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初めて『オペラ座の怪人』を見たらあまりに良すぎて暴れそうになった話

映画『オペラ座の怪人』公開20周年記念4Kデジタルリマスターを観た。

『オペラ座の怪人』はかの有名なメインテーマを知っているくらいのざっくりした薄い知識しかなく、ミュージカルも映画も小説も、メインテーマ以外のものは今の今まで何一つ摂取して来なかった。
せっかく上映していることだし、しかも4Kデジタルリマスターだし、こんなチャンスは二度と来ないだろうし、事前の履修なしに観に行ってきた。

あまりに良すぎて狂っちゃった。大感激。2回観てきた。復刻パンフレットも買ったし、原作の小説も買った。メルカリで中古のDVDも買ってしまった。公式から復刻DVDないしBlu-ray(難しいかもしれない)が出たらもちろん買うつもりである。オタクの行動は何せ音速より早いのだ。

なぜ今まで観たことがなかったのかが不思議なくらいに全てが好みだった。なぜこれを避けて通れて来れたのか? 誰か私にプレゼンしてくれても良かったでしょ!(責任転嫁)
好きすぎて暴れそうなので、落ち着くためにに『オペラ座の怪人』を初めて観た人間の叫びをここに書き記しておく。
なお、ミュージカルはYouTubeに上がっている動画をいくつか観たのみで通しでは未視聴。購入した原作小説は2022年に発売された新潮文庫の新訳版。読破した暁には別途感想を書きたいと思う。
物凄く長いので暇で死にそうな時にでも読んでやってください。

※ここで言う『映画版』とは2004年公開の映画のことを指します。
※noteを書くにあたり、人名はすべて敬称略とさせていただきました。
※ネタバレにご注意ください。
※解釈違いがあってもお許しください。

はじめに『オペラ座の怪人』とは

オペラ・ガルニエ

とりあえず後学と後々の自分のために情報を整理する。まず『オペラ座の怪人』の簡単な概要。

『オペラ座の怪人』(オペラざのかいじん、フランス語: Le Fantôme de l'Opéra)は、フランスの作家ガストン・ルルーによって1909年に発表されたゴシック小説。1909年9月23日から1910年1月8日まで日刊紙『ル・ゴロワ』に連載されていた。1910年4月、ピエール・ラフィットにより出版された。

Wikipedia

著者のガストン・ルルー(1868年5月6日〜1927年4月15日)はフランスの小説家、新聞記者。1867年生まれの夏目漱石とちょうど同じ世代にあたる。
ゴシック小説とは18世紀末から19世紀初頭にかけて流行した神秘的や幻想的な小説のことで、今日のSF小説やホラー小説の源流とも言われている。
舞台のモデルになったのはフランスの首都・パリにある歌劇場『オペラ・ガルニエ』。『ガルニエ』は建築家のシャルル・ガルニエに由来する。単にオペラ座(l'Opéra)と呼ばれることもあり、パリ国立オペラの公演会場の一つになっている。

ルルーは執筆にあたってオペラ・ガルニエの構造や建築経過を取材しており、劇場が建設された当時の幽霊話や事件などを用いて『オペラ座の怪人』を執筆した。
例えば映画の序盤に登場し、終盤に天井から落ちてくるオペラ座のシャンデリア。実際に、オペラ・ガルニエでは1896年にシャンデリアの一つが釣り合いを取っていた重りの破壊によって天井から客席へと落下し、観客に死者が出ている。

オペラ・ガルニエの地下に貯水池があるのも事実である。ごく普通のコンクリート製の地下貯水池のようだ。この劇場は湿地帯にあるため建設中から出水に悩まされており、その水を貯めるために造られた工夫である。今はパリ市の消防士が管理をしており、数年に一度水を抜いて大掃除をしているそうだ。

そんなオペラ・ガルニエの背景とルルーの取材があってこその『オペラ座の怪人』。創作にはフィールドワークがなによりも大事なのだと気付かされる。ぜひともその姿勢を見習いたいものである(がんばろう!)。

『オペラ座の怪人』とサラ・ブライトマン

私が初めて『オペラ座の怪人』に触れたきっかけはサラ・ブライトマンだ。サラはイギリスのソプラノ歌手であり女優でもある。

幾度もミュージカル化、映画化等々されているルルーの『オペラ座の怪人』だが、サラは1986年のアンドリュー・ロイド・ウェバー版『オペラ座の怪人』のミュージカルでクリスティーヌ・ダーエ役として出演している。
映画版の復刻パンフレットによると、ロイド・ウェバー版より先に存在していたケン・ヒル版ミュージカルのクリスティーヌ役として、当時ロイド・ウェバー夫人だったサラがオファーを受けたことが全ての始まりだったようだ。サラはケン・ヒル版のオファーを断ったが、その後ケン・ヒル版と違った視点から描かれたロイド・ウェバー版が生まれ、サラが晴れてクリスティーヌ役に選ばれた。

サラ・ブライトマンは日本とも関係が深く、彼女の曲はサッカー・ワールドカップやサッカー・日本代表戦の中継、CM等々、様々な場所で使用されているため一度は耳にしたことがあるはずだ。
私が中高生の時に通っていたパソコン教室でも、BGMとしてアルバムを流していた。その時に流していた『オペラ座の怪人』の有名なメインテーマが収録されている『Diva: The Singles Collection』は、私の大好きなアルバムの一つである。このアルバムの2曲目に収録されているのが『Music Of The Night』だが、私は映画を観るまで『オペラ座の怪人』の挿入歌だと知らなかった。

2004年映画版『オペラ座の怪人』

2004年版の映画は前述のロイド・ウェバー版と呼ばれるミュージカルをベースにした作品である。今回、私が観たのは20年前に35mmフィルムカメラで撮影された映画版の4Kデジタルリマスター。『オペラ座の怪人』は35mmフィルムで撮られた最後の大予算映画の一つだと公式サイトにある。
映画版はロイド・ウェバー本人が隅々に至るまで舞台版に限りなく近いものになるようにしたそうだが、ルルーの原作とも、ベースとなっているとは言え当人のミュージカルとも異なる点が多々あるようだ。そのあたりは上記の動画が分かりやすく説明してくれている。

映画字幕について

最初に申し上げたい。
映画を字幕で見ながら、あれ、ここの訳はちょっと違うんじゃないかと思っていた。映画作中の英語が分かりやすいからこそ気になってしまい、その訳はどうなんだと思った箇所が所々にあった。エンドロール後に表示された翻訳者の名は案の定というか、やはり戸田奈津子女史。感動が全て吹っ飛び、字幕の違和感が確信へと変わった。彼女のことなので絶対にトンデモ誤訳はある、と言うかあった。それこそ様々なサイトでにまとめられているくらい。字幕は差し替えられたりしないものなのか。申し訳ないが再翻訳希望である……。

(偏見にまみれた)登場人物紹介

ファントム
『オペラ座の怪人』とか『音楽の天使』とか『OG(オペラ・ゴースト)』とか様々な呼ばれ方をするオペラ座で暗躍する人。映画版では見世物小屋で迫害されていた悲しき過去が描かれた。芸術の天才だが、顔の半分が焼け爛れたように醜悪なので仮面を付けている。元祖『わしが育てたおじさん』、クリスティーヌの後方彼氏面。人との接し方が分からないが故に「お前は私のものだ」とか「孤独から救ってくれ」とか言っちゃう人。一方的な歪んだ愛を与え、誘拐・洗脳・脅迫・殺人・ストーカー等々、クリスティーヌのためなら何でもする。
映画版のファントムがあまりにセクシーすぎるため、醜いはずの顔も醜く見えない。

クリスティーヌ・ダーエ
オペラ座の若きスウェーデン人のコーラスガール。ファントムが思いを寄せる娘。父親が亡くなり身寄りがいなくなってしまったため、パリのオペラ座で寄宿生として学んでいる。マダム・ジリーが母代わりで、娘のメグとも仲が良い。密かに歌のレッスンを施してくれるファントムのことを、亡き父が生前語ってくれた"音楽の天使"だと信じている。ラウル・シャニュイとは幼き頃の恋人同士の間柄。
クリスティーヌのモデルとされているのはスウェーデン出身のソプラノ歌手・クリスティーナ・ニルソン。

ラウル・シャニュイ子爵
クリスティーヌの幼き頃の恋人。オペラ座のパトロンになったことでクリスティーヌと再会して再び恋に落ちるが、ファントムによって妨害される。ファントムと違い、誘拐・洗脳・脅迫・殺人・ストーカーは一切やらず、「君の孤独から救ってあげる」とか「君がどこへ行こうとついて行くよ」とか真正面から言えちゃう美男子。ファントムの正反対に位置する真っ当な青年。

マダム・ジリー
メグ・ジリーの母でオペラ座のバレエ教師。クリスティーヌの母代わりでもある。その昔、見世物小屋からファントムを逃してオペラ座の地下に匿った、唯一ファントムのことを知る人。

メグ・ジリー
マダム・ジリーの娘でオペラ座のバレリーナ。クリスティーヌと仲が良い。

ブケー
オペラ座がファントムの命令に従わず、クリスティーヌに与えた主役の座をカルロッタが張ったことで、見せしめにファントムに殺された哀れな人。

カルロッタ
我儘なプリマドンナ。巻き舌がすっごい。イタリア語訛りなのかスペイン語訛りなのか分からないが、セリフがほとんど聞き取れない。歌唱シーンは吹替。

ピアンジ
カルロッタの相手役。ドン・ファンの役をファントムに奪われ、殺された哀れな人。一応カルロッタの恋人になるのか?

