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【最終回】流れぬ彗星〜第二部(6)「帰らざる者」【歴史小説】
この小説について
あの畠山次郎が帰ってくる!
「天昇る火柱」第二部の終幕から、少しだけ時を戻して…
天王寺の陣で、主君・足利義尹の来援を待ち続けていた畠山尚慶。
しかし願いは叶わず、細川京兆家の若き猛将・薬師寺元一によってその軍勢は打ち砕かれてしまう。
再び紀伊へ逃れようとした尚慶は、一体どのようにして生き延びたのか。
どのようにして再起を果たしたのか?
そして京兆家を揺るがした内訌「薬師寺元一の乱」に、どこまで関わっていたのか……?
失われた断片を埋め、畠山次郎の苦闘のゆくえを紡ぐ第二部、ここに完結!
世に不撓不屈の将は数あれど
足利義尹、畠山尚慶の主従に勝る者はなし
~『紀和志』林堂山樹
本編(6)
こうなれば、遠く離れた右京兆との知恵比べである。
帰洛した政元は、高野山に蟄居していた赤沢宗益を召し返し、守護代に復帰させた。
薬師寺と共謀した疑いも掛けられていたが、阿波の問題が片付いたことで、今やその障害も取り払われたのである。
京兆家は最強の手駒を取り戻したわけだが、次の難儀は兵の数であった。
薬師寺の謀反の際には、山城の土一揆勢に徳政をばらまいてまで、兵を集めなければならなかった。
折から飢饉の年となり、文字通りの身内となった阿波守護家も、すぐさま馳せ参ずるというわけにはいかなかった。
そこで目をつけられたのが、本願寺の門徒衆である。
本願寺はもと青蓮院の末寺であったが、専修念仏を説き、天台総本山の延暦寺から激しく迫害されていた。
にもかかわらず、教勢の拡大ぶりはまさにとどまるところを知らなかった。
北陸道の加賀では守護を追放し、惣国一揆を結んで自検断を行うまでに至った。当然幕閣からも敵視されていたが、ひとり細川政元だけは、かねてより同情を隠さなかった。将軍直々の討伐を差し止めさせたことさえある。
その借りを清算せよ、という時が、今まさに訪れた。
政元は、自ら山科の本願寺まで足を運んで談判に及んだ。饗応のために精進料理ではなく、戒律を曲げて魚が調理されたが、
『余もまた修験の身なれば、生臭物を出すお心遣いはかえって無用』
とたしなめたらしい。
当代の法主実如は、管領家同士の争いに宗門が参戦せよ、という未曽有の依頼に驚きながらも、この船に乗ることを決意した。
畿内と北陸において、細川の敵に対する一向一揆の蜂起を下知したのである。
「まずいな。越中には既に相当、一向宗が浸透している。一斉に挙兵されれば、神保では到底抑えきれまい」
次郎は高屋城の本丸館で、追い回しの畳にあぐらをかき、首