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【H】ネット選挙の新時代—2024年日本政治の観察記(5)兵庫県知事選:最後にして最高の…
この記事は以下の記事の続きです。
6、兵庫県知事選—ネットがマスメディアに勝った日
ついに最後の選挙、兵庫県知事選だ。これはネット選挙元年の最後を飾るに相応しい選挙だったが、それを扱う前に、これまでの議論を振り返っておこう。
6-1、これまでの議論の振り返り
本シリーズでは2024年を「ネット選挙の新時代」と名づけ、その新しい時代を東京都知事選・自民党総裁選・衆議院議員総選挙と追いかけてきた。
それは都知事選の石丸伸二から始まった。多数の街頭演説を行い、それを有志に撮影してもらう。それが短く編集された「切り抜き動画」になり、Youtube、X、Tiktokなどで大量に拡散、急速に認知と支持を広めていく手法だ。
この形はその後、一種のビジネス、あるいはむしろ「産業」となった。それは一つの選挙が終われば、次の選挙の「推し」を求める。その「推し」は、石丸伸二、高市早苗、玉木雄一郎、そして斎藤元彦へと移っていった。
石丸現象は、私の理解では、これまでの選挙を支配してきた「高齢者-マスメディア-既成政党」の三角形の反対のもの、つまり「若年層-ネット・SNS-無党派層・政治的無関心」という三角形を、「改革中道」が掴まえたという事態である。
この「改革中道」という規定は、石丸・玉木・斎藤には概ね当てはまるだろうが、高市には当てはまらない。高市よりはむしろ小泉進次郎が来ることが自然だ。
そこで小泉ではなく高市が来たこと、それは「改革」というときに、もはや小泉純一郎(あるいは橋本龍太郎)以来の「構造改革」ではなく、「緊縮財政」から「積極財政」への「改革」こそが求められていることを示唆する。
私の考えでは「構造改革」は「失われた10年」を終わらせるために現れた間違った処方箋であり、「構造改革」と一体のものとして遂行された「緊縮財政」こそが、「失われた10年」を「失われた30年」にしてしまった根本原因に他ならない。私は「構造改革」自体は否定しないが、それが政府支出を過度に制限するものであってはならないと思う。
このことは、もはやネットでは半ばコンセンサスになりつつあると思われるので、ネット選挙が「構造改革」よりはむしろ「積極財政」に追い風になるのは当然である。
この認識に対しては、石丸現象という一種の「空虚」から始まった運動に、はじめて明確な「内容」を与えることになった衆議院議員総選挙において、この運動を引き継ぐことになったのが、通貨発行権のない地方自治体の政治から出発したため「構造改革」志向が強い日本維新の会ではなく、「積極財政」の国民民主であったことも傍証となるだろう。
さて、ここで目を地方政治に転ずると、以上の日本維新の会の規定にも明らかなように、地方自治体の場合には、通貨発行権が欠けているため、(国がよほど「積極財政」に思考を転換しない限り)本質的に「積極財政」は不可能であり、そこでの「改革」は「構造改革」的にならざるを得ない。
ここでいう「構造改革」とは、民営化等を含む行財政改革によって行政の効率化と行政コストの圧縮を図り、そこで生み出された財源をより有益とされる事業に振り分けていくとか、規制緩和によって民間活力を引き出すといった政策のことである。
構造改革論者の用語法を使うなら、非効率を生み出す「既得権益」への「バラマキ」をやめて、小さく効率的な行政を志向しつつ、行政よりも民間の力に期待するのが「構造改革」だ。民間の力に期待する際、重要なのは機会の平等である。だから「構造改革」は、機会の平等を保障すると考えられている教育無償化などとは相性がいい。
地方政治には以上の事情があるから、兵庫県知事選で「風」を吹かせた斎藤元彦が、この「構造改革」路線に見えるのも当然だろう。私は斎藤元彦にはあまり強いイデオロギーを感じない。斎藤は官僚出身の実務家で、イデオロギーが強くないという意味で「中道」であるように見える。彼は「改革」を主張しているが、「改革」といえば地方政治では「構造改革」的でしかありえない。以上から分かる通り、斎藤元彦も2024年の風の特徴たる「改革中道」を典型的に体現しているのである。
ただ、この選挙の場合、真の問題は「政策」などでは全然なかった。それは異例づくめの選挙だった。
今回の兵庫県知事選に至る特異な過程が、それまでの三つの選挙で始まり、継承され、発展してきたネット選挙の新時代の流れと、これまた極めて特異な形で合流したこと、それがこの兵庫県知事選を、「ネットがオールドメディアに勝利した」と評されるような、ネット選挙新時代の元年の最後を飾るに相応しい劇的なドラマへと仕立てあげることになったのである。
6-2、兵庫県知事選―ネット選挙新時代元年、最後にして最高の「THE MATCH」
まず、この選挙に対する私の立場を明示しておく。この選挙に関しては、相互にあまりに異なる見方が並立しており、どの立場をとっているかの明示なくしては、選挙の経過を語ることすらできないからだ。それくらい立場によって見えてくる経過自体が異なるのである。
そもそも、どんな立場が存在するのか。
