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才能を伸ばしてあげたい。そう願って熱く指導することの功罪―「助長」の教訓
熱血指導NG時代に若い人をどうやって育てるのか
打たれ弱い、いまの若い人をどうやって育てたらいいのか?
少しでも厳しい言い方をすると、「きつく叱られた」と受け止められて、パワハラで訴えられるリスクがある。なので、間違いやミスを正すこともためらってしまう。
それでも、一人前になってほしい、という思いから、ことあるごとに注意をし、自覚を促す。そんなことを繰り返していると、ある日連絡がとれなくなり、やめてしまう。
「パワハラ」という言葉などない時代に、下積み・現場の経験を積んだ50代、60代の人たちからは、「若い時には、先輩や上司からボコボコになるまで鍛え上げれたもので、その結果這い上がってきて、今日の自分があるのです」という言葉が出てきます。社会人になって手痛い洗礼を受けて、そこを通過することで一人前になってきた。
しかし、その経験則は、もう通用しません。
となると、多くのリーダーやマネジャーは、スタッフの間違いやミスのフォローを自ら引き受けて対応しようとする。やることは増えていくばかり。
チームやお店全体でみると、スタッフの入れ替わりが頻繁で、責任ある仕事を任せられるスタッフが育たない。
結果としてパフォーマンスも、業績も上がらない。
では、どうやって人を育てたらいいのでしょうか?
『孟子』「助長」のエピソードに学ぶ
そういう悩みを解決するのに、直接は参考にはならないかもしれませんが、中国春秋戦国時代の思想家・孟子の著書『孟子』出てくる話をもとに、人の育て方について考えてみたいと思います。
宋の国のある百姓が、苗の成長が遅れているのを心配して、なんとか早めたいと思い、一本一本引っ張ってやった。
疲れきって家に帰り、こう言った。
「ああ、今曰はくたびれた。苗をみんな伸ばしてきたから」
息子があわてて畑にかけつけると、苗はすでに枯れていた。
このエピソードをもとに、孟子は次のように話を展開します
世間にはこんな人間が少なくない。
浩然の気を養うのを無益だときめつけるのは、畑の草とりもやらない人間だ。
助長しようとせっかちになるのは、苗を引っぱる人間だ。これは無益なばかりか、有害でさえある。
まず、「助長」の功罪について。
本人の才能を伸ばしてあげようと関わるのはいいけれど、能力以上に負荷をかけて、ウツになってしまうなど、その人を潰してしまう。
逆に、成果がでるように必要以上の手助けをしてしまうと、本人自らが気づく、考える、という機会を奪ってしまう。自分で解決する力が身に就かず、その人があまり成長しない、ということで終わってしまう。
次に。
浩然の気を養うのを無益だときめつけるのは、畑の草とりもやらない人間だ、というのは、これを大胆に解釈すれば、本人の自主性に任せるといいながら、実のところ、人を育てることを放棄している、ということです。
パワハラだと言われるのを恐れて、遅刻しても叱らない、ミスをしても本人を問い詰めず、まあまあとやり過ごす。
それでいいのでしょうか?
自分の過ちに気が付かない本人は、同じ過ちを繰り返すことになるわけです。
組織やチームの目的を考えず、自分の都合だけで動くことは、自主性でもなんでもありません。そういうスタッフを野放しにしておくのは、パワハラのリスク回避するには賢明なことなのかもしれませんが、人材育成を放棄している、という側面もあるわけです。
自分勝手をしながら労働の対価を得ている本人が、どういう認識でいるのか。チームで仕事をする、成果を上げるとはどういうことで、そのためにどう貢献したいと思っているのか。
自分は能力があるという認識が本人の根底にあるなら、そして、あなたがリーダーやマネジャーの立場にあるなら、そのことについて話し合ってみるのも、1つの解決策になるのではないでしょうか。
物事の成長や発展を助けるのが、現在の「助長」
「助長」という言葉は、この『孟子』の一節からきています。
現在では、力を添えて、ある物事の成長や発展を助ける、とか、ある傾向をより著しくさせる、という意味で使われることが多いです。
最後に、『孟子』の書き下し文です。
その苗の長ぜざるを閔(うれ)えてこれを揠(ぬ)く者あり。
芒芒(ぼうぼう)然(ぜん)として帰り、その人に謂いて曰く、
『今日病(つか)れたり。われ苗を助けて長ぜしめたり』と。
その子趨(はし)りて往きてこれを視れば、苗すなわち槁(か)れたり。
天下の苗を助けて長ぜしめざる者寡(すく)なし。
もって益なしとなしてこれを舎(す)つる者は、苗を耘(くさぎ)らざる者なり。
これを助けて長ぜしむる者は、苗を揠(ぬ)く者なり。
ただに益なきのみにあらず、而してまたこれを害(そこな)う。