ルフェーブル
オペラ座の前支配人。カルロッタの我儘に耐えきれず、オペラ座を後任の支配人へ譲ってオーストラリアへ。

フィルマンとアンドレ
オペラ座の後任の支配人。マダム・ジリーの忠告を無視し、オペラ座の在り方を軽視する。

あらすじ

登場人物のメンツが強い分、ストーリーは至ってシンプルで分かりやすい。簡単に言うと「ヒロインが真実の愛を手に入れる話」と「怪物の呪いがヒロインの愛で解かれる話」の合体技。

1905年、パリ・オペラ座の舞台上。オペラハウスの所有物がオークションにかけられている。 車椅子の老人はその中の一つ、オルゴールに手を止めるーー。
さかのぼること半世紀、オペラ座の舞台では、オペラ『ハンニバル』のリハーサル中。しかし華麗な舞台の外では"オペラ座の怪人"の仕業とされる謎めいた事件が続発していた。策を講じない支配人に腹を立てたプリマドンナのカルロッタは、オペラに出演しないと言い出す。急遽代役に選ばれたのはコーラスガールのクリスティーヌ・ダーエ。亡き父の贈り物"音楽の天使"にレッスンを受けたという素晴らしい歌声を披露し、舞台は大成功をおさめる。そんなクリスティーヌをひときわ熱いまなざしで見つめる青年がいた。ラウル・シャニュイ子爵は、美しく成長した幼なじみのクリスティーヌの楽屋を訪れる。
その夜、クリスティーヌは楽屋から忽然と姿を消した。クリスティーヌの前に"音楽の天使"が現れ、オペラ座の地下に広がる神秘的な湖を進み、彼の隠れ家へと連れ去ったのだった。"音楽の天使"を名乗って夜ごと彼女に歌を教えていたのは、愛するクリスティーヌをプリマドンナに仕立て上げ、自分の音楽を歌わせたいと願う"オペラ座の怪人"だったのだーー。

劇団四季 オペラ座の怪人

楽曲とストーリー

楽曲とストーリーの感想と、それに付随する自分勝手な考察。

Prologue

1905年、荒廃したオペラ座でオークションが開催されている。会場にいるのはマダム・ジリーとラウル・シャニュイ子爵。
オークションで出品されたのはシャルモー作『ハンニバル』のポスター、マイアベーアによる『悪魔のロベール』から木製のピストルと頭蓋骨が3つ、ペルシャの服を着た猿の人形のオルゴール、修復されたシャンデリアの4点。
『ハンニバル』は架空のオペラでシャルモーも同様に架空の人物であるが、マイアベーアも『悪魔のロベール』も実際の劇作家とオペラである。『悪魔のロベール』はこれ以降作中に登場しないため、どうしてオークションにかけられていたのか疑問が残る。原作小説を読めば解決するのだろうか……。

A collector's piece indeed
まさに収集家が欲しがるものだ
Every detail exactly as she said
細かい所まで彼女が言ってた通りだ
Will you still play when all the rest of us are dead?
私たち全員が死んでも今でも曲を奏でるのか?

初めて映画を観た時は、この猿のオルゴールが何なのかも、「Every detail exactly as she said」の「she」が誰なのかも不明だったため、そこまで気にして聴いていなかった。2回目ともなると猿のオルゴールはファントムが大切にしていたオルゴールで、「she」がクリスティーヌのことで、オルゴールが奏でる曲が『Masquerade』だと分かる上、クリスティーヌが幾度もファントムの話をラウルに話していたことも伺える。恋敵だった相手の遺品とも言える代物を、オークションに参加してまで手に入れたラウルの気持ちは計り知れない。ラウルを演じたパトリック・ウィルソン曰く、この時のラウルは「完全にもう抜け殻だからね」。何とも痛ましいシーンである。

オークション会場にいたのは年齢的にメグ・ジリーだと思っていたが、復刻パンフレットと公式SNSによるポストを見る限りマダム・ジリーの方らしい。しかし、2010年に金曜ロードショーで放送された時のテロップはメグだったようだ。果たしてどちらが正解なのだろうか?
メグよりマダム・ジリーの方がオークション会場にいる理由ははっきりしているので納得はできるが、マダム・ジリーでもメグでも親子なのでどちらでも構わないのかもしれない。それだけジリー家にとってオペラ座もファントムも大きな存在であった証拠である。

Overture

シャンデリアを覆っていた布が取られ、有名なメインテーマが流れる。修復されたシャンデリアが天井に吊るし上げられてシャンデリアの全貌が姿を現し、時はシャンデリアが天井に飾らられていた1870年当時のオペラ座に戻っていく圧巻のシーン。画面は現在から過去に戻る時に連れてモノクロからカラーへ、より鮮明に切り替わる。1870年のシーンはラウルの回想シーンとしての意味合いもあるらしい。
そして場面は『ハンニバル』上演に向けて、リハーサルの慌ただしいシーンへ移っていく。オペラ座という場所がどういう場所なのか、登場人物紹介をわざわざしなくてもある程度このシーンで把握できる作りは上手いなと感心する。そしてカルロッタが周りからどんな印象を受けているのかも分かる。

Hannibal

『ハンニバル』のリハーサル中、支配人のルフェーブルと共にやってくる後任の支配人のフィルマンとアンドレの2人。マダム・ジリーもラウルもここで名を呼ばれるため、1905年のオークション会場にいた2人の若かりし頃だと判明する。ラウルとクリスティーヌの関係性も分かり、このシーンで主要な登場人物紹介が終わる。簡潔にして美しい始まりである。
ご機嫌斜めになったカルロッタを支配人たちがヨイショするが、周りは耳栓をしたりヒソヒソ会話をしようとしたり、挙げ句にルフェーブルは懐中時計か何かを確認しており、さも面倒臭そうな態度である。誰かにより舞台の幕がカルロッタの上に落とされるトラブルがあり、カルロッタの機嫌は最悪になり『ハンニバル』の舞台を降板。名も知らない先生に歌を教わっているクリスティーヌに白羽の矢が立つと同時に、オペラ座に住まうオペラ・ゴースト(ファントム)の存在が明らかとなる。
マダム・ジリーの「Christine Daaé could sing it, sir.」があまりにも聞き取れなくて笑った。

Think Of Me

『Think of me』はなぜ序盤で歌われる曲なのか。初めて聞いた時と2回目に聴いた時と印象がまるで違う。

Think of all the things we've shared and seen
私たちが分かち合い、見てきたもの全てを思い出して
Don't think about the way things might have been
でも、こうなっていたかもしれないとは考えないで
Think of me, think of me waking, silent and resigned
起きている時も、黙っている時も、諦めた時も私を思い出して
Imagine me, trying too hard to put you from my mind
あなたを忘れようと必死になる私を想像してみて
Recall those days, look back on all those times
あの頃を思い出して振り返ってみて
Think of the things we'll never do
私たちがもう二度とできないことを思い出して
There will never be a day, when I won't think of you
あなたを想わない日は一日だってないの

初めて聴いた時はクリスティーヌからラウルへ愛を歌う曲のように思えた。ラウルが途中で参戦するので尚更そう思える。しかし「There will never be a day, when I won't think of you」のフレーズで地下にいるファントムへ届くクリスティーヌの声。これから起こることやラストを考えると、クリスティーヌからファントムへのラブソングのようである。この曲を何回も聴いて、やっとクリスティーヌはファントムをちゃんと愛していたのだと思えた。
『Think of me』を聴き返すと何とも言えない気持ちになる。若さは永遠ではない。見た目の美しさも永遠ではない。花は枯れ、人は年を取り、すべては変わっていく。ものには盛りがある。それは人間も同じ。それでも変わらないものもある。この曲は『オペラ座の怪人』の答えでもあると思う。