まず「反斎藤派」の立場がある。それを少々戯画的に表現すれば、「斎藤元彦はパワハラで部下を死に追いやっておきながら、それについて道義的責任を感じることもない極悪非道の権力者であり、さらにおねだりや公金の不正支出等、様々な疑惑に塗れた人物だ」ということになろう。
他方に「斎藤擁護派」の立場がある。こちらも戯画風に表現すれば、「斎藤元彦は、60年政権交代のなかった兵庫の既得権益に切り込み、その財源を現役世代・若者世代の支援に切り替えようとした改革者だが、これに反発する既得権益層にハメられて、知事の職を追われた。だが、斎藤は自分の信じる政策を実現するため、一人ぼっちになっても諦めずに再起を目指す。斎藤は稀に見る信念の政治家だ」ということになる。
最後に「中間派」の立場がある。この立場は上の二つの立場のどちらが正しいかについては判断を停止し、「告発文書から始まる斎藤元彦の疑惑については、まだ何も結論が出ていない。不信任決議は拙速であり、斎藤知事のもとで百条委員会や第三者委員会の調査を完遂してから、その次の判断をするべきではないか」と考える。この立場は、そもそも今回の選挙は行われるべきではなかったと考えるので、結果として、今回の選挙では原状回復の意味で斎藤元彦が当選するべきだと考える。
私は「斎藤擁護派」よりの「中間派」の立場を取る。斎藤支持の最終論拠自体は「中間派」的な「まだ結論が出ていないから」というものだが、そのような立場を取る背景として「告発文書に始まる疑惑には不可解な点が多すぎる」という「斎藤擁護派」の情報や考察を多く取り入れている。ここについて詳しくは以下の二記事を参照のこと。
さて、この「斎藤擁護派」よりの「中間派」の立場から、選挙に至る過程を振り返る。
発端は3月に当時の西播磨県民局長から斎藤県政の「7つの疑惑」をめぐる告発文書が複数の県議会議員やメディアに送付されたことだ。斎藤知事側は、この文書の情報をキャッチすると、誹謗中傷性が高いとして調査を開始、上記の局長の公用PCより、告発文書ファイルを発見。この公用PCから発覚したいくつかの問題行為によって局長を処罰した。
局長は、この処分を不服として4月に県の公益通報窓口に再度通報したが、3月の件での処分が5月に確定した。この時点では告発文書は真面目に取り扱われていなかったが、その後、一定の事実が含まれていたとして、議会が百条委員会を設置して調査を開始する。
7月にその百条委員会で局長が証言をすることになっていたのだが、その直前に局長が「一死を持って抗議する」との言葉とともに自殺するという事態が発生。これが転機となって、斎藤知事がパワハラで部下を自死に追い込んだかのような報道がなされ、「7つの疑惑」のなかの「パワハラ・おねだり疑惑」などが連日ワイドショーで面白おかしく報じられ続ける事態となった。
このころの世論は斎藤知事悪玉論一色に染まり、そのような空気の中で、百条委員会ではまだ何も結論が出ていないにも関わらず、「県政に混乱と停滞をもたらした」という一点をもって県議会で知事の不信任案が提出され、全会一致で可決されることになった。
その後、斎藤知事は出直し選挙に臨むことになる。そして、選挙となるとマスメディアは、公平性・中立性の美名のもとに当たり障りのない報道に終始する。その情報空白のなかで、ネットでは斎藤悪玉論に対するカウンターとなる新情報や新考察が続出。
具体的には、局長の公用PCに不倫日記があるとする片山前副知事の百条委員会秘密会での証言の音声や、その会の直後の囲み取材の音声が重要だった。前者では奥谷百条委員会委員長が、後者ではNHK・朝日新聞・読売新聞の記者たちが、どういうわけか必死で片山前副知事の証言を妨げ、無かったことにしようと努めていた。
また、パワハラ・おねだりについても、百条委員会で結論が出ていないこと、内部通報窓口の調査ではそれらが認定されなかったこと、また、一部については、明確に捏造だったこと等が周知されることになった。
さらに公益通報者保護法をめぐっても、主に第11条の外部通報への適用の有無をめぐり、対応に法的な問題はなかったとする対抗的な考察が出てきていた。
こういった情報や考察の積み重ねによって、斎藤悪玉論の極端に触れていた世論が、斎藤善玉論の極端へと一気に揺り戻される。
この揺り戻しが間一髪で間に合い、斎藤元彦は初めは大きくリードしていた対抗候補を差し切ることができたのである。
マスメディアが徹底的に悪人に仕立て上げた斎藤元彦が、ネットでの情報拡散の力によって、一気に善玉へと祭り上げられていき、選挙でありそうもなかった奇跡的な勝利を勝ち取る。
石丸・高市・玉木らはネットで勢いを得たが、選挙中、別段マスメディアで叩かれていたわけではなく、むしろ、そのネットでの人気がマスメディアへと波及していくような相乗効果を生み出していた。ネットとマスメディアはある意味で歩調を合わせていた。
それに対して、事態の特異な経過によって、兵庫県知事選は、マスメディアが語ることと、ネットで語られることが真っ向対立するという事態が生じたのである。
そして、そのことによって、ネット選挙新時代の元年は、ネットが影響力を拡大するというのみならず、ネットがマスメディアを上回る、ネットがマスメディアに勝利するという劇的な幕切れを、最後に見ることになったである。
まさに事実は小説よりも奇なり。この最高の結末をもって、ここで一旦、本シリーズを終わりにすることにしたい。(了)