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noteを読み耽って、知る。

 こんばんは、本城です。

 読書が好き。文字を読むのが好き。本に触れているのが好き。本を見ているのが好き。だからと言って本を大切に扱うのかと言えばNOなのだけれど、何かを読んでる時間は、他のことをしている時間よりも圧倒的に多いだろうなと思っている。かといって、真に読書好きなのかというと自分でも少し疑問がわくところなのだけれど、それについてはまたいずれ。

 主に読む本は漫画か小説がほとんどで、エッセイは稀に、雑学系の読み物は極稀に、思想哲学は買うだけで満足、詩や短歌に至ってはほぼ皆無と言っていいほどで、現実にない物語をひたすらに読み漁るのがどうにも好きらしい。現実にはありえない、スカッと爽快な、あるいは大いに笑えるような、時には泣けるような、愛憎いりまじった、そして犯罪的に。仕事が終わって家に帰れば、まずシャワーを浴びて、そのあとは、何をするにもずっと片手に本を持って過ごしている。

 のだけれど、ものを書くようになってから、それから、特にnoteを始めるようになってから。本を手に持つ時間が圧倒的に減っている。

 もちろん自分が書きたいな、と思うことが増えているということもある。noteに書こうと思うともちろんのこと、twitterの140字以内であっても、少しの時間が必要になるし、その間、それらを手に持ったまま固まったりうろうろしたり、キーボードにかじりついたり、というほど時間はかかってないのだけれど、とにかくする。そうするとその分、ただでさえ少ない読書量が減るのだけれど、それよりもさらに、本を持たない比が出てくるくらいに、減っている原因がある。


 noteを読んでいる。


 今までかつて、人の書いた日々徒然や、思いを綴られた詩を読むことは、およそ友人の作ったものしかなかったし、読むのが稀だと言ったエッセイにしても、商業的に販売される、普通の「本」でしか読むことがなかった。そんな私が、どこの誰ともつかない、というと聞こえは悪いかもしれないが本当のことで、まさにたまたま目に入った、言葉が好きだな、写真がいいな、テーマが気になるな、そんな些細な理由から選んだ文章を、ただただ読んでいて。そのうちに気になる人ができて、この人の言葉が好きだという風になって。その人たちのnoteを追いかけるのを心待ちにしているときさえある。

 正直に言うと、今までエッセイを読んで、わくわくすることなんてほとんどなかったし、笑えるような、私にとって、非日常であることを描いたものがほとんどだったと思う。それはエッセイなのだろうけど、私はあくまで、物語を読むようにエッセイを読んでいたのだろう。

 noteを読む時、この素敵な言葉を書く人は、こんなことを思いながら生きていて、こういう考え方で世界を眺めていて、よくあるさまざまな出来事を、こういう風に捉えて過ごしていて。最初はひとり、次の日は三人、その次の日には四人、そうやって気になる人がどんどん増えて、読みたくなるものが毎日出てくる。

 本当の本当に当たり前のことで、今更こんなことを言うのは気も引ける思いなのだけれど、自分とは、違うのだなと、そしてその違いが、今の私にはとても興味深くて。ひとつ読んでなるほどとなれば、ふたつみっつと読み進めて、また自分にスキをくれた人も、どんな人なのかと見に行って、また同じようにふたつみっつと読み進めて、私はこういうのが好きだったんだなとか、そういう過ごし方に憧れるなとか、今度これを試してみようとか、同じものについて考えてみようか、書いてみようか、とか。

 その人たちが書くものは当然その人たちのもので、言葉や、文章や、詩や、写真で、皆が持っているものの片鱗をちらつかせて、時に大胆に、時に隠されたように、その人となりや経験してきたものを表現していて、そのものについて無知のままな私は、いつだって新しい感覚を受け取っている。

 エッセイの面白さとはそこにあるのだと、知識で知ってはいて、でも全く解っていなかった、そしてその本当の意味を皆さんの言葉が教えてくれて、それに出会える場所をnoteが作ってくれていた。エッセイが好きだという人には何をいまさら、と笑われるようなことかもしれないけど、それでも自分にとっては、本当に得難く、有難く、革命的で、運命的だった。

 友人に勧められていなければそもそも詩や文を書くことなんてはじめなかったし、書くことをまた始めなければこのことは全くなかっただろうし。ツイッターで詩を書くうちにたまたま知った夜野なみださんのnoteがなければここにはたどり着けなかっただろうし、何と表現していいのかわからないけれど、どの文章もどの言葉も、好きだなと、しみじみと深く感じるいちとせしをりさんのnoteがなければここまで読むこともなかっただろう。

 好きな人たちを追いかけて、今新しいものを見ていると感じている。そのことの、何と幸せなことか。そして、なんとありがたいことなのか。この気持ちを、また文章にして、noteに置いて。それをしるべに、誰かの新しいものが開けたなら、どれほどの喜びなのだろう。

 願わくば、これからも書き続けていけますように。そして、読み続けていけますように。


 文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。

 本城 雫

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本城 雫
いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。

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