Angel of Music

礼拝堂で蝋燭に火を付けるクリスティーヌ。天から「Brava, bravissima」と称賛の声が聞こえる。メグが礼拝堂にいるクリスティーヌを探しに来て、歌の先生は誰なのか教えて欲しいと言いに来る。クリスティーヌと先生(音楽の天使)との関係性がクリスティーヌにより語られる。"音楽の天使"に絶対的な信頼を置いており信心深いクリスティーヌと違い、メグは"音楽の天使"の存在に懐疑的。そんなのいつものクリスティーヌらしくないよとクリスティーヌの手を引いて2人は礼拝堂を後にする。

Little Lotte

楽屋に戻ったクリスティーヌに、黒いリボンが結ばれた一輪の赤い薔薇がマダム・ジリーより贈られる。赤い花がこの薔薇以外に作中に登場しないので、一番赤い薔薇が目立っている。
ラウルとクリスティーヌが再会する。亡くなった父の話と共に、亡き父が導いてくれた(とクリスティーヌは思いっている)"音楽の天使"の話をラウルにするが、ラウルはそんなことより再会した元カノ・クリスティーヌとの再会に浮かれ、一緒に食事をしたくて聞き流している。"音楽の天使"が許さないから食事に行けないとクリスティーヌは断るも、ラウルは押し切って楽屋を出ていく。
その後、静かに楽屋の鍵を閉める黒い革手袋の男とそれをじっと見るマダム・ジリーの姿が。

The Mirror (Angel of Music)

部屋の蝋燭やオペラ座のフットライトが徐々に消えて真っ暗になり、不穏な雰囲気の中で"音楽の天使(ファントム)"がラウルを罵倒する。この曲が一番好き。ファントムはラウルへの嫉妬と独占欲にまみれており、クリスティーヌは"音楽の天使"へ許しを請う。姿を見せて欲しいと願ったファントムの姿が鏡に映り、クリスティーヌはファントムの元へ導かれていく。もうラウルの声はクリスティーヌに届いていない。
当たり前だが『The Mirror』の時のクリスティーヌは"音楽の天使"に絶対的な信頼があり、ファントムもそんなクリスティーヌの師であるからクリスティーヌは自分の思い通りになると信じて疑わない。

The Phantom of the Opera

『オペラ座の怪人』のテーマが流れ、クリスティーヌは地下にあるファントムの隠れ家へ誘われていく。
なぜ馬がいるのか不自然だったが、かつてオペラ座の地下には厩舎があったと復刻パンフレットに記述があった。厩舎は現在使われていないが、原作小説ではファントムがここから馬を盗み出すらしい。まだ読んでいないので確認したい。
信じられないくらいファントムがセクシーすぎて毎度びっくりする。やっと登場したファントムの顔面がこれなのはズルすぎる。恰幅も良いしスタイルも声も良い。
「ファントムが後ろを振り返りすぎている」という他の方の感想を読んでからというもの、気になって仕方がない。確かに振り返りすぎている。クリスティーヌがそれだけ大事なんだよね。

The Music of the Night

ファントムの闇落ちの誘いで洗脳状態になるクリスティーヌ。ここのファントム、セクシーすぎない? そりゃクリスティーヌも虜になる。撮影時には女性スタッフから歓声が漏れたそう。分かる。
ミュージカルだと「Turn your face away from the garish light of day」の部分はファントムがクリスティーヌの顔を掌で反らし、「Turn your thoughts away from cold unfeeling light」で顔をファントムに向き直させるのだが、映画では直前に指でこっちを向けと指示したのに外方を向いたクリスティーヌを「Turn your face away」の部分で顔をファントムに向き直させている。外方を向いたクリスティーヌの目線が光に向いているので、光から顔を背けろと顔を向き直させるのはとても自然で上品なシーンになってる。ミュージカルの「されるがまま」というのも大変良い。
この辺からファントムの性癖って予想以上にやばいのではないかと思い始める。推しの等身大マネキンを制作して、ウェディングドレスを着せるのはストーカー以外の何物でもない。
時を同じくして、クリスティーヌを心配したメグが楽屋を訪れる。鏡と額の間に隙間があり扉になっていることに気付いたメグが恐る恐る先に進むと、マジックミラー! ずっとクリスティーヌを見守るにしてもやるすぎではないかファントム。恐る恐る先へ進もうとするメグをマダム・ジリーが連れ戻しに来る。
蝋燭が灯っていたはず通路は薄暗く、実際は蜘蛛の巣だらけでネズミもいた。クリスティーヌは夢現でファントムの虜なので違うものが見えていたのである。池から火の灯った燭台が立ち上がるシーンも同様に。

Magical Lasso

綺麗なフラグの立て方。楽屋で女の子相手にふざけているブケーを、マダム・ジリーが一喝するシーン。『ハンニバル』のリハーサル前にはブケーが楽屋を覗いているように見えるので、常習的にこうやって遊んでいる人だったのだろうと思われる。
「Like yellow parchment is his skin」や「A great black hole served as the nose that never grew」はファントムの見た目を現していると思うが、如何せん映画版のファントムはイケメンなので……。

ブケー:
Like yellow parchment is his skin
黄色い羊皮紙のようなヤツの肌
A great black hole served as the nose that never grew
大きな黒い穴は成長しなかった鼻の代わり
You must be always on your guard
油断は禁物だ
Or he will catch you with his magical lasso!
さもなくばヤツの魔法の投げ縄で捕らえられる!

マダム・ジリー:
Those who speak of what they know find
知っていることを話す人は
Find too late, that prudent silence is wise
黙っていた方が良いこともあると気付くのに遅すぎる
Joseph Buquet, hold your tongue
ジョセフ・ブケー、口を慎みなさい
Keep you’re hands at the level of you’re eyes
両手を目の高さに保っていることよ

I Remember/Stranger Than You Dreamt It

オークション会場で年老いたラウルが競り落とした猿のオルゴールの音色で目覚めるクリスティーヌ。クリスティーヌはファントムに連れ去られた時のことを殆ど覚えていないようなので、やはり洗脳状態だったと言える。
目覚めたクリスティーヌはうっかりファントムの仮面を剥ぎ取ってしまい激怒される。ファントムは徐々に落ち着きを取り戻して自身の顔の醜さに嘆き始める。醜くても天国には憧れもあるし、陰ながら美しさを夢見てもいると吐露する。ファントムが夜に生きる理由と闇に触れたクリスティーヌは涙しながら剥ぎ取った仮面をファントムへ返す。

The Managers' Office

2人の支配人、ラウル、カルロッタ、マダム・ジリーの元へファントムからお気持ちレターが届く。

Prima Donna

衣装がマリー・アントワネットのようで豪華で可愛い。
ファントムのお気持ちを尊重したいマダム・ジリーと、クリスティーヌの言っていた"音楽の天使"が気になり彼女を心配をするラウル、カルロッタのご機嫌取りとオペラ座の儲けを大事にしたい支配人、何としても主役に立ちたいカルロッタの間で意見がすれ違う。

Poor Fool, He Makes Me Laugh

華やかな衣装に身を包んだ役者が舞台上に登場し、オペラ『イル・ムート』の上演が開始される。毎度思うが、シーンごとの切り替えが滑らかで本当に美しい。
ブケーが舞台天井からカルロッタの喉用加湿スプレーボトルを取り替えているファントムの姿(厳密には手)を目撃してしまい、『イル・ムート』上演中に舞台裏ではブケーがファントムを探しを始める。
客席上部の天井付近から専用席とてあった5番ボックス席が埋まっていることにファントムが疑問を呈して舞台が中断される。周りが"オペラ座の怪人"だと騒ぐ中、クリスティーヌは地下で出会った"音楽の天使"だと気付き、"音楽の天使"は"オペラ座の怪人"だったと悟る。

The Ballet

ファントムにより細工された喉用加湿スプレーボトルで声をヒキガエルのように変えられてしまったカルロッタ。急遽演目はバレエへと変更されてバタバタする演者とオーケストラ。そしてまたクリスティーヌの元へ届く黒いリボンのついた一輪の赤い薔薇。
ファントムを追いかけていたはずのブケーは、舞台天井で今度はファントムに追われる立場になってしまう。ブケーはマダム・ジリーの忠告通り、マジカル・ロッソの餌食になってしまうのだった。
ここの音楽が非常に良い。『The Ballet』の明るいテンポの曲のバックで不穏な音がなり始め、徐々におどろおどろしくなり、最後に『オペラ座の怪人』のメインテーマに繋がる。バレエのシーン、ブケーの顔、ファントムの顔を交互に見せることによってより緊迫感が伝わってくる。
ブケーを追い詰めているファントムが本当に格好よろしい。ファントムの歯を食いしばって力を込める表情、無表情で首を絞める表情、不敵に笑う表情などは悪役の好きな表情総取りである……。こんなのズルいよ、軽率に好きになってしまう。
マダム・ジリーがファントムに気付いている点もすごく良い。

Why Have You Brought Me Here?

