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ダラダラできない だらし無さ

今年の2月
私は事務所を撤退し、次の仕事先も見当がつき、3月から働き始める
何もしないでいい1ヶ月を経験した。
今思えば
どこかに旅行でも行けばいい
何もしないでぼーっとすればいい
とても呑気なものだ

しかし実際には
苦しくて苦しくて
ものすごく辛かった
事業の失敗、そんな自分に生きることは許されていない気がした。
だからとにかく勉強をした。
たくさん資格を取って、会社で働けるタイムスケジュールで動けるように作り置きレシピを研究した。
休養より、次の仕事の準備に全力を注いだのだ。

『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』という本を読むと
その時の感情がありありと見えてくる。
この本では
私たちは仕事で人生を形成している。
社会がそう構成されている。
と解いている。
いい悪いは別として
私は思いっきりその判断基準で生きている。
だから仕事をしていないと辛い
稼いでいないと、あるいは自分の関わる事業が拡大していないと自分を否定されたように感じてしまう。

この本の事例として修道院が出てくる。
稼ぎ口としてITを行っていた修道院は需要がありすぎて祈る時間を取られるのでその事業から撤退した。

仕事は誘惑であると

働くということが煩悩だという考えは初めて。

この働くと言う煩悩を如何に切り離すかがとにかく難しいと、言っていた。

私は煩悩まみれだ。

苦しくなければその中で泳ぐのも素敵かもしれない。
でもそれが清いものではなく、煩悩なのだと言う事も同時に意識するのは大切なのかも。

気を抜くとすぐ働いてしまう。
効率化を考えてしまう。
ゆったりダラダラできない。

ダラダラできないなんて
まったく、だらしのない生活だ。

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40歳高卒の経営者がインターンになってハーバードを目指す
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