生の擁護者
失うことの痛み。過去という痛苦。「時」はそれを無暗に癒やしてしまうのだろうか。そして、その治癒は果たして「正しい」のだろうか。
漱石の「硝子戸の中」(1915連載)に興味深い述懐が眼を惹いた。それは或る女の悲痛な生きるのもつらい、という恋愛の記憶を聞く場面。語り手は「もし生きているのが苦痛なら死んだら好いでしょう」という言葉を思いつくも、それを引っ込める。現代から見てもその解決策はあまりにも投げやりで、相手を無暗に傷つける。この特異な二項対立、生きるか死ぬか、という使い古された二項対立には、女のもつ傷の特別な側面―いわば表裏を看取する語り手の眼が通底している。
こうした感傷的な文章はいつもなら読み飛ばすくらいなのだが、どうしてかわたしには感じ入るものがあった。人の生における過去の傷―それは宝石であることもできるのだ。その宝石を保持するためには、血を流しつづけなければいけないこともまた確かに思える。傷を傷跡にするためには、わたしたちはある意味、魯鈍にならなければならぬ。忘れるということはそういうことだ。ゆえに、漱石の語り手と女は以下のごとく立場を別つ。
ここで女は「大切な記憶」が「剥げて行く」ことを厭う。それはすなわち死を求めることへと容易く繋がってゆく。この記憶を抱えたまま死にたい、という主張。これに対して興味深いのは、語り手の、生きる事はいわゆる「時」の経過であり、「癒し」であるとするのに対し、女の生きる事は「時」の経過であり、「記憶の死」であるとするところだ。語り手は女と記憶・感情を共有しないゆえに当然起こる対立だが、つまるところこの処方箋は「死」しかないように思える。記憶を生きながらえさせるためには、肉体を殺してしまいなさい、と。
さて、語り手はここで「時」の威力を説く。記憶の死を折り込んで生きるか、記憶の熱に殉じるか、「時」を軸にして死と生を天秤にかけて見せる。
果たしてこの天秤は釣り合っているだろうか?それを考えるには、「死」と記憶について考えなければならない。
「生よりも死を尊い」と断言して憚らない文学的語り手は、死を「超越」として捉える。生は超克されるものなのだ。感情が肉体を超克していく心中や情死、そうしたものをここでいうひとつの「不愉快に充ちた生の超越」だとするならば、記憶が後退していくことに対して気づかないふりをしながら、茫とした瞳で生きてゆかなければならないことを示唆している。死は一見魅力的に、幻想的に幻視される。しかし、あくまでも凡庸に退屈に、魯鈍に生きること。「時」に身をゆだねること―。
「時」とは、生きることそのものであり、死を臨む喪失者にとって残酷な存在だ。死者には「時」はないように、「時」の統御から外れたところには、暗い穴がある。それは入り口だけしか存在しない深いトンネルのように見える。その入り口は生者の記憶によって存在し、かれらがすべて死者に繰り入れられたとき、その入り口は音もなく閉じる。そうして肉体の死の後に、記憶の死が訪れる。
話を戻せば、記憶を殺すことで、肉体を生かすという不自然に見える表現さえ、肉体を殺して記憶となって生きる死者の存在を見越せば成立できるように思える。生者が死者を思い出すことではじめて、「死者」を「死者」として存在させることができる。死者(記憶)-生者(肉体)。記憶は肉体とこうした意味で二項対立を形成できるかもしれない。
そして、語り手が「死」を美化して饒舌に語れば語るほど、逆に言えば「生」が凡庸で愚鈍なものとして堕してゆくほど、わたしは「生」が魅力的に立ちあがってくるのを感じる。なるほど生は不愉快に充ちているだろう。退屈だろう。熱烈に欠け、凡庸で、ぼんやり暈されているかもしれない。その退屈なグレースケールの日々の中に、ひときわ輝く宝石のような瞬間も、たしかに在る。透明で凡庸の時間だけが、宝石を宝石たらしめる価値をもつ。
死のうとしている魂に、「死ぬな」「生きろ」と無責任に言葉をかけるのは、あまりに容易で、たやすい。暴力的でさえあるその句は、あまりに勢いがあるため、二の矢を継ぎにくい。わたしたちの生きることは、夥しい透明な時間の上に立つ、砂上の楼閣のごとき些少な輝きを、守りながら、探しながら成り立っている。それは生きることの滋味である。そしてその威力は、生きてみたときにはじめて感受できるものであるような気がする。
わたしは、生きている。その一点でわたしは生を無限定に擁護する。不愉快で退屈で魯鈍で卑小でも、生きてゆくこと、その砂金のごとき光輝を信仰する者として、わたしは茫とここに立つ。