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父への想い

改めて自分の記事を読み返した時、
ちゃんとした”自己紹介”がなかったことに気が付きました。

読んでくださっていた皆さま、申し訳ありません!

私の家族は、5人家族
父、母、姉、兄、と私です。
姉、兄とは14.12歳離れているので、だいぶ甘やかされて育ちました。

父の誕生日会 家族全員呼んでお祝いをした時の写真

私が19歳の時、父が脳梗塞で倒れ、介護生活が始まりました。

「介護」ってなに?
「お父さんに何があった?」
「なぜ私の父が?」
とそんな、悩んでも、考えても解決しないことを、
ずっと頭の中で考えていて、
毎日泣いていたことを思い出します。

特に父と仲が良かったわけではありません。

フツーの親子。

中学生の時は、「一緒に洗濯しないでよ!!」とか
「あっちにいってよ!!」とか、そんなことを言ったり、
高校生になれば、「ふーん」とあまり父に寄り付かないで、友だちや彼氏、
バイトに部活三昧だったのです。

でも
父は車の運転がとてもうまくかった。
子どもながらに、そのことはよくわかっていました。
なぜなら父はトラックの運転手。

トラックに乗せてもらい、ドライブに行くのは好きでした。
トラックの運転手だから、毎日家にはいません。
時々帰ってきます。

父が夕飯のとき、(当時テーブルなんてなく、座っての食事)
ちょっとしたおつまみを食べさせてもらうのが好きで、父の膝に座りこみ
母が作るおつまみを楽しみに待っていた記憶があります。

だから、運動会、学校関係の行事なんて、来ないのが当たり前。

気にしたことはなかったです。

専門学生になり、少し距離が戻ってきたころに、
突然父が言葉を失い、運転が上手だった父ではなくなってしまいました。

ふらふらになりながら、自分の異変に気が付きながらも
とにかく事故を起こさないように運転して、家に帰ってきたそうです。

無我夢中で、母を支え、父が少しずつ歩けるようになってから、
旅行にも行けるようになりました。

2011年 父が倒れて12年目のころです


この写真が好き

BeautyJapan日本大会に向けて、動画用の素材を集めながら、過去の写真を探しました。

父が倒れた当時の写真がいくら探しても見つかりません。
10年間くらいの写真が全然ないんです。

それほど、その期間は私には余裕がなかった。
記録を撮っておこう!という考えもなかったです。

写真を見て振り返るのは、もっと父とツーショットで、撮っておけばよかった。
私は、両親の笑顔の写真を撮るのが好きで、二人にばかりカメラを向け
ふざけては、二人を笑わせ、笑顔写真を撮ってきていました。

母とはたくさん写真があるけど、父とはあまりないことに気づき、
今更ですが、これからは、ケンカもするけど、
後悔の無いように、父とも一緒の写真を撮っておこうかな。と思います。

老いていく父の姿を見るのは、とても切ない気持ちになります。
昔の写真を見れば見るほど、
まーまーカッコよかったのかな?と思うことも。
元気な姿を知っているから、背中が丸くなり、
どんどん老いていく父の
今の姿を受け入れたくない私がいる。

でも、父は、
大失恋をして10キロ痩せたときも、
私が仕事を辞めたり、転職活動をしたりしているときも
ただ見守り、時々「いま、何しているの?」と言葉を掛けてくれたりでした。

どんな状況であっても、受け入れてくれていました。

父がどんな姿であれ、
父は父です。

すべてに感謝し、この思いを
BeautyJapan日本大会で、伝えたいと思います。

最期まで読んで下さり
ありがとうございます。


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