どんな敵にも動揺しない 木鶏(もっけい)の境地になりたい
いかなる敵にも無心になれる境地とは
そのむかし(春秋戦国時代)、闘鶏飼いの名人に紀渻子という男がいました。あるとき、さる王に頼まれてその鶏を飼うことになった。
10日ほどして王が、
「もう闘鶏の試合に出せそうか」
ときくと、彼はこう答えました。
「空威張りの最中で駄目です」と答えました。
さらに10日後に、王が督促すると、こう答えました。
「まだ駄目です、他の鶏の声を聞くだけで相手に飛びかかろうとします」
それからまた10日がすぎて、三度目の催促をうけたが、彼は、
「まだまだ駄目です。敵をみると何をこいつがと見下すところがあります」
といって、首をたてに振らない。
それからさらに10日経って彼はようやく、王の鶏が闘鶏として完成の域に達したことを伝えました。
「いかなる敵にも無心です。ちょっとみると、木鶏(もっけい=木で作った鶏)のようです。徳が充実しました。まさに天下無敵です」
これが中国古典『列子(れっし)』、『荘子(そうじ)』に掲載されている「木鶏」のエピソードです。
名横綱双葉山の「イマダ モッケイタリエズ」
この「木鶏」のようになりたいと憧れ、自己研鑽を積んだのが、昭和の大横綱・双葉山でした。
大関時代に漢学者の安岡正篤氏からこの寓話を教えてもらった双葉山は、勝負の世界に生きる身として、「木鶏」の境地に少しでも近づきたいと心がけました。
やがて横綱に昇進した双葉山は、69連勝という偉業を成し遂げます(現在に至るまでこの連勝記録は破られていません)。
昭和14年1月場所、平幕の安芸ノ海との対戦で、外掛け敗れてしまい、連勝はストップ。そのことを外遊中だった安岡正篤氏(の門下生)に電報で伝えます。
「イマダ モッケイタリエズ フタバ」
その心境を、双葉山自身が述懐しています。
「木鶏」たらんと努力してきたけれども、容易に「木鶏」たりえなかったことを自証せざるをえなかったのです、と。
69連勝という偉業を誇ることなく、自分の至らなさに向き合っている、二葉山関の姿勢に敬服します。
心と技と体。
メンタル(マインド)、テクニック、フィジカルの3つをバランスよく伸ばしていくこと。アスリートでなくとも、それがいかに大事なことか。
マインドフルネス。現実を離れた時空間をつくって、心の落ち着きを手に入れる。それも大事ですが、目の前にいる強敵にも動じない「木鶏」の境地。どんな状況でも自分を見失わずに、行動できるような人間になりたい。