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自分の価値観で相手を判断することの空虚さ

今勤めている職場への就職が決まった時、自分に宣言したことがある。

絶対に同僚を外見や話し方、たった一回話したその時の印象なんかで判断しない、と。

そもそも私の住むスイスのチューリッヒという土地の人たちは、(これは「判断」だという自覚の上でだが)、挨拶は取り敢えずするが、上辺の笑顔をくっつけてなので本心が読みにくい人達。その笑顔も外交的というか笑顔とも皮肉とも取れる微妙な筋肉の動かし方。

つまり、挨拶の際に感じる印象は全く当てにならない。

笑顔の奥底でこの人は私のことをどう思ってるんだろう。

へえ、おもしろいね。とは言ったものの本当はそんなこと思ってないんじゃない?この人。

などあれこれ詮索する時期もあったけれど、瞑想のティーチャートレーニングを受けてからは、なんと無駄なことに時間を取られていたのかと呆れるしかなかった。


瞑想で学んだ基本の3点

   気づき
   今、この瞬間
   価値判断しない

これに立ち返ることの気持ちよさ。


仕事を始めて、色んな新しい同僚と挨拶し、いわゆるスモールトークをする機会が沢山あったが、いつも、この3点に気をつけていた。


仮に腕に沢山タトゥーを持つ同僚であっても、そのあまりの量と、文字が放つその同僚の政治的立場にびっくりしても、今この瞬間は彼女の話を目を見て聞いている。

ただそれだけ。

別の同僚が、僕は日中はコーヒーしか飲まないと言っても、そこで「健康に悪いんじゃない?」などと余計なお世話をかけるぐらいなら、ふむふむそうなんだ、と面白く興味を持って会話している方がいい。


まさに今の職場の同僚達は国籍や宗教、人種はもちろん、服装や嗜好、興味の範囲までそれはそれは多岐に渡っていて、おもしろいことこの上ない。

いつも「うんうん」と目を輝かせて聞いていたら、自分とは全く違う政治的思考や生活態度、趣味だからこそ学ぶことが沢山ある。


もし以前のように、ああこういう服装の人ってこういう考えの人が多い(に違いない)からあまり会話しないようにしよう。

え?私の食生活に文句あるのかしら?あなたも人のこと言えたもんじゃないけど、、、。

などと思いながら会話していたら、当然相手もそのエネルギーを受け取るだろう。

そしてそれは、相手も私の本当のところを見ずに上っ面で判断してしまうことになりかねない。

フラットで中立で中庸で人に対することに気をつけるだけで、日常って簡単に楽になるものだ。


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