【H】「円安」問題について考える
今回は「円安」について考えてみる。
1、為替レートは実際の取引に応じてのみ変動する
なぜ「円安」が進むのか。このことの究極的な答えは一つで、要するに円を積極的に買う人たちより、円を積極的に売る人たちの方が多いからである。
このように言うのは、為替市場における交換レートは、それ以外の何か、たとえば金利などの変化に応じて自動的に変化するわけではなく、実際に取引が行われることによってのみ変動していくからである。
取引を行う人たちがいて、その人たちの取引の方向性、円安か円高か、どちらかが強く、どちらかが弱いという不均衡があることで、レートが動いていくのだ。
さて、ここで「人たち」といっても、問題は人数ではなく金額である。100人が1万円づつ円を売ろうとし、1人が1000万円分の円を買おうとするとき、円を買おうとする力の方が強いだろう。レートは円高に向かうだろう。
また、「積極的に」ということもポイントである。円がここまで安くなったら買うという待ちの姿勢の人は、レートを主体的には動かさない。レートがその人の指定の価格まで動いてきたときに、その動きをいくらか押し留める役割を担うだけである。
レートを主体的には動かすのは、いくらでもいいから、とにかく今の値段で買うという人たちである。いわゆる成行注文をする人々だ。こういう人たちの注文が、さきに述べた待ちの人たちの注文、いわゆる指値注文を食っていき、その過程でレートが動いていくわけだ。
2、実需・投資・投機—三つの取引動機
為替レートは実際に取引が行われることによってのみ動く。とすると、その動きについて知るためには、為替の取引動機にはどのようなものがあるのかをまず知らなければならない。
私はこれを簡単に「実需・投資・投機」の三つに分けたいと思う。
2-1、実需面での円安要因—エネルギー赤字とデジタル赤字
実需は国際収支のなかの貿易収支やサービス収支に現れるものだ。
貿易収支はモノの国際取引に関わるものだ。自動車をアメリカで売ってドルを得たので、ドルを売って円を買って、円に戻す(日本の貿易黒字)。あるいは原油を買うために、円を売ってドルを買って、そのドルで原油を購入する(日本の貿易赤字)。
サービス収支はモノ以外の国際取引に関するものだ。Youtubeプレミアムの利用料を払うために円を売ってドルを買って、そのドルを支払う(日本のサービス赤字)。日本に旅行に行くために、ドルを売って円を買い、日本でその円を使う(日本のサービス黒字)。
日本はかつて大幅な貿易黒字を稼ぐ国だったが、円高やアメリカの圧力による生産拠点の海外移転や、中国・韓国・台湾などの追い上げで貿易黒字が減少していくなかで、2013年の東日本大震災後は原発が止まり輸入原油依存が高まった結果、貿易赤字が常態化している。
また、サービス収支に関しては、インバウンドや漫画・アニメ等のコンテンツ産業が一定の黒字を稼いでいるものの、GAFAなどのクラウドサービスやプラットフォームビジネスなどに支払う、いわゆるデジタル赤字によって、こちらも赤字が常態化している。
このように実需面では、貿易収支・サービス収支ともに赤字であるために、現状では円安圧力が大きいことは否定できないだろう。
2-2、実需面での円安対策—経済安全保障のために
過度な円安は問題である。日本は食糧やエネルギー(原油)など生活必需物資の輸入依存度が高いため、円安は輸入食品や輸入エネルギーの価格上昇を通じて、ここ数年のような悪いインフレを引き起こしてしまう。
ここで「悪い」というのは、海外に支払うコスト上昇が価格上昇を引き起こすために、実質賃金が基本的に下がってしまうからである。価格上昇分が海外へのコスト支払いに回されるため、賃上げが十分にできずに、普通の人は実質的に貧しくなってしまう傾向があるのだ。
これへの対応策には円安によって利益を得た企業等からの分配を強化するということもあるが、円安そのものへの対応もある。それは上記に挙げた四つの例が代表する四つの面のすべてにおいて遂行されうる。
貿易黒字を稼ぐという面に関しては、円安を利用して生産拠点の国内回帰が進められる環境づくりが重要だろう。
貿易赤字を減らすという面に関しては、農家の戸別所得保証や大規模化による食物自給率の向上や、原発の活用に加えて技術の向上に伴う形での再生可能エネルギーの普及に努めることで、食料やエネルギーの輸入への依存を減らしていくことが大切だろう。
生活必需物資の輸入依存度を減らしておけば、円安を防げるのみならず、そもそも円安になってもどうということはないということになるだろう。
また輸入依存度の低減は、単に円安による物価高を防ぐという観点のみならず、国際情勢の急変時にも安定的な供給を確保するという経済安全保障の観点からも決定的に重要である。
経済安全保障は、コロナ禍におけるサプライチェーンの混乱や、ウクライナ戦争以後の新冷戦構図の本格化、ガザ戦争以後の西側先進国の孤立化といった事情を考えるとき、もはや無視することの許されない視点である。
サービス黒字を稼ぐということに関しては、近年のアニメ・漫画等のコンテンツの輸出と、インバウンドによるサービス黒字との好循環が続くような環境整備が望まれる。
