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ミスや失敗の指摘は、厳しすぎてはいけない―『菜根譚』の「争わない生き方」

小さな失敗はとがめないほうがいい。その理由

「争わない生き方」をテーマにしたオンラインセミナーを11月8日に開催します。その講師を務めることになりました。
無料で、入退出の制限もありません。関心を抱かれましたら、どうぞご参加ください。

「争わない生き方」をテーマにしたオンラインセミナーを11月8日に開催します。その講師を務めることになりました。
無料で、入退出の制限もありません。関心を抱かれましたら、どうぞご参加ください。先人の知恵から、心豊かに生きるヒントをいかに学ぶか。
セミナーのコンテンツに関することについて、書いています。
取り上げる中国古典は、『菜根譚(さいこんたん)』、『呻吟語(しんぎんご)』、そして『論語(ろんご)』、『老子(ろうし)』です。

第5回は、前回に続いて『菜根譚』です。
テーマは、人の過ちや至らなさには、寛大であれ、ということ。著者の洪自誠が、よほど大事なことと思ったので、いい方をかえて、何度か戒めを述べています。
これも、「争わない生き方」に通じることをみていきましょう。

他人の小さなミスや失敗をとがめない。
他人の隠しごとには触れない。
他人の昔の悪事は蒸し返さない。
この三つのことを心がければ、
自分の人格を高めるばかりでなく、
人の恨みを買う、というトラブルを避けることができる。
 
*『決定版 菜根譚』守屋 洋著をもとに意訳しています。

読み下し文です。

人の小過(しょうか)を責めず
人の陰私(いんし)を発(あば)かず
人の旧悪(きゅうあく)を念(おも)わず
三者もって徳を養うべく
またもって害に遠ざかるべし。

  • 小さなミスや失敗をとがめない―不責人小過

  • 隠しごとには触れない―不発人陰私

  • 過去の悪事は蒸し返さない―不念人旧悪

著者の洪自誠が指摘するこの3つは、人の恨みを買い、トラブルへと発展するのを防ぐ、貴重な教訓といえるでしょう。

 結論はそういうことですが、ここで考えてみたいことがあります。
 思いやりをもって人に接しよう、と冷静なときには心がけているのに、いざというときに、ともすれば、その反対の行動に走ってしまうことがあるのは、なぜなのでしょう。

 思いつくのは、相手よりも優位に立ちたい、という心理が働いたとき。
 それに有効なのが、相手の弱点やミスを必要以上にあげつらうことです。
 責任を回避したいときにも、そういう行動をとりがちです。

 結果、どういうことになるか。
 ミスや失敗については、事実関係は把握し、解決を急ぐべきなのに、当事者の責任をくどくどと指摘し、考え方が甘いとか、本人の人格のことまで言及してしまう。

 相手が伏せておきたいこと、たとえば氏素性に関することにも触れる。こうした行為は、このご時世タブーですが、閉鎖的で固定された人間関係が続いている組織では、それによって人を支配しようとすることがまだ行われているようです。

 犯した過ちを反省し、前向きに生きているのに、何か不審なことがあると、疑いの眼でその人を見たり、疑いを向けてしまうことも、そうです。

 そういう仕打ちを受けた人がどういう感情を抱くことになるか。
 冷静になって、立場を変えてみてみればわかるはずですが、自分では正義の行動をしているという思い込みが強いと、争いの種を自分で蒔いていることさえに気づかないのです。

人を育成するときには、ハードルを高くしすぎてはいけない

 次は、ミスや間違いを叱責する場合、人を育てる場合について、洪自誠が述べている言葉です。

人を叱責するときには、あまり厳しい態度で臨んではならない。
相手が受け入れられる限度を考慮して、接するようにしたい。
人を指導、育成するときには、ハードルを高くしすぎてはいけない。
その人の能力やキャパシティにあわせて行うようにしたい。

 *『決定版 菜根譚』守屋 洋著をもとに意訳しています。

読み下し文です。

人(ひと)の悪(あく)を攻(せ)むるには、太(はなは)だ厳(げん)なるなかれ、その受(う)くるに堪(た)えんことを思(おも)うを要(よう)す。
人(ひと)を教(おし)うるに善(ぜん)を以(も)ってするは、高(たか)きに過(す)ぐるなかれ、当(まさ)にそれをして従(したが)うべからしむべし。

ミスや失敗を叱るときに、事態の解決を急ぐあまり、ともすれば、相手の事情や叱責を受け入れるキャパシティのことにまで気が回らないことがあります。
問題を起こしたその人を責めることよりも、事態を収拾することが本来の目的です。一方、当事者は、責任を問われることを恐れて、事実を隠蔽したり、ミスや失敗の因果関係を曖昧にする行動に走ってします。

 ミスや失敗をした本人には、挽回のチャンスを与えてあげること。
寛大であれ、というのは、ミスや失敗を見逃してあげなさい、ということではありません。自分が嫌われたくないという思いが先にたち、なあなあで済ませて相手がこの程度のことで済んでしませてしまうのは、相手からなめられる元となります。
 また、問題を起こした本人の成長にも繋がりません。

 もう1つの戒めが、人を育てるときの問題点です。こちら側の事情で、仕事ぶりや成長の目標を設定し、プレッシャーを与えていないだろうか、ということです。

 ここからは仮の話です。
 今期の目標に対して、次期目標は必ずアップしていないといけないのか。環境が整っていないことや、本人の習熟度を考えて、ほぼ同じような設定にし、本人の成長を待ってあげることは、できないのか。誰にも苦手なことはあります。停滞もあれば、体調や家庭環境のこともあるでしょう。

 成長を促すことは大切ですが、面談で相手も了承をしたということをもって、はなから達成が難しい目標を設定することが、本人のための育成といえるのか。
 本人のモチベーションを、どう理解してあげるのか、モチベーションが低いと切り捨ててしまうのは、本人の目線に立った指導育成とはいえないでしょう。

これに関する言葉がもう1つあって、まとめて取り上げるのがいいのですが、ちょっと長くなってしまいました。
話が途切れてしまい恐縮ですが、次回とさせてください。


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