苦痛だった書くこと
不登校になるまでの小・中学生時代。
読書感想文や自由研究のレポートを書くことが大の苦手でした。
なぜ苦手だったか?
思ってもいないことを書かなければならないこと。
興味の範囲がかなり限定的だった当時は、
あらゆるものに触れても心は動かず。
だから書きたいことがない。
義務を果たさねばならないプレッシャーを強く感じました。
これも恐らく、感情を共有できない家庭環境による影響でしょう。
とはいえ、頭の中にあるものを開示しないということは、会話の機会や、その先にある対話の機会も閉じるということです。
対話とは?
互いが交わす会話の中から出る違いを知り、その違いを擦り合わせていく共同の確認作業であり、歩み寄ること。
違いを認め、概ね理解して自分も他人も揃って大切にする。
その思考力を育てる手段のひとつが感想文やレポートだったと考えます。
あんなに嫌だった書くことを、こうして好んで生活習慣にできている。
それはやはり、落ち着いて自分と向き合える環境に移ったこと。
ここが大きな点でした。
そして気づけば感想文も進んで書いていた。
その感想文は事前に手書きして、後にアウトプット記事として出す。
誰からも指示やそういう期待もされていないこの環境で自ら選んだアウトプット宣言。
ここにいるわたしにとって書くことは、
自分と読んでくださる誰かの心を潤すために必要な手段。
毎日更新はもちろん義務ではないけど、自分をさらに成長させるにはやはりここにこだわりたい。
いろんな経験を通じてよりnoteが好きになったわたしは、今後も頭の中にあるものを次々と外へ送り出します。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
”サクセスストーリーの創作”はこれからも続きます!