次にラウルが被害に合うことを危惧したクリスティーヌはラウルを連れてオペラ座の屋上へ逃げる。ファントムへの恐怖をラウルに伝えるが、ラウルは"オペラ座の怪人"などという悪夢は忘れたほうが良いと一向に取り合ってくれない。

Raoul, I've Been There

"オペラ座の怪人"に会ったことがあり、地下で見たファントムの醜い顔は忘れられないが、ファントムに惹かれてしまう自分がいるとラウルに告げるクリスティーヌ。

But his voice filled my spirit with a strange, sweet sound
彼の声は私の心を不思議な甘い響きで満たしてくれた
In that night there was music in my mind
あの夜、私の心の中には音楽があった
And through music my soul began to soar!
そして音楽を通して私の魂は舞い上がった
And I heard as I'd never heard before
今まで聴いたことのない音楽を聴いたの

Yet in his eyes all the sadness of the world
でも彼の目には世界の全ての悲しみで溢れていた
Those pleading eyes, that both threaten and adore
あの訴えるような目は威嚇と同時に憧れの目でもあった

"音楽の天使"だと信じて慕っていた師が"オペラ座の怪人"だったこと、"オペラ座の怪人"の仮面の下が恐ろしく醜い顔で恐怖したこと、ブケーを無惨に葬り去ったこと、赤い薔薇は"オペラ座の怪人"自身がブケーを殺したことを証明するようなものであり、その彼に執着されていることは言われなくとも分かるだろう。しかし、"オペラ座の怪人"の目は悲しみで溢れていて、クリスティーヌに向けられたのは羨望の眼差しでもあって、そして彼の音楽を聴くと虜になってしまって我を忘れてしまう。

All I Ask Of You

実は近くにいるファントムをよそに、ラウルはクリスティーヌに愛を伝える。ラウルの希望とファントムの絶望が入り交じる切なすぎるシーンである。クリスティーヌが「And you, always beside me, to hold me and to hide me」と言った時、「いつも傍にいたのは私だったはずなのに?」と言うかのように顔を上げるファントムを思うとつらすぎる。

ラウル:
Then say you'll share with me one love, one lifetime
僕と一つの愛、一つの人生を共にすると言って欲しい
Let me lead you from your solitude
僕が君の孤独から救い出す
Say you need me with you here, beside you
君の傍に僕が必要だと言って欲しい
Anywhere you go, let me go too
君がどこへ行こうと、僕も共に行こう
Christine, that's all I ask of you
クリスティーヌ、君に願うのはそれだけ

本当に綺麗な歌詞だ。「I love you」以外の愛の伝え方が詩的すぎる。作中を通して、ラウルはこの後のシーンで「Christine, I love you」と一度言うだけ。一度きりしか「I love you」と言わない。良すぎて言葉が何も見付からない。
クリスティーヌに贈った一輪の赤い薔薇はラウルとの逢瀬の間に彼女の手から離れて地へ落ちてしまった。そして、ラウルとクリスティーヌのキスを見て目を逸らすファントム。彼の気持ちを思うとつらいと言っても余ある。

All I Ask Of You (Reprise)

クリスティーヌが落とした薔薇を拾い上げるファントム。その目には涙。その薔薇を潰し、花弁が落ちるという小物の使い方が上手すぎる。物凄く薔薇が印象的が映る。そしてファントムの絶望と怒りを思うと尚の事つらい。いや、本当にジェラルド・バトラーの演技も素晴らしいし、シーンのカットも素晴らしい。カメラワークも素晴らしい。素晴らしいしか言えない。
次に続く1905年の年老いたラウルが若いカップルを見て物思いに耽るシーンから『Masquerade』へと続く遷移も芸術的。

Masquerade

猿のオルゴールが奏でていた音楽がここで登場。映画で観た時には画の美しさと豪華さに度肝を抜かれた。このシーンを撮るだけのために、一体どれだけお金がかかっているんだろうか。貴族たちが仮面を付けてオペラ座の大階段で踊る中、庶民は酒を呷りながら騒いで踊る図が当時のパリの階級社会を現しているように見える。
ラウルとの秘密の婚約の証として婚約指輪をネックレスにして下げているクリスティーヌに、ラウルはなぜ秘密にするのかと問う。ラウルとの関係はまだファントムにはバレていないとクリスティーヌは思っているので、一緒の食事すら許してくれないほど"音楽の天使"は厳しいので、秘密にしておきましょうと言うことだろう。
そして『Masquerade』の最中に真っ赤な衣装に身を包んだファントムが登場する。

Why So Silent...?

ファントムが階段を降りるシーンは、オーケストラとの音ハメで緊張感が漂っていてとても良かった。今まで手紙でオペラ座とやり取りしていたのに一向に言うことを聞いてくれないし、座席も空けておいてくれないし、人殺しもしたのに「あれから最近平和で何より」と言われ、クリスティーヌはラウルと婚約しちゃうしと、ついに耐えきれなくなって姿を現してしまったファントムさんの怒りも伝わってくるオーケストラの音だったネ。
マスカレードの衣装が黒、白、金色で統一されているからこそ、ファントムの赤い衣装がとても目立っている。まるでクリスティーヌに贈っていた赤い薔薇のようでもある。復刻パンフレットによると、クリスティーヌのドレスがピンク色なのは、まだファントムに染められているからだそうである。え、なんじゃそりゃ、暴れそうなのだが?
衣装と言えば復刻パンフレットにあったが、ただの衣装ではなくて踊れる衣装を作るのに難儀したそうだ。
また、マダム・ジリーの衣装は全て日本のものだそう。当時のフランスはジャポニスム真っ只中だったので、日本の着物を着ているのは不思議でも何でもない。ジャポニズムとは、19世紀後半に海外の西洋諸国で流行した日本趣味や、日本の芸術が海外の幅広い芸術作品に影響を及ぼした現象のことを指す。浮世絵に多大な影響を受けたゴッホや、クロード・モネの『ラ・ジャポネーズ』などが有名である。日本から輸入した着物や簪もこうやって使用していたのだろうなと想像できるシーンだ。

Your chains are still mine
お前を繋いでいる鎖はまだ私のもの
You belong to me!
お前は私のものだ!

ラウルが剣を取りに行っていなくなった隙にファントムはクリスティーヌの首から婚約指輪を奪い、捨て台詞を残して逃走。鎖とはクリスティーヌとファントムとの間にある関係性と、婚約指輪を繋いでいたネックレスのチェーンとをかけている。ラウルの『All I Ask of You』を聞いた後にこのファントムのセリフなので、そういうことを面と向かって言っちゃうからクリスティーヌが怯えて離れて行くんだよ、ファントムさん……。クリスティーヌちゃんもそんなことを言われ、ラウルとの婚約指輪も奪われて戸惑いを隠せないじゃん。
ラウルはファントムの後を追うが捕まえられず、マダム・ジリーに救出される。

The Phantom's Story

映画版で追加されたシーン。ファントムの過去をマダム・ジリーがラウルに打ち明ける。見世物小屋で迫害されて殺人を犯して追われたファントムを、オペラ座の寄宿生だった若き日のマダム・ジリーがオペラ座の地下に匿った。
このシーンがある映画しか見ていないので、ミュージカル版ではファントムの過去は明かされず、謎の人のままということになるのだろうか? ファントムの闇と孤独の裏付けにもなるため、私はあって良かったシーンだと思っている。オペラ座に匿われたことでファントムはオペラ座が唯一の遊び場になり、誰とも関わりが持てず、だからと言って外にいても良いことなんてなかったのでオペラ座の外に出たいとも思えない。しかもこの醜い面だ。
マダム・ジリーとファントムには多少なりとも交流があったと思う。2人の間にも何かあったようにも思う。復刻パンフレットにもそんなニュアンスのことが書かれてあった。マダム・ジリーの机の上には彼女の過去が散りばめられているそうだ。もちろん、そういう関係になった人物のものも。

Journey To The Cemetery

夜、亡き父の墓参りのために墓地に向かうクリスティーヌ。馬車の御者にお金を渡して準備している間に、ファントムが御者を殴って成り代わっている。クリスティーヌのためならなんでもやる人、ファントム。Anywhere you go, let me go too(君がどこへ行こうと、僕も共に行こう)を体現する人。ただしやっていることはストーカーのそれ。
そしてやはりと言うか、ラウルは白馬なんだな……。

Wishing You Were Somehow Here Again

Wishing you were somehow here again
あなたがまたここにいてくれることを願っている
Knowing we must say goodbye
さよならを言わなければいけないことを知りながら
Try to forgive, teach me to live, give me the strength to try
私を許して、生きることを教えて、生きる力を与えて欲しい
No more memories, no more silent tear
もう振り向かず、静かに涙も流さない
No more gazing across the wasted years
もう無駄にした年月をみつめることもしない
Help me say goodbye. Help me say goodbye.
さよならと言うのを手伝って欲しい

