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#35 書評・『サロメ』Oscar Wilde

 耽美は時に退廃的に語られる。美しさに溺れ、愛に窒息する、「性」がそのまま「生」のエナジーであることもある。本作『サロメ』に限っては、そういった耽美派の呼吸が息づいているように思える。そしてそのような作品に取り巻く非現実の幻惑は、著者のWilde自身が偶像として抱えていた夢幻と重なり合う。

「魔力」の刃

 恋の「魔力」という言葉がある。恋愛における説明できない衝動、エネルギーを超越的な「魔」の力がそこには確かにある。ユダヤの王女サロメは、宴にて王エロドからの視線に耐えかねて禁じられた井戸へ出向く。そこには預言者ヨカナーンが閉じ込められている。不吉な戯言を撒き散らすヨカナーンを見、サロメは恋に落ちてしまう。
 サロメの心持自体は非常にまっすぐなものかもしれない。愛する彼の者を手に入れたい。その純情とも言える誓い。しかしこの愛は非常に屈折した形で結節することとなる。それこそが「魔」の力。退廃と審美、生死を越える魔力を、読者は生々しく突きつけられる。

Wilde and Salome 

 解釈の問題に踏み込もう。私はこの「サロメ」という登場人物にやはり幾らかWilde自身が投影されているのではないかと思える。学生時代に文学への頭角を表し、アメリカへ渡り、一躍人気者となり、それと同じくらいの速度で零落した。イギリス本国で結婚し、二人の子供が生まれ、アメリカでの傷を癒す時間もなく再び文章を書かなければならなくなった。そして触れなければならないのは、本作を英訳したアルフレッド・ダグラス卿である。彼はWildeの崇拝者であり、彼と男色関係にあったことがわかっている。後々、このことが災いしWildeは投獄され、釈放された後は、死ぬ時までほうほうのていで生活を繋いでいた。
 王女サロメは妖艶な、見るものを虜にする美貌に恵まれ、物理的な不自由はどこにも無い。預言者ヨカナーンは王妃が、そして王が忌避する存在である。それに彼女は恋焦がれる。「あたしはお前の口に口づけするよ、ヨカナーン。」
 ここに重なるのは、才能に恵まれたWildeという人間が、禁じられている「同性愛」という概念へ近づこうとすることである。当時の社会において男色は誹りを受けるに相応の行為であった。社会権力による抑圧は、ヨカナーンを井戸の奥に幽閉したユダヤの王とまた重なる。
 このように読むとまたこの物語自体が、魔力を持って浮かび上がる。それは予言であり暗示。この物語の結末では禁を犯し、その後サロメは王によって殺されてしまう。『サロメ』を書き終えたWildeは、男色の罪によって禁錮刑を受ける。そのような一時の願いの成就と、その代償までもが、このように対応していると言えはしないか。

 過激な内容には間違いない。けれど、これはきっとあなたにとって心の深いところに印象として残り続ける、ひとつの愛の類型になるだろう。あなたの読みに携われるなら、書き手冥利に尽きます。

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