サービス赤字を減らすという点については、国際関係等もありなかなか難しいだろうが、究極の手段は規制だろう。中国にアリババやバイドゥやテンセント(やPDDやSHEINやバイトダンス)などのビッグテック(?)が生まれたのは、規制によって中国のインターネットが海外と切り離されていたからに他ならない。
インターネット関係の事業は、主力商品がほぼノーコストでコピーできるデータであるために一気に広まりやすく、広まるとネットワーク効果(私たちがあるSNSを選ぶのは、それを使っている人が多いからだ)でさらに広がりやすくなる。
この構造は容易に独占に繋がり、独占によって保証される収益が、さらなる技術開発や他企業の買収を可能にするので、ますます特定の企業が強力になり独占的になっていくというポジティブフィードバックループが存在する。
規制によって外資を何らかの程度で締め出せば、国内でこのループが始動することにより、ビッグテックというほどではなくても日本版のミドルテックがさほどの困難なく生まれてくるように思われる。中国企業がやったのと同様に、要するにGAFA的なものをパクるところから始めれば良いのだから。
経済安全保障ということが言われるなかで、こういったクラウドサービスやプラットフォームの国産化ということが当然とされる世界がいずれはやってくるかもしれない。
2-3、投資面の円安要因とその対策—海外投資は国内投資よりも良い!
ここで投資面と呼びたいのは、国際収支のなかの第一次所得収支や金融収支に現れてくるものである。
第一次所得収支とは、過去に投資した株の配当や債券の利子であり、これが大幅に黒字であることで、貿易収支やサービス収支の赤字を打ち消して、貿易・サービスに所得収支を加えた日本の経常収支は、大幅に黒字であることが知られている。
ならば、全体的には円高になりそうなものだが、これで円高にならない理由として、この所得は円転されずに、そのままドルで再投資に回されるからだという議論がある。実際に円安になっていることからみると、これは一定の妥当性のある議論だろう。
金融収支には、新規の投資に関わる項目が含まれる。たとえば、NISAで海外株式に新たに投資をすれば、円売りドル買いが行われて、そのドルで買った海外資産が増えるわけだが、これは円安要因である。新NISAで円安というのが、2024年には大いに話題となった。
まとめれば、第一次所得収支は大きく黒字で円高要因のはずだが、円転されないので実際には円高要因としてさほど働かない。金融収支の証券投資などの面については、新NISAという家計の海外投資をうながす施策の影響もあって、円売りの円安要因となっていると思われる。
これについての対策として、新NISAは国内投資に限定すべきだったという意見もあるが、私はこれには与しない。確かに直近だけを考えれば、新NISAの海外投資は円安要因だろうが、多くの日本人にとってハードルが高い海外移住をするのでない限り、海外投資はいずれは利益確定され円転されるのだから。それまでに収益が上がっていれば、その分、円を買い支える大きな力となるわけだし、また円安が進んだ時ほど利益確定すれば利益が大きくなるので、円安に対する歯止めとしても働く。
そもそも、金融的な投資はお金が誰かから誰かに流れていくだけの、誰かが得をすれば誰かが損をするゼロサムゲームに過ぎず、国家の視点で見れば、国内でそんなをことをいくらやっても無意味である。何も生み出さないままお金が横から横に動いていくだけだからだ。
国家の視点で有意義な金融投資とは、海外から稼いでくる金融投資、すなわち、海外への金融投資だけである。というのも、その儲けでもって、自国通貨が買い支えられて購買力が保たれたり、あるいは直接に海外からモノやサービスを購入したりできるのだから。
その意味で、この投資面での円安要因に対する対応策は海外投資の制限ではなく、むしろ、うまく投資で儲ける方法(といったものがあるとすれば、それ)を教育した上での、海外投資の奨励であるということになるだろう。それは一人一人が外貨を稼ぐ輸出業者になるようなものである。
これは直近では円安要因になるとしても、将来的にはより強力な円高要因になるはずなのだ。
ただ、もちろん、投資は負けるリスクもある以上、さほど国家的に奨励すべきものとは思われないのも事実である。
2-4、投機面の円安要因—円安要因とされるものが円安要因だ
投機とは、これまでの実需や投資が為替取引以外の目的を持っていたのとは異なり、為替取引そのもの、そこでの値動きから利益を引き出すことを目的とする取引である。
投機は短期的であり、すぐに反対取引で決済されるから、為替レートにはあまり影響しないなどとも言われる。しかし、実際の取引に占める投機のボリュームは圧倒的であり、2024年に話題になったキャリートレードなどかなり長期で持ち越す投機もあることから、軽視してはいけないと思う。
この投機の行動原理は単純である。円が安くなると思ったら円を売り、円が高くなると思ったら円を買う。