クリスティーヌは亡き父の「天国から"音楽の天使"を送るよ」の言葉と、オペラ座で主役を張れるようになるまで歌を教えてくれ見守ってくれた"音楽の天使"が実はファントムであった戸惑いで、何も信じられなくなっている。7歳で父親を亡くしたクリスティーヌにとって、"音楽の天使"は師匠であると同時に亡き父の影と重ねていた部分があったかもしれない。そんな過去との決別を父親の墓の前で告げる。
それはそうと、序盤の『ハンニバル』のリハーサルのシーンで、アンドレがマダム・ジリーに「スウェーデンに名バイオリニストがいたが?」と聞くセリフの字幕があったため、なぜスウェーデンに住んでいた人の墓がフランスにあるのか謎だったが、英語をよく聞いたら「No relation to the famous Swedish violinist?(スウェーデン人の名バイオリニストがいたが?)」だった。フランス在住スウェーデン人だったんじゃないか、女史! 墓があるのも納得。
復刻パンフレットによると、墓地は実際にある場所ではなくセットとして制作したそうで。実はこの事実に一番びっくりした。

Wandering Child

ファントムの歌声が聴こえる。クリスティーヌの「そこで見ているのは誰?」の問に「お前の天使を忘れたか?」だって! またそうやってファントムくんはクリスティーヌちゃんを洗脳しようとする!

ファントム:
Angel of Music!
You denied me, turning from true beauty
お前は私を否定して本当の美しさから目を背けた
Angel of Music!
Do not shun me
私を避けるな
Come to your strange Angel
お前の不思議な天使のもとへ来い

クリスティーヌ:
Angel of Music!
I denied you, turning from true beauty
渡しはあなたを否定して本当の美しさから目を背けた
Angel of Music!
My protector
私の保護者
Come to me, strange Angel
不思議な天使よ、私のもとへ来て

ファントムの「Do not shun me」が可哀想に思えてくる。クリスティーヌは抵抗してもファントムの声を聴くとどうしても従わずにはいられない。考えれば考えるほどエロすぎない? キスシーンしかないのに……。
しかし、ラウルの邪魔が入り洗脳できず。2人は決闘に縺れ込み、ラウルがファントムを打ち負かすもクリスティーヌの慈悲で止めは刺さず、ラウルはクリスティーヌを連れてその場を去る。プライドを傷付けられたファントムは可愛さ余って憎さが百倍、ラウルとクリスティーヌに対し「今からお前たちに戦争を仕掛けよう」と宣戦布告をするのだった。
倒されて乱れたファントムがこの世で一番セクシーだよ…………。

We have all been blind

ラウルがクリスティーヌを囮にしてファントムを誘き寄せて捕まえる算段をフィルマンとアンドレにしている。その後ろを歩いているマダム・ジリーが神妙な面持ちで話を聞いており、最後に口を開いているようにも思える。おそらく3人を非難するんだろうな。そしてオペラ座には警官隊が配備される。
ファントムはシャンデリアが繋がっている鎖を外して小細工をしている。

Twisted Every Way

一人で礼拝堂にいるクリスティーヌに会いに来るラウル。一度舞台に立ってしまうときっとラウルはファントムを捕まえようとする。ラウルの計画に加担したと思われ、ファントムはクリスティーヌが裏切ったと思うだろう。そしてファントムはクリスティーヌを拐い、恩師を裏切った自分はファントムに殺されてしまうかもしれない。ラウルとクリスティーヌは離れ離れになってしまう、それが恐ろしいとクリスティーヌは身動きが取れずにいる。そんなクリスティーヌをラウルは説得する。

Don Juan Triumphant

そもそも『ドン・ファン』には元になった伝説がある。

プレイボーイの貴族ドン・ファン(DonとはスペインでのMr.やSir.のようなもの)が貴族ドン・フェルナンドの娘を誘惑しますが、彼に見られてしまい、殺してしまいます。後日、墓場でドン・フェルナンドの石像の前を通りかかった時にドン・ファンはその石像を宴会へ招待します。彼は悪ふざけのつもりだったのですが、本当に宴会にドン・フェルナンドが幽霊として現れ、大混乱に陥ります。そしてその混乱の中、ドン・ファンはドン・フェルナンドによって地獄に引き込まれます。この伝説内ではドン・ファンは不道徳、非人道的で罰当たり、神も地獄をも恐れぬ無神論者な好色放蕩青年貴族ですが、最終的には神罰的な死を迎えるキャラクターとして描かれています。ちなみに、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』はこの伝説がそのまま描かれています。

早稲田大学交響楽団

不道徳の極みであるドン・ファンの"勝利"を描いたものが、ファントムの書いた『勝利のドン・ファン』である。もちろん架空のオペラ。『勝利のドン・ファン』とは、伝説では死を迎えてしまうドン・ファンが死に屈せず滅びないことを描いたオペラだったのだろうか。結末は途中で打ち切られてしまうので分からない。
『勝利のドン・ファン』の上演中、ファントムはドン・ファン役のピアンジを殺して彼に成り代わる。ピアンジとスタイルが違いすぎて笑ってしまった。ジェラルド・バトラーの足、長すぎる。体の半分以上が足。

The Point of No Return

「silent」の所で口元に指を添えるファントムが格好良すぎて、映画を観た時はどうにかなるかと思った。びびっちゃった。この仕草でクリスティーヌはファントムだと理解する。
『Twisted Every Way』では身動きが取れず、答えが出せなかったクリスティーヌ。しかし『The Point of No Return』で舞台に立ったのであれば「もう引き返せない」、お前には前に進むしか選択肢はないとファントムに言われる。ラウルではなくファントムを選ぶ道しか残されていないとクリスティーヌに理解させる歌だ。

クリスティーヌとの愛は彼にとって最も大切なものなのは言うまでもないが、最初から最後まで彼が愛の勝者だったわけじゃない。怪人とクリスティーヌ、2人が舞台で"ポイント・オブ・ノー・リターン"を歌った時は、もう演技を越えて涙が出そうになったけど、ラウル自身、2人が惹かれ合っているのが分かったはずなんだよ。

復刻パンフレット パトリック・ウィルソン

「ああ、どうしよう。彼女は本当に怪人に惹かれてるんだね」ってパトリックは言ったものさ。だから僕は「そうだよ。これはそういう物語なんだ。君は彼女の初恋の人だけど、怪人はもっと隠微な愛の対象、彼女が初めて肉体的に惹かれた男だ」と言ってやった。

復刻パンフレット ジョエル・シュマッカー

あの"ポイント・オブ・ノー・リターン"は僕が今まで見た映画の中で最もエロティックなシーンに仕上がっていたと思う。ピュアなセックスとでも言うのかな。演じているエミーにもジェラルド・バトラーにも特別な意味が込められた歌だったしね。クリスティーヌはあの時点で怪人の方を選んでしまったからね。ラウルは完璧な青年だというのに。優しくて上品で、乗馬も上手でハンサムで歌も巧いのに。そこにロックンロールのテナー・ボーカルで歌いまくる怪人が割り込んでくる。ティーンエイジャーの女の子なら、どちらになびいてしまうか想像できるだろう。

復刻パンフレット アンドリュー・ロイド・ウェバー

この三者の言葉でやっとクリスティーヌの気持ちが理解できた。何のことはない、お年頃の娘なのである。
このシーンで一番好きなのは『The Point No Return』を歌うファントムとクリスティーヌを見るラウルの表情。パンフレットでも泣きそうだったと本人が言っているが、本当に男として負けたという表情をしている。リアルすぎてこちらの方が泣けてしまう。ラウルではクリスティーヌのあの表情を引き出すことができないと気付いてしまったのだ。

All I Ask Of You

ここでファントムはラウルとクリスティーヌが愛を誓った『All I ask of you』を歌ってしまい、クリスティーヌの洗脳が解けて正気に戻ってしまう。
ファントムがクリスティーヌの手を握りしめながら歌う所が悲しすぎる。

ファントム:
Say you'll share with me one love, one lifetime
私と一つの愛、一つの人生を共にすると言ってくれ
Lead me, save me from my solitude
この孤独から私を救ってくれ
Say you want me with you here, beside you
隣に私がいて欲しいと言ってくれ
Anywhere you go, let me go too
お前がどこへ行こうと、私も共に行こう

ラウル:
Then say you'll share with me one love, one lifetime
僕と一つの愛、一つの人生を共にすると言って欲しい
Let me lead you from your solitude
僕が君の孤独から救い出す
Say you need me with you here, beside you
君の傍に僕が必要だと言って欲しい
Anywhere you go, let me go too
君がどこへ行こうと、僕も共に行こう

