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著者が語る:「ウィーナーとフォン・ノイマン」

「ウィーナーとフォン・ノイマン」という論考を『現代思想 特集 ウィーナーとサイバネティクスの未来』2024年7月号、pp. 70-79 に寄稿した。
 
ノーバート・ウィーナーは、ジョン・フォン・ノイマン以上の神童として知られ、「サイバネティックス」を創案し、「人間機械論」を主張し、ノイマンとは別の意味で現代社会に大きな影響を与え続けている天才である。

ウィーナーは、核兵器や水爆開発に反対し、合衆国の連邦政府や軍部に関わることを拒否して、ノイマンと同時代にまったく正反対の行動を取った。ノイマンが徹底した「経験主義者・現実主義者・好戦主義者」だったのに対して、ウィーナーは明確な「合理主義者・理想主義者・平和主義者」だった。
 
実は、『フォン・ノイマンの哲学』で20世紀の一方向の「マッド・サイエンティスト」を描きすぎた感があって、少し気になっている。いずれ、その対極から『ウィーナーの哲学』を仕上げるつもりである。

「ウィーナーとフォン・ノイマン」は、その序論となるはずの論考である。下記に、その一部を紹介しよう!

二人の天才の「不和」

ウィーナーは、九歳年下のノイマンのことを非常に高く評価していた。一九三七年四月、メリーランド州のジョンズ・ホプキンズ大学へ講演に行く途中には、プリンストンのノイマン邸を訪れ、話が弾んで四日間も続けて滞在している。

当時、中国北京市の清華大学で一年間の研究を終えたばかりだったウィーナーは、ノイマンにも中国行きを勧め、清華大学学長宛に推薦状を書いている。

「先週、私はフォン・ノイマン教授夫妻に招待されてプリンストンに滞在しました。夫妻は、機会があれば中国を訪問したいそうです。フォン・ノイマンは、世界で一、二を争う優秀な数学者であり、民族や人種に対する偏見は少しも持っていません。貴校の若い研究者は、彼からすばらしい刺激を受け、研究成果を上げることに間違いありません」

その直後、大日本帝国軍が盧溝橋事件を勃発させて華北に侵攻したため、ノイマンの中国訪問の話は立ち消えになった。

次にウィーナーは、ノイマンをマサチューセッツ工科大学に招聘しようと、機会があるたびに何度も画策した。一九四五年には学長面接までこぎつけて、ノイマンの承諾寸前まで説得を続けたことは、すでに述べたとおりである。

この件では、結果的にノイマンから断られたウィーナーが、マサチューセッツ工科大学の内外で面子を潰された立場になった。それに対する不満が、その後の二人の「不和」の潜在的な要因の一つとなったとも考えられる。

二人の天才に焦点を当てた評伝『ジョン・フォン・ノイマンとノーバート・ウィーナー』を著したスティーブ・ハイムズは、「もしマサチューセッツ工科大学で二人が共同研究を始めていたら、激しい衝突が起きていたに違いない」と述べている。もしかすると、先見の明のあるノイマンは、そのことも見越して招聘を受けなかったのかもしれない。

一九四六年三月八日、第二次世界大戦中に中断していたジョサイア・メイシー・ジュニア財団の後援による国際会議が再開された。ニューヨークのマンハッタンに位置するビークマン・ホテルに、ノイマンとウィーナーをはじめとする二〇名の多彩な分野の科学者が集結した。

議長を務めたのはマサチューセッツ工科大学の神経生理学者ウォーレン・マカロックである。彼は「形式ニューロン」と呼ばれる人工ニューロンのモデルを構築したことで知られる。それを手伝ったマカロックの同僚の論理学者ウォルター・ピッツも参加している。さらに、プリンストン高等研究所のビゲローのような情報工学者や、精神科医、社会心理学者、マーガレット・ミードと彼女のパートナーのグレゴリー・ベイトソンのような文化人類学者もいた。

最初にノイマンが「コンピュータの機能と将来性」について講演した。ノイマンは「プログラム内蔵方式」を二進法で機械に組み込む「ノイマン型アーキテクチャー」の主旨を解説し、プリンストン高等研究所で、その設計図に従ってデジタル・コンピュータの構築が始まったばかりだと述べた。大多数の参加者は、「コンピュータ」の実現化が進んでいることを初めて知って、驚愕したという。

ところが、ノイマンが話している最中にウィーナーが割って入り、その機械が「この文は偽である」のようなパラドックスに遭遇するとどうなるのかと尋ねた。ウィーナーは、「最初は真と判定し、次には偽と判定し、また真と判定し、判定不可能状態に陥るのではないかね」と批判的に述べた。

さらにウィーナーは、機械はどのように「善悪」を判断するのかについても疑問を投げかけている。実際には、この種のパラドックスや倫理的判断が本質的な問題になるのはコンピュータが遥かに進化して人工知能のように「考える」状態が生じる場合に限られる。

現代のコンピュータは、内部に何らかの論理的矛盾やランタイム・エラーなどが探知されたら、その時点で「フリーズ」し、人間が「リセット」するのを待つのが普通である。

要するに、ノイマンは実現化し始めたばかりのデジタル・コンピュータについて話しているにもかかわらず、ウィーナーはその開発の最終到達点で生じうる観念的な疑問を呈したわけである。