しかし、何らの手がかりなしに「思う」ことはできない。ここで手がかりになるのが、上で述べてきた実需や投資に関わるデータである。
たとえば、日本の貿易黒字が大きいとなれば、これは日本企業のドルでの売り上げが円転されるから円高だと思って、円を買う。アメリカの金利が上がるとなれば、これは日本からアメリカへの(債券)投資が増えるだろうから円安だと思って、円を売る。
ポイントは、貿易黒字や金利が為替レートにどれほどの影響を持っているか(だけ)が重要なのではないということだ。周りの投機家が、それらがどれほど影響を持っていると思っているかも重要なのである。
というのも、実際には金利の債権投資への影響、したがって為替レートへの影響など全くなかったとしても、投機家がみんな影響があると思っていれば、みんなでこぞって円を売り、実際に円安が進行するからだ。
かつてケインズが株式市場について美人投票のたとえでのべたことだが、株式市場で儲けるために重要なのは、いい株を見つけることではなく、みんながいいと思う株を見つけることである。どんなにいい株でもみんなが見向きもしなければ、その株は上がらないのだ。逆にどんなに悪い株でも、みんながいいと思い込んだら上がるのである。
これと同様に、為替投機において重要なのは、為替を動かす強力な要因を見つけることではなく、みんなが強力な要因だと思っている要因を見つけることである。
ただ、もちろん、みんなが一定の認識能力を持っている限り、みんなが強力な要因だと思う要因は、実際に強力な要因であることが多いことも事実だろう。思い込みというものが永遠に事実に反したままで生き延びることは多くないからだ。
かつては貿易収支が重要な要因とされたが、資本移動が自由化され、海外への(債権)投資が活発になるにつれ、その動向を左右する金利がより重要な要因だとされるようになってきている。現在のところ、投資を左右し、それによって投機を左右する最大の原因は金利だということができる。
2-5、投機面の円安対策—「新NISA出デテ、日本経済亡ブ」(?)
とすると、投機面での円安対策は、金利を上げることである。これが実際、2024年、とくに7月に日銀が行ったことに他ならない。それが色々な要因がかさなって令和のブラック・マンデーを引き起こしたわけだ。
だが、その後、結局日銀は利上げを継続できず、再び円安が進んでいる。なぜ、日銀は利上げができないのかといえば、国内の景気が心配だからだ。利上げは基本的には景気を冷やす。
とすれば、必要なのは財政政策である。給付金や一時的な減税は貯蓄に回る率が高く消費に回りにくいため、景気浮揚効果が弱い。必要なのは恒久的な減税や社会保険料の減額だ。いま流行りの「手取りを増やす」である。
また、日本で消費が抑制されているのは将来不安があるからだ。将来が不安なら消費するより貯蓄をしたくなる。それで誰もお金を使いたがらないから、いつまで経っても景気が良くならない。
さて、この将来不安の大きな要因になっているのが、年金といった社会保障の破綻への懸念であり、それは結局、国家財政の破綻への懸念である。国の借金1000兆円という例のアレである。
これについては、一刻も早く、日本が財政危機というのは古い経済学に基づいた時代遅れの考えであり、実際のところはデマであることが知られなければならない。国の借金の額自体は、1000兆円だろうが2000兆円だろうが何にも問題はなく、それでもって国家財政の将来を憂い、自らの将来を不安に思う必要はない。
問題は、本来はそのように宣言すべきところ、将来の年金等への国民の不安を追認するかのように、新NISAなどという制度を作って「貯蓄」を奨励している日本国政府の政策である。
「貯蓄から投資へ」というのが日本では数十年来のスローガンになっているが、このスローガンは無意味であり、その実態は「貯蓄から貯蓄へ」なのだ。
というのも、新NISAでいう投資とは、本質的に中古市場である株式市場で株の転売が繰り返され、お金が金融市場でぐるぐると回るだけであって、経済学でいう企業の設備投資等の「投資」とは違い、それが実際の需要を作り出すわけではないからだ。
設備投資等の「投資」は実際に資材を買い、労働者を雇って、工場を建てるといった仕方で需要を生み出すが、金融的な「投資」は、例えば、株式の中古市場において、実事業とは何も関係のない人の間で、株式とお金が交換され続けるだけである。その限りで、それは「貯蓄」にすぎない。
それどころか、新NISAは理論上は景気の悪化すら引き起こしうる。そもそも金利を上げると景気が冷えると言われるときに想定されているメカニズムの一つは、金利が上がると預金金利も上がるため、消費をするより貯蓄をした方が有利になって消費が減るというものである。
そう考えると、新NISAでたとえば米国株は右肩上がりですごい利益が出る云々という宣伝は、非常に高い預金金利が提供されているかのようにいうのと等しいのであって、「消費よりも(新NISAで)貯蓄だ!」ということにもなりかねない。
それは消費の下押し圧力、景気の押し下げ要因となる。大袈裟に言えば、「新NISA出デテ、日本経済亡ブ」と言うことにもなりかねないのである。