ラウルの『All I ask of you』とも歌詞が若干違う。ラウルはクリスティーヌを孤独から救い出すよと歌って、ファントムは孤独から救い出して欲しいと歌う。哀れだ。「need」と「want」の違いもある。「need」の方が意味合いが強いので、「必要だと言って」のラウルと、「一緒にいてくれ」のファントムになる。ずっと「お前は俺のものだ」と言い続けていたファントムの『All I ask of you』が切なすぎる。ラウルには自由があるので「君が行きたい場所へ僕も一緒に行こう」ができるが、ファントムはオペラ座から出られない(厳密には出られるのだろうが、外の世界に出たいと思えない)ので「一緒にいて欲しい」になるのだと思う。美しい対比である。それでもファントムは「Anywhere you go, let me go too」したいわけである。クリスティーヌのためならオペラ座の外に出る覚悟があると取ることもできる。
ファントムの言葉が終わる前にクリスティーヌがファントムの仮面を剥ぎ取る。おそらく洗脳が解けたことで、ラウルを選択したクリスティーヌの決断だったのだと思う。このあたりはまだ考察の余地があるので轆轤を回さなければいけない。
仮面が剥ぎ取られた時にマダム・ジリーだけは周りと違った意味で慌てているように見えたのは深読みのしすぎではないと思いたい。客席に警官隊が入ってきたのを見たファントムは縄を切って奈落へ降りて行った。そして予め小細工していたシャンデリアが客席に落下し、オペラ座は火の海に包まれる。
火の中で殺されたピアンジに駆け寄るカルロッタ。やっぱりこういうシーンを見るとどうしても彼女を憎めない。だって絶対カルロッタは「最期は愛しい人と共に」のタイプなのだ。ピアンジを置いて逃げるとは到底思えない。

Down Once More/Track Down This Murderer

『The Phantom of the Opera』の時はクリスティーヌを振り返り過ぎていたファントムだったが、『Down Once More』では一度も振り返らない。クリスティーヌの手ではなくて手首を掴んでいる。もう気を配る余裕もない。
そんな2人をラウルがマダム・ジリーの案内で追いかけている。マダム・ジリーはブケーにしたようにラウルにも「手を目の高さに」と忠告する。
『勝利のドン・ファン』のスコアが燃えるシーンがあるのだが、やっぱりドン・ファンの勝利が叶うことはなかったのである。悲しい。

My Dear, I Think We Have A Guest.

マネキンが着ていたウェディングドレスをクリスティーヌに着てもらうなんて、おっそろしい。メンヘラか? メンヘラだよね。そりゃクリスティーヌも怒るよ、当たり前だよ。
ミュージカル映画なのもあってかずっと音楽や環境音が鳴り続けているのだが、『Masquerade』で奪った婚約指輪をクリスティーヌに渡す時だけ無音になる所が好きだ。しかし、ずっとずっとずーっと自分が酷い扱いをされ、親からも愛されず、誰からも同情されず、追い出される人生は顔のせいだと思って生きていたのに、「歪んでるのは顔じゃなくて心の方だ」とクリスティーヌに言われるのはキツイものがある。
2人の元に追い付いたラウルだが、マダム・ジリーに忠告された「手を目の高さに」を忘れてしまい首に縄をかけられてしまう。クリスティーヌはファントムかラウルのどちらかを選択せざるを得ない状況に立たされる。ファントムを選べばラウルは解放されるが離れ離れになり、ラウルを選べばその場でラウルは殺される。どっちにしろクリスティーヌはファントムから逃れられない。
そんな選択を迫るファントムを、闇に触れたことで哀れに思ったこともあったかもしれないが、そんな感情は今や嫌悪に変わってしまったとクリスティーヌが突き放す。つ、つらい〜〜。今までの2人の関係を思うと尚のこと悲しい。

ファントム:
For either way you choose, you cannot win!
どちらを選んでもお前には勝つことはできない!

確かにどちらを選んでもクリスティーヌが手に入るのでファントムの勝利なのだが、それはそうなのだが、愛する人を殺したくないなら自分を選べ、自分を選ばなかったらお前の愛する人を殺すって、どちらもファントム自身にとってつらい選択ではないか。どちらもクリスティーヌのラウルへ愛を誓う行動なので、どちらにせよラウルと離れ離れになるのならクリスティーヌはファントムを選ぶしか道はない。それは本当に勝利と言えるのか?

ラウル:
Christine, say no!
クリスティーヌ、僕を選ばないで
Don't throw your life away for my sake
僕のために命を投げ出さないで

ラウルを選ぶとラウルは死ぬが、ファントムを選ばなかったクリスティーヌももしかすると殺されてしまうかもしれないので「no」と言ってくれとラウルは言っていると思うのだが、だからと言ってファントムを選べと言うラウルの心情を考えると……。はあ……。

クリスティーヌ:
Pitiful creature of darkness
哀れな闇の生き物
What kind of life have you known?
どんな人生を送ってきたの?
God give me courage to show you
神はあなたに示す勇気をくれた
You are not alone
あなたは独りじゃない

クリスティーヌはファントムを選び、彼から返されたラウルとの婚約指輪を左手の薬指に嵌めてキスをする。この指輪、ファントムから返されたものなのでファントムを想って嵌めたのか、もともとラウルとの婚約指輪なのでラウルへの永遠の愛を誓って嵌めたのかどちらなのか。両方なのか……?

ジェラルド・バトラー演じる怪人にとってもっと重大なことは、生涯で一度もキスをしたことがない男という点だ。誰かにキスされたことも、優しく愛撫されたこともなく、人肌の温もりも知らない。ラスト近くでエミーが怪人にキスすると、彼は愕然とする。彼は初めて優しさを知り、それまで知らなかった愛を感じた。そして深く傷つく。こんなにも美しく、優しいクリスティーヌの素晴らしさを知りながら、と同時に彼女を得ることはできないと悟ったんだからね。

復刻パンフレット ジョエル・シュマッカー

はあ〜〜〜〜(溜め息)。
クリスティーヌを手に入れられないと悟ったファントムのあの苦しい顔。至る所で言われていることだが、「心が手に入らないのならせめて身体だけでも」は手に入ったと言わないってことだ。もう考えすぎて頭が痛い。

Forget me, forget all of this
私を忘れろ、このことは全て忘れろ

来た〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私、何を隠そう「忘れてくれ」と呪いを残す男が3度の飯より大好物!

だって現にクリスティーヌもラウルもファントムのことを忘れられなかったのだ! 死ぬまで忘れられないんだ! だってオークション会場のことを思い出してよ、忘れられてないよ! これはファントムの呪いなのだ。
やったあ! 大好き!
そして猿のオルゴールを聴きながら『Masquerade』を歌うファントム。痛々しすぎる。そこに去ったはずのクリスティーヌが立っている。やっとクリスティーヌに「I love you」と伝えられるファントム。最初で最後の「I love you」である。今までクリスティーヌをまるで物かのように「俺のものだ」と言っていたファントムがやっと愛を伝えられたシーン。涙腺崩壊。
クリスティーヌは先ほど指に嵌めた婚約指輪をファントムに渡しす。つらすぎるのでもうその意味を考えたくない。つらい。
ラウルと船を漕いで去っていくクリスティーヌを見届けるファントム。クリスティーヌも振り返ってファントムを見ている。

You alone can make my song take flight
お前だけが私の歌を羽ばたかせることができる
It's over now, the music of the night
夜の音楽はもう終わったのだ

隠れ家にある鏡を叩き割り、オペラ座から逃走するファントム。警官隊とメグが隠れ家に着いた時には既に蛻の殻で、猿のオルゴールと仮面だけが残されていた。
ずっとクリスティーヌの歌を昇華させていたのはファントムだったのに、終わってみればファントムの歌にはクリスティーヌが必要だったのだ。

The Final Scene

1905年のシーンに戻り、クリスティーヌの墓に猿のオルゴールを供えるラウル。その隣には黒いリボンが結ばれた一輪の赤い薔薇と、かつてクリスティーヌに渡した婚約指輪があった。婚約指輪は「返しに来た」とも取れるし「プロポーズ」とも取れる。
ファントムは生涯、一途にクリスティーヌ一人を愛し抜いたわけである。

