古市澄胤、京都へゆく【歴史小説・天昇る火柱スピンオフ】
この小説は、拙著「天昇る火柱」第一部に登場した奈良の僧侶武将、古市澄胤の上洛行を描いた小話です。
本編主人公の赤沢新兵衛も登場します。
有料マガジン「天昇る火柱 第一部」の特典として収録しております(単品でも読んでいただけます)。
ぜひぜひ、ちょっととぼけた古市澄胤主従のおのぼりの様子を、お楽しみくださいませ!
大純はる
本編
楠葉元次は、前触れもなくふらりと屋敷へ帰ってくる。
かと思うと、床板を外して糠床の壺を取り出し、菜っ葉で湯漬けを食っている。
「カリームよ、いつも一体どこで何をしてるんだ」
新兵衛も負けじと飯を食う。土瓶から湯を注いで、一合二合と競い合うように流し込む。
「俺の師匠になるはずじゃないのか。ンン? 師匠ってのは、弟子をほったらかして、日がなあちこちほっつき歩いてるもんなのか」
「お前、一度、京の都を見てみたくはないか」
こちらの問いには答えず、じろりと異人の目を上げ尋ねてきた。
「そりゃあ、行ってみたいさ」
大和と同じく、京にも海はない。だが、広い世界の在りようをこの目で確かめ、全身で感じてみたかった。ひとまずは古市の郷から出て、この国のド真ん中まで行ってみたい。
「播州様のお供じゃ。しかも、そなたをたってのご指名である」
もちろん新兵衛は驚いた。
播磨公こと古市澄胤は今や、大和国随一の大名と目されている。
飛鳥の国民越智氏の娘を娶り、ともに筒井氏の一党と戦って、これを南都からも本貫地からも追放し、ほとんど完全な勝利を収めていた。
かつての兄、胤栄の惨敗ぶりとは、残酷なまでに鮮やかな対照である。
興福寺から官符衆徒棟梁、奈良中雑務検断職にも任じられ、押しも押されもせぬ覇者の風格だった。
だがやはり、本貫の古市ではまるで尻が温まらなかった。郷の辻子からは、『播州様はまるで古市ではなく、山城の郡代のようじゃ』という声さえ聞こえてくる。
そればかりではない。京の政局にまで率先して関わろうとし、上洛と貴顕への訪問を繰り返していた。
去る明応二(1493)年四月、管領家の細川右京大夫政元は、河内遠征中の将軍足利義材を背後から急襲して捕縛、幽閉していた。まさに前代未聞の出来事である。
河内の隣国大和からも古市、越智が兵を出し、細川京兆家の政変に手を貸していた。
政元の口添えがあり、次代の将軍家へ拝謁するため、古市と越智に上洛の求めが届いた。破格の栄誉である。
赤沢新兵衛は、その一団に同行するよう命じられたのだった。
「だけどまた、何だって俺なんだ」
突然の用命ではあった。ここ古市へ来てから二ヶ月、ほとんど何の声かけもないまま、すっかり放置されていたのだ。
「播州様は、無類の馬好きであろう。馬方の口から、お前のことが折り入ってお耳に届いたのではないか」
本当にそうだとしたら、猿丸はちょっとした恩人である。
となれば、一も二もない。
京へ行けば、一目でも兄に会えるかもしれないのだから。
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