【無料記事】「流れぬ彗星/天昇る火柱」略年表&勢力図【歴史小説】
「流れぬ彗星」と「天昇る火柱」が、ともに第一部終了したのを機に、略年表と勢力図を作ってみました!
この二作。
描いている時期も一部重なっており、「あれこの時ってどうなってるんだっけ……」と(筆者でも)感じがち。
しかもやっぱり、どうにもメジャーじゃない時代。敵と味方が入り組んでややこしい……
そういったお悩みが少しでも解消すれば嬉しいです!
「流れぬ彗星/天昇る火柱」略年表
〇=「流れぬ彗星」 ●=「天昇る火柱」の出来事
<前史>
1477 文明9年
畠山義就が京から河内へ下国し、応仁の乱が終結。
1484 文明16年
〇この年の遣明船に、加藤三郎(赤沢朝経)、愛洲移香斎同乗。
1490 延徳2年
大御所足利義政没する。美濃から帰京していた甥の義材が将軍家を継ぐ。
1491 延徳3年
畠山義就、河内で没し、嫡子の基家が跡を継ぐ。
●赤沢宗益、鷹狩の才を認められ、京兆家内衆となる。
1492 延徳4年
足利義材、近江六角征伐。大勝を収める。
<流れぬ彗星/天昇る火柱 第一部>
1493 明応2年4月
細川政元、河内出征中の将軍足利義材を背後から襲撃、捕縛(明応の政変)。
〇管領畠山政長は自刃、その嫡子次郎(尚順)は紀伊へ逃れる。
〇次郎、愛洲鯨・愛洲移香斎と出会い、熊野海賊の助力を得る。
5月
〇次郎、湯浅湊へ侵入した赤松氏の船団を打ち破り、守護所の広城を奪還。
9月
〇義就の子・畠山基家、義豊と改名し紀伊へ侵攻。次郎は根来寺の支援を得てこれを退ける。
1495 明応4年
〇義豊の紀伊再侵攻。次郎は根来寺、粉河寺とともにこれを退ける。
1496 明応5年
〇次郎、反撃に出て河内へ侵攻。しかし逆に二度にわたって退けられる。
南山城を占拠していた遊佐弥六、古市澄胤に求められて来援した赤沢宗益によって駆逐される。
●赤沢新兵衛、大和国古市に到着。古市澄胤と楠葉元次の知遇を得る。
●新兵衛、西方胤栄の陰謀をくじき、楠葉藍紗を娶る。
●新兵衛、澄胤の使者として宇治五ケ庄へ赴く。兄の宗益と再会し、その養子となる。
1497 明応6年9月
〇河内で守護代家遊佐氏と誉田氏の内紛。次郎はこれに乗じて進撃し、義豊勢を破って守護所の高屋城を奪取。「河内屋形」を称する。
10月
大和で筒井氏が復権、奈良で古市澄胤を破ると、古市郷を略奪破壊。楠葉藍紗も行方知れずとなる。
1498 明応7年8月
〇明応地震。紀伊、伊勢、志摩の海岸は甚大な被害を受け、愛洲の里も消滅。
1499 明応8年1月
尚慶と改名した次郎、河内十七箇所の決戦で勝利し義豊を討ち取る。
7月
●赤沢宗益、前将軍足利義尹(義材から改名)に与同しようとした比叡山延暦寺を焼き討ち。全山壊滅させる。
9月
尚慶、河内から出陣。天王寺に陣を張る。同時に義尹も越前より南下。京の細川政元を挟撃しようとする。
●赤沢宗益、槇島城を落とし、以後本拠とする。
11月
足利義尹が近江坂本で守護六角勢に大敗。行方知れずとなる。
12月
●赤沢宗益、古市澄胤の手引きで大和侵入。衆徒国民を破って奈良を占領、諸寺を略奪しながら南下し二上山城に入る。
畠山尚慶、京兆家主力との決戦に敗北。天王寺の陣を自焼して紀伊へ没落。
勢力図【1499(明応8)年】
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