誤った行為をしなくなる。そのためには何をすればいいか―『荀子』
学ぶことがなぜ大事なのか
なぜ学問をするのか。
なぜ学問は中途でやめてはならないのか。
学問を怠ると、どういう人生になってしまうのか。
学問といってしまうと、どうも堅苦しいですが、人はなぜ学ぶのか、生涯、学び続けることがなぜ大切なのでしょうか。
語学力のアップや専門知識の向上、資格を取るための勉強など、日ごろからいろいろなことを学んでいますが、ここでテーマにしたいのは、人間の修養、人間力の向上についてです。
人としての道を踏み外さないために、学ぶことの意味、目的について語った荀子(じゅんし)の言葉が参考になります。それをみていきましょう。
青い色は藍草(あいくさ)からつくりだすが、藍よりも青い
学ぶことを中途でやめてはいけない、
青い色は藍草(あいくさ)からつくりだすが、藍よりも青い。
氷は水からできるが、水より冷たい。
荀子の話の組み立てが長いので、読み下し文を差し挟みながら、読んでいきます。
学ぶことについて。
まずは自然の摂理から説き起こしています。藍と氷の例を挙げていますが、これはモノ(物質、生き物)は生来備わっている性質以上の機能・性能をかわることができる、ということです。
そのうえで、育つ過程や外部からの影響によって、モノがどう変わるのか、ということを、木や金属を例に挙げて、話を展開していきます。
墨縄(すみなわ)を当てて真直ぐにけずった材木でも、たわめれば、コンパスでえがいたとおりの丸い車輪になる。そうなると、乾燥しても。もう元にもどらない。
木は墨縄を当ててけずれば真直ぐになるし、金属は石(といし)でとげば鋭利になる。
それとおなじように、
毎日反省を繰り返して、学問にはげむなら、英知がまして、誤った行為をしなくなる。
読み下し文です。
英知がまして、誤った行為をしなくなる
なぜ学ぶことを途中でやめてはいけないのか?
学問にはげむなら、英知がまして、誤った行為をしなくなるのだ。
荀子によって、結論が導き出されました。
学ぶことをやめると、それまでに身に着けた英知が衰退してしまう。
つまり、自分を律する知性、理性が損耗すし、人としての道を踏み外すリスクが高まる、ということ。
教育によって、人は変えることができる、と読むこともできます。
学び続けることで、コントロール力を涵養することができるようになる。
それはココロにも、カタダにも、アタマにも、すべてに通じることではないでしょうか。心(技)体がバランスよく整うこと。それによって、集中力もコントロール力も、わずからながらもアップしていく。
たとえば、フィジカルトレーニングで肉体をできれば心も鍛えること。
たとえば、瞑想や坐禅などの心を整えること。
そうした日々の積み重ねが、成長へとつながる。三日坊主でやめてしまったら元通りになってしまいます。
話を戻しましょう。
それを極めていくことの大切さを、荀子は次のように例えて語ります。
だれでも、高い山に登らなければ、天の高さに気がつかない。
深い渓谷をのぞかなければ、大地の厚さに気がつかない。
読み下し文です。
この後も、荀子の言葉は続きますが、省略します。
ちなみに、「出藍(しゅつらん)の誉れ」の出所が、ここに出てきた、「青は、これを藍より取りて、しかも藍より青し」です。いまでは、弟子が師よりも偉くなる、という意味で使われるようになりました。