大嫌いの裏にある大好き
被害者マインドだった以前のわたしです。
病的なほど自分が大好き
辛くて苦しい、何もできない自分が大嫌い。
こう思うのはホンモノ。
ただ、これは顕在意識の自分。
その奥にある潜在意識の自分はというと、
大好きだった。
いまはそう見ています。
生きづらさの根底はストレス源である人と、その人がいる環境にいることです。
ですが、視野狭窄の沼にはまった当時のわたしは、変わることに対して無関心でした。
被害妄想・対人恐怖・引きこもり
自分の世界に閉じこもることは傷つき体験を回避できるかわりに、時間の経過とともに状況が悪化。
動き続ける周りの時間とは違い、自分の時間は止まったまま・・ますます自分の取り扱いを困難にさせました。
変わらなければとは思いました。
しかし、変わらないことを選ぶことに大きなメリットを感じたのです。
(潜在意識だからもちろん自覚なし)
不幸な自分に酔っていた。
病的に悲劇のヒロインとなって自分を好きでいること。命を繋ぐ唯一の方法と信じて疑いませんでした。
こんなわたしが現在に至るまで変われたのは、自分から考えて行動を起こしたこと。
とくに、親子関係を深掘りする必要を強く感じたためです。
この「自分から」でなければ、周りがアドバイスする、励ます、批判するといった動きに対して過敏に反応し、症状を悪化させた。
悲劇のヒロインという病はそれだけ厄介なのです。誰の言葉も響かないのだから。
(言葉の意図を自らねじ曲げているため)
わたしは現在のインプットとアウトプットを続けることで、心の奥底に隠れた幼い自分の存在を認め、その幼い自分と仲良く共存しています。
子供ならではの感情を認めた上で、思考を整理して大人としての自分で生きる。
これがわたしなりの精神的自立です。
人生の明暗を分けるものは、自分を知るか、そのまま無視するか。
シンプルにこれなんだと思います。