いて、更に芳香剤を撒いても隠しきれない、糞便のそれにも似た気味の悪い怪しさの悪臭が、うっすらと鼻腔を衝く。

俺ではない炎上

あまりに的確というか筆者の思考がダダ漏れなので、この本には、真実(毒)が描かれているに違いないと直感的に思った。そして実際に読んでみると、冒頭は思った通り、シャープでエッジの効いた文章で、ズバズバと現代社会に切り込んでいったのだが、割と序盤から主人公の逃走劇となり、現代社会を切る!とかよりも、主人公の己との戦いの方にスライドして行ってしまい、自己啓発本の様相を呈してきてしまう。さすがにそれは言い過ぎかもしれないが、期待した展開とは違うなと思いつつも、これはこれで、『ゴールデンスランバー』『ゴーン・ガール』『傲慢と善良』など、逃げまくる系のドラマや映画、小説を想起しながら読んだ。ハラハラドキドキの展開はサスペンスなのだが、ここで作者がやりたかったことは、逃げれば逃げるほど、だんだんと自分の本質が見えてくるという、『六人の嘘つきな大学生』と同じ展開だった。それは勿論面白く、人間の印象があまりに当てにならないものであることを突きつけられる、いや人間の印象は作者の認知誘導によっていかようにもミスリードできるということの証左でもあり、恐ろしい。しかし、そこで露わになっていく人間性は、どこかにいそうな、とても没個性な、画一的で記号的な人物造形のように感じた。確かにその方が風刺しやすく、それが自分たちの一面であることは紛れもない事実だ。そしてだからこそこの物語は駆動している。記号ではない繊細で個性的な人間が登場人物であればこういう話の展開にはならない。記号的(欠落)であればあるほど、物語を駆動させる事件が発生する。これとは真逆の展開を見せるのはドラマ『海のはじまり』だ。あれはどこに流れ着くのかまったく分からない。最初こそ記号的な始まり方をしたが、その後は記号ではとても表せないような人間の心の移ろい、不確かさ、記号になれなさが描かれている。どちらがどうというのではない。今作はエンタメとしてよくできている。確かにミステリー、犯人は誰だということで読者を引っ張り、最終的に読者を驚かせる仕掛けは一級品であるが、実は伏線や謎の部分は、かなり単純である。
それなのにも関わらずここまで読ませるのは、緻密な構成のなせる技だ。情報を小出しにしながら、読者の心理誘導を誘い、ミスリードするテクニックがうますぎる。だから、謎やオチが単純でも圧倒的に面白い。作者がこの本を通して伝えたいことは何かを考えてみた。ストレートに受け取ると、人は「自分は悪くない」と言いながら日々生きているということへの批判。または逆に行き過ぎた正義への批判。もしくはラストの主人公が辿り着いた気持ちがメッセージになってくるのか。まあどれも当てはまるのかもしれないが、作者の言いたいことはさておき、『六人の嘘つきな大学生』とこの二作を読んで、筆者が描くモチーフの「敵」は明確に自分自身を含めた「人間」なのだなと感じた。そして「人間」は勿論味方にもなる。それが本当に紙一重であることを描いている。伊坂幸太郎のように、目に見えない巨大な権力=敵に対し、小さな個がアイデアと想像力を武器に立ち向かうとかではない。ファンタジーや形而上的な視点は少なく、もっと即物的で、ニヒリズム、リアリスティックな方向で、様々な角度から物事や人物を多角的に捉えることで、事件を解決したり、困難を乗り越えようとする。こういう作風は昔にもあったろうか。あさのあつこさんとか重松清さんとかの小説はどんなだっただろう。浅倉秋成さんは朝井リョウさんとは同い年だ。この小説からは、なんだか明確な意思みたいなものが伝わってくる。それがあまりに食べやすくて、心配になる。なぜならそれは猛毒に違いないからだ。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集