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「感情の言語化」は鮮度が高いうちに
このnoteのまっさらなテキストに、荒削りでもいいから書くこと。
わたしも(なるべく)早めにそうしていますが、仕事や家事など「やらなければならないこと」に1日の多くを使うので、タイミングによっては「瞬時に書く」という行為が難しくなることもあります。
「すぐに書いて、言葉の鮮度をなるべく良い状態に保ちたい」
「でも、それどころじゃない」
やはり時間の経過とともに、せっかく”湧いた言葉”を取りこぼすことも…そのような経験はもしかすると、
note内では”あるある”なのかも?
感情は良くも悪くも生々しい動きをします。
わたし自身、”自分の言葉”という本音で伝えることをベースに創作していますが、自分とは違う人たちのことを意識すると、やはり配慮は欠かせません。
(どこまでできているかは不明ですが)
その一方リアルな場になると、noteみたいに感情をここまで言語化することが難しく感じます。
間違いなく何かを感じているのに、それを汲み取るのに必死だし、明らかに配慮を欠いた発言も…
ここにおいては、現在も(以前と比べて改善されたとはいえ)続いてます。
「中途半端に伝えると、その言語を支える感情が何となく湿ったような雰囲気を持たせないか?」
考えすぎかもしれませんが、やはりこの点においては時々引っ掛かりを感じます。
「ただ、伝えることは決して無駄ではない」
わたし自身そう前向きに捉えるようにして、
個人としての自分を守る。そして、この苦手な部分も”情報化”して、鮮度が高いうちに発信する。
つまり、自分を理解した上で自分を使いこなす。
そうすることで、自分で自分を価値付ける気でいれます。(わざと錯覚化させる感じかと)
この言語化生活を定着させたおかげで、感情は人体と同様の生き物であることを大いに実感。
その”生きた存在”を大切にするためにも、noteはこれからも絶対に必要。
少しずつだけど、血が通う、温かくて生き生きとした存在になれているようにも思える。
わたしという個人としての層を厚く、唯一無二の価値を共有する力をこれからも育てたい。
こんな感じで、こだわりの毎日更新は止まる気配がありません😸
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