ウィーナーは、いかなる問題に対しても最終地点まで全体論的に見渡そうとする「合理主義者」だった。その彼からすれば、もしかすると悪意のない質問だったのかもしれないが、講演を中断されたノイマンは愉快ではなかったに違いない。

これは拙著『フォン・ノイマンの哲学』でも詳しく述べたことだが、そもそもノイマンは生涯を通して哲学的信念を伴う論争には立ち入らなかった。たとえば彼は『量子力学の数学的基礎』で当時の量子論を数学的に厳密に公理体系化したが、量子論の解釈問題には著書や論文では一切踏み込んでいない。彼は徹底した「経験主義者」であり、観念的あるいは哲学的な論争を嫌っていたのである。

ノイマンは、感情的な人間とも議論しなかったが、それは言い争っても時間の無駄と考えていたからだと思われる。彼は、自宅のパーティでゲストが議論を始めそうになると、すぐにジョークで巧みに話題を逸らすというホスト役を務めていた。

というわけで、この戦後最初の「メイシー会議」において、二人の天才の間には亀裂が生じたと考えられる。

ハイムズによれば、その後も二人はさまざまな会議で一緒になったが、ノイマンが講演する際にウィーナーは「これ見よがしに落書をしたり、いびきをかいて寝たり」し、ウィーナーが講演する際には「最前列に座ったノイマンが、これ見よがしにガサガサと音を立ててニューヨーク・タイムズ紙を広げた」りしたという。
 
サイバネティクス

一九四八年一〇月、ウィーナーは『サイバネティクス』を上梓した。この「サイバネティックス(cybernetics)」という言葉を彼はギリシャ語の「キベルネテス(舵を取る者)」から思い付いたと述べている。英語の「コントロール」よりも広い意味で、あらゆる刺激に反応する生命や機械を総称して研究対象とする。「サイボーグ」(人造人間)や「サイバー・スペース」(電脳空間)のような用語は、そこから派生している。

『サイバネティクス』は、サブタイトルの「動物と機械における制御と通信(Control and Communication in the Animal and the Machine)」に表れているように、「動物と機械」を同じレベルの理論で扱うことができ、それを可能にするのが「制御と通信」という新たな概念であることを示している。

この書籍は、時代を先取りする「新規性」と幅広い学問分野を統合する「学際性」の二面から大いに評判になった。『サイエンティフィック・アメリカン』『ニューズウィーク』『タイム』といった主要雑誌がウィーナーとサイバネティクスの特集を組んだ。発行後の半年間で、アメリカでもフランスでも五刷が増刷された。ウィーナーは「この本が科学書のベストセラーになって誰もが驚いた。もちろん、私自身もビックリした」と述べている。

ノイマンは、『サイバネティクス』に対する二ページの綿密な書評を『Physics Today』(一九四九年五月号)に発表した。ここで彼は、本書が「非常に独創的な書籍」だと褒める一方で、「誇張された理論がアプローチの新鮮さで覆われている」とも批判している。

ウィーナーは、これまでの「科学と技術」が対象としてきた「物質・物理力・エネルギー」の概念に代わり、これからは「構造・組織・情報・制御」の概念が「加速度的」に重要になっていくと主張する。ノイマンは「この種の主張は、一般に誤解を招くという意味で危険」であり、「専門的な文脈を外れると怪しい」と懐疑的に述べている。ただし「もしその背景に真の文脈」があれば、それは「重要で価値のある」ものになり得るとも述べて、「フィードバック・ランダムネス・エントロピー・情報・熱力学」などの個別概念に対して専門的な考察を加えている。

この書評を読むと、ノイマンがウィーナーの「楽観性」を皮肉っている様子が目に浮かぶ。というのは、実は当時のノイマンは「人間の脳は絶望的なほどに複雑」であることから、単純な神経ネットワークから脳をモデル化するような方法論そのものを疑問視するようになっていたからである。

一九四八年九月二〇日、「神経系はどのようにして行動をコントロールしているのか」をテーマとするヒクソン・シンポジウムがカリフォルニア工科大学で開催された。このシンポジウムで講演したノイマンは、「そもそも神経細胞は、すべてがデジタルな器官ではない」と述べ、「脳の化学過程は電気的なインパルスよりも重要」であり、脳科学のためには既存の「論理」そのものを見直さなければならないとまで主張した。さらに、彼は当時のウィーナーの方針と真っ向から対立して、サイバネティクスが依拠する神経ネットワークは「機械のモデルとしても、脳のモデルとしても、中途半端で成立しない」と断言した。このノイマンの発想の転換は、多くの科学者たちを驚かせた。

一方、『サイバネティクス』によって有名人となったウィーナーには、多くのジャーナリストが付きまとうようになった。あるときウィーナーが「機械が自己増殖する可能性」について記者に話したところ、それが「機械が子どもを産む」ニュアンスで受け止められ、「機械の性行動はどんなものか」というジョークのような記事にされてしまったことがある。

ノイマンは、もちろん「機械が自己増殖する可能性」を「オートマタ理論」で数学的に厳密に追究していたことで知られる。口の軽いウィーナーを愉快に思わなかったノイマンは、ウィーナーに「私はこれまで簡潔に生きてきたので、マスコミなどとは何の関わりもありません」と皮肉な手紙を送っている。

高橋昌一郎「ウィーナーとフォン・ノイマン」『現代思想』2024年7月号、pp. 75-78.

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