感想と考察

もう既に2万字を超えているが、楽曲とストーリー以外の感想とそれに付随する自分勝手な考察を更に続ける。

画が圧倒的に美しい

とにかく美しい。これに尽きる。4Kデジタルリマスターって本当に素晴らしい。アナログフィルムの解像度があるからこそ4Kリマスター化できるのだから、この時代を生きていて良かったと心から思う。配信では駄目なのである。映画は映画館に足を運んでこそ輝くと思っているので。
そしてアナログフィルムの4Kリマスターを観るたびに、デジタルはやはりフィルムに勝てないなと実感もする。フィルムの風味や柔らかさはどうしてもデジタルでは表現ができない気がする。デジタルは確かに綺麗だ。しかし、フィルムならではのブレとか、揺らぎとか、光の差し方やボケ方とか、影の落ち方などはアナログフィルムならではの良さが出ると思っている。
『オペラ座の怪人』を一緒観に行った旦那は映画を殆ど観ない人なので、そんな人を連れて観る映画ならと今までIMAXやDOLBYを選んで観せていた結果、IMAXやDOLBY以外の映画では満足できない怪人にさせてしまった。どうやら『オペラ座の怪人』もIMAXで観たかったようである。20年前の映画なので仕方がない。

多くを語らない

ディズニー映画をミュージカル映画として良いのであれば、当方ミュージカル映画はほぼディズニー映画しか知らない。ミュージカル自体も修学旅行で観た『ライオンキング』以外観たことがない。オペラや和製オペラと言われる能楽は見たことがあるのに。
他のミュージカルやミュージカル映画がどうかは分からないが、『オペラ座の怪人』のストーリーが分かりやすい分、歌が多くセリフ量が少ないと感じた。しかもミュージカルに加えオペラ座が舞台なのでオペラも演じられる。体感的にセリフ2:歌8くらいの割合で圧倒的に歌が多い印象だった。ディズニー映画ですらもう少しセリフがある気がする。旦那も「思っていた以上に歌だった」と言っていたくらい。
昨今のセリフで状況を全て説明する作品の正反対。情景をセリフで補完せず、歌以外の言葉は極力少なく、多くを語らない。役者の一挙手一投足で読み取ってくれと言う作品が好みなので、それはとても良かった。久しぶりに多くを語らない映画を観た気がする。もちろん歌では多くを語っているが、歌というのは心情の吐露なので曖昧であるから分かりづらいことも多い。

分かる・分かりづらいのバランス

先述の通り、私は予備知識のない状態で観たので序盤のシーンがどういった意味だったのか、初めて観た時には全く分からなかった。最後まで観てからやっと辻褄が合った。一度観ただけではオークションのシーンもマダム・ジリーやシャニュイ子爵が誰なのかも『Think of me』が含んでいる意味も分からない。1回目は泣けもしなかった。最後まで観てハッとして、2回目でやっと理解した。2回目は泣いた。どこで泣いたかって、やっぱり『Think of me』の所だ。つまり序盤から終盤までずっと泣いていた。
とても分かりやすい内容なのに、分からない所がまだまだたくさん残っている所が良い点だと思う。その点については庵野秀明の言葉を借りる。

妻夫木:
分かりやすさとは大切ですか?

庵野:
分かりやすいとそこで終わってしまうんですよね、分かっちゃうから。分からないと、分かりたいっていうふうにその人が動き始めるんですよね。このもう分かりづらいからいいや、といかない分かりづらさなんです。

サッポロ生ビール黒ラベル/大人エレベーターシリーズ 「大人EV 58歳 分かりやすさ」篇

謎に包まれたままだと置いてかれちゃう。
面白いですよっていうのをある程度出さないと
うまくいかないんだろうなっていう時代かなって。
謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきている

プロフェッショナル 仕事の流儀「庵野秀明スペシャル」

理解できる所と謎の部分のバランス感覚が完璧。少し謎を残しておいて貰った方がオタクは考察が捗るから楽しい!

言葉にできない関係性

ラウルとクリスティーヌの関係性は分かりやすいが、ファントムとクリスティーヌ、ファントムとラウル、ファントムとマダム・ジリーの関係性はなかなか言葉にしづらい。ファントムとクリスティーヌの関係性は言葉にできないくらい曖昧なのが一番丁度良いのかもしれない。恋でも愛でもあって、哀れみや同情もあって、プラトニックのようであり肉欲的でもある。はっきりさせない所が好きである。はっきりさせてしまうと固定観念が生まれてしまうから。
そもそもこの手のタイプの話によくある正義と悪という図にも当て嵌められないし、私は当て嵌めたくない。ファントムは悪であったかもしれないが、彼の本質は根っからの悪人ではなくて善性が確かにあった。

最初から愛だったわけではない

ファントムはクリスティーヌに歌を教え、教え子のクリスティーヌが大成することで、自分は正しいと信じたかった部分があったと思う。自分の顔の醜さが原因だっただけで、自分にもクリスティーヌと同じ道を歩めた未来がきっと存在していたはずで、こんな夜の世界ではなくクリスティーヌと同じく自分も表の舞台で活躍できたはずだと。だから自分の音楽を高みに導いてくれるクリスティーヌが必要だったのだと思う。
あくまでファントムは自身が醜いが故に美に対して相当の執着があり、憧れでもあり、当初はクリスティーヌ自身よりクリスティーヌの美や音楽が自身を高みへ導いてくれる存在として欲しており、だからこそクリスティーヌを手に入れようと固執していただけで、クリスティーヌ自身を愛していたわけではなかったと思う。しかし、クリスティーヌとラウルの恋愛を間近で見て、クリスティーヌの愛に触れてやっと愛に気付いた。ヨーロッパのことなので「キス=呪いを解く」イメージもきっとどこかにあるんだろうと思う。愛のキスでファントムの呪いが解けて愛を理解したわけである。
しかし、クリスティーヌは最後まで誰にも「愛している」と言ってない気がする。ラウルに「愛していると言って」とは言ったが、クリスティーヌは誰にも言っていないよね? クリスティーヌ……。

クリスティーヌの成長

最初は何も知らない無垢な女の子だったクリスティーヌ。墓石に刻まれた年から1854年生まれだと分かるため、1870年は16歳だったことになる。そんな高校1年生くらいの女の子が思い描ける恋なんてたかが知れている。私だってそのくらいの年齢の時にはちょっと危険な香りのする年上の男を好きになっていた。「やめとけ」と言われるような、そんなやつ。
クリスティーヌの母親のことは分からないが、父親は7歳で亡くしており、それ以降はマダム・ジリーが母代わりになっている。そんな彼女が父性に惹かれてしまうのは大変分かる。しかもその父性っていうのは男性の理想像でもあると思う。それが常に自分を見守ってくれていて、"音楽の天使"として導いてくれる。どうしても惹かれちゃうよね〜。
クリスティーヌはファントムとラウルを通して愛が何なのかを学び、大人の女性になっていくのだ。

クリスティーヌってね、自分を導いてくれる人にとても惹かれるタイプの女の子だと思う。怪人と彼女の関係は尊敬と父親のような愛情から始まるんだけど、彼女が成長していくにつれて境界線が壊れていって、もっと官能的なものになっていくのよ。一方のラウルは何もかも完璧。女性なら誰もが求めるものすべてをもっている。だけど、怪人はクリエイティブで、クリスティーヌを芸術的に成功に導くことができるわけだから、彼女はその後の人生を左右する二つの可能性の間で引き裂かれてしまうのよ。
クリスティーヌと怪人って精神的にも似た者同士だということ。2人共孤独で、クリエイティブで、音楽の才能もある。それに、何より歌が上手な男ってセクシーでしょ。女の子なら誰だって、ロックスターはとてもセクシーだと思っているはずだし、愛と抱擁も欲しいけど、芸術的にも刺激を与えてくれ、仕事に情熱を持っている人はとても魅力的よね。

復刻パンフレット エミー・ロッサム

クリスティーヌ役のエミー・ロッサムは『オペラ座の怪人』の舞台を一度も観たことがない状態で映画に臨んだらしい。だらこそ何の影響もなくクリスティーヌ役を全うできたのだと思うが、いや〜、すごいな。履修しなきゃと私なら思ってしまうかもしれない。でも、私も『オペラ座の怪人』は未履修で観たから同じことかな。

ひと夏の恋か初恋か

究極のところ、ファントムを取るのかラウルを取るのかという話は、クリスティーヌ役のエミーが復刻パンフレットのインタビューで語っているように、仕事を取るのか家庭を取るのか、挑戦を取るのか安定を取るのか、バンドマンを取るのか大手企業勤務を取るのか、ひと夏の燃えるような恋を取るのか幼馴染との初恋を取るのか、みたいなところがあると思う。
その後、ラウルの良き妻であり良き母であったクリスティーヌだが、きっとラウルと一緒になったクリスティーヌはもうオペラの舞台に一切立立たなかったのではないか。立ったらファントムを嫌でも思い出してしまうし。あれほど才能に満ち溢れていたクリスティーヌだが、ラウルではきっとクリスティーヌを幸せにできても音楽の高みへ導くことはできない。ファントムにはそれができた。クリスティーヌもオペラ座のプリマドンナになれたはずである。でもそれを選ばなかったのは、その時のクリスティーヌにとっての最善の答えでもあった。
私はティーンエイジャーだったら迷わずファントムを選んでいたと思う。大人になった今なら絶対にラウルを選ぶ。しかし、三十路になったことで一周回ってファントムを選んでも良いかもしれないと思える。ラウルの安心と安定は手放せないが、ファントム要素もちょっと欲しい。これが、刺激を欲している状態か……?

クリスティーヌの生涯

クリスティーヌはラウルと一緒になれて幸せだっただろうが、時々ファントムとのあの日々を思い出してしまうんだろうと思う。ラウルもそれを分かっている。クリスティーヌの大半は"音楽の天使"であったファントムが育てたも同然。でもそのファントムはもう傍にいない。
ファントムと生きる人生とラウルと生きる人生の、果たしてどちらが幸せだったのだろうか。ラウルに決まっているのは分かりきっているが、あの後のラウルとクリスティーヌは事あるごとにファントムを思い出しては苦しむだろうというのは、もう目に見えている。クリスティーヌは雪が降る度に、新年を迎える度に、オペラを観る度に、赤い薔薇を見る度に、歌を歌う度に、蝋燭を灯す度に、礼拝堂へ行く度に、父の墓前に立つ度に、鏡を見る度に、夜になる度に思い出しそうじゃないか。ずっと傍にいたのに自分から遠ざけた"音楽の天使"の声が、時々でもいいから夢の中だけでも聞けたりしないかと思ったりしない? そこまでクリスティーヌは未練たらしくはない? でも一度くらいは思ったことってあるでしょう。だって7歳の頃から16際になるまでずっと傍にいたんだから。大人になったときにファントムの存在の大きさに気付くんだって分かるもの。でも、気付いてももうファントムはいないのだ。つらすぎる。そんなクリスティーヌを見て、きっとラウルも苦悩する。だって自分ではファントムの代わりになれないんだから。あまりに重すぎるよ、この2人の人生。
ファントムの手を取っていた方が幸せだったことはない? いや、ないんだが。でもファントムの歌を聴いているうちは洗脳状態になるので幸せだと思う。真の幸福とは程遠いかもしれないが、私は『NARUTO』だと"無限月読"が悪だとは思えない派なので、ファントムの洗脳も幸福と呼びたい。あ〜、また『NARUTO』話である。一番影響を受けた漫画なので仕方がない。偽りだとしても、幸せな夢の中で死ねたらそれは幸せじゃないか。
それはそうと私も大人になったからこそ思うのが、挑戦を諦めて安定を取った時の後悔と、安定を諦めて挑戦を取った時の後悔、どちらの後悔が忘れられないかというと挑戦を諦めた時の後悔の方が忘れられない。挑戦を選んでからの「安定の方を選んどけば良かった」には諦めが付く。例え失敗したとしても「あの時にあちらを選んでおけば」には、なかなかならない。しかし、安定を選んでからの「挑戦の方を選んどけば良かった」はいつまで経っても諦められない。気付いた時にはどうすることもできない。The point no returnはとうに過ぎたのだ。そんな自分の経験があるからこそ、三十路の私はまだ純粋無垢な16歳の女の子の選択に、せめて後悔することなく人生を終えたと願ってやまない。私ならきっと死ぬまでファントムのことを想い続けてしまって、いくらラウルが大好きだろうとラウルと暮らす日常がつらくてたまらない。自分で選んだ選択だからこそ。
どっちに転んでもこんなに後悔が残る三角関係ってない。もう3人一緒にいてくれよ。
これはフィクションなのに、なぜこんなにつらくなってしまって、こんなにも語れるのだろうか。3万字行くよ、これ。

孤独とは何なのか

ファントムとクリスティーヌは同じ孤独を知る者だったわけである。お互い「分かってくれるだろう」と思い込んでいた気持ちはあったと思う。だからファントムは自身と同じ様にクリスティーヌを夜の世界という孤独へ呼んだのだ。しかし、クリスティーヌは夜を拒絶してしまう。夜の世界は安らぎとともにあったはずなのに、クリスティーヌにとってはそうではなかった。
ファントムの孤独とクリスティーヌの孤独についてはNARUTOを引用してみる。この違いだと思う。

初めから独りっきりだったてめーに! オレの何が分かるんだってんだ! 繋がりがあるからこそ苦しいんだ! それを失うことがどんなもんかお前なんかに…!

NARUTO

ファントムは最初から独りだったわけではないし、クリスティーヌも家族は失ったが周りから人がいなくなったわけではない。メグもマダム・ジリーもいたわけで。しかし、愛を最初から受けられなかったファントムの孤独と、突然愛を失ったクリスティーヌの孤独はやはり別物だろうと思う。クリスティーヌは縋り付く対象が神なり父なり誰かがいたが、ファントムにはクリスティーヌが自分を慕ってくれるまでは誰もいなかった(と思っていた)。それでも同じ一人ぼっちの痛みを知っている者同士、分かり合えていた部分があったと思う。
ファントムの孤独は、見世物小屋にいた時もオペラ座の地下にいた時も変わらなかったのだと思う。殴る蹴る等の暴行がなくなっただけで、人々は自分の存在を軽く考えて蔑ろにする。クリスティーヌだけは見た目関係なく純粋に慕ってくれていた。だからクリスティーヌに固執していた。
自分が孤独であることを顔のせいにしたいのは、自分の責任でこの顔になったわけではないからだと思う。だから皆に追い出され、どこでも嫌われ、誰からも親切な言葉を貰えず、どこでも同情されず、自分自身が孤独でいるのは自分のせいではないのだと思い込みたかった。しかし、クリスティーヌには「心が歪んでいるせいだ」と言われてしまう。きっとファントム自身も分かっていたと思う。その答えはラウルが来たことで聞けず仕舞いだが、直前の苦しそうな表情が物語っているように思う。
責任転嫁したい気持ちは分かる。むしろ今の時代、見た目の美醜など"あるある"で、誰にだって見た目の悪さを理由にしたいと思ったことがあるだろうと思う。どんなに美しくてもコンプレックスは誰にでもあるもので、それを理由にすることはこれ以上傷付かないための保身でもある。
このファントムの異常なまでの美醜への拘りと自己肯定感の低さは親に愛されず見放されたことにあると思う。初めから与えられるべき愛情を与えてもらえなかった。だからファントムはクリスティーヌに無償の愛を求めていた。それが最後の最後に叶って、でも手に入られないと悟って、手放したのだ。
もっとファントムが人との関係性を育めてたら何とかなったかもしれない。やはりファントムとマダム・ジリーとの関係がもっと何とかなっていたら……。

マダム・ジリーとメグ・ジリーの話

マダム・ジリーがもっとファントムと向き合っていたら、こんなことにはなってなかったんじゃないかと思わんこともない。しかし、マダム・ジリーはクリスティーヌになれなかった。映画を通して、マダム・ジリーはずっとファントムを気にかけていた。見守っていたし、心配もしていた。彼のために涙してもいた。それだけマダム・ジリーはファントムのことを想っていた。だからファントムは誰にも愛されていないわけではなかった。マダム・ジリーから向けられていたのは確かに愛情の一つだったと思う。それにファントムが気付けなかったのは、彼が愛を知らなかったからに他ならない。
ファントムはマダム・ジリーによってオペラ座の地下に匿われてから、表舞台との接触が殆どなくなってしまった。ファントムを知っているのは同い年ほどのマダム・ジリーだけ。彼女から全てを教わることなんてできっこない。しかもマダム・ジリーは普通に恋愛をしてメグを産んでいる。どうすることもできないな。
メグとクリスティーヌの友情も終わってしまったのも悲しい。ファントムの隠れ家までメグは辿り着いていたのに。いつもクリスティーヌを探してくれていたのはメグだったのに。

ファントム×クリスティーヌも見たかった

私はファントムにも幸せになって貰いたかったのだ。でも、絶対に幸せにはなれない。仕方がないことである。そういうストーリーなのだから。
『オペラ座の怪人』のコミカライズがあったので試し読みを見てみたが、やはりファントム×クリスティーヌだった。やっぱり見たいよね、分かる。分かるよ。でも結ばれなかったからこそ大好きなんだ。

哀れな人が好きなのである

結局の所、私は哀れな人が好きなのである。自ら闇に生きようとしてしまう愛に飢えた孤独の人が大好き。誰よりも愛されたいのに愛し方が不器用で、哀れで、独りよがりで、自分で自分を傷付け、どこへも行けず、自ら孤独に走りたがる人が大好きだ。愛おしくてたまらない。
え? NARUTO? うちは一族の話をしています? うちはサスケの話? いや、ファントムの話だよ。
あーあ、好きになる土壌は育ちきっていた。

書ききってスッキリしたので、これから原作小説を読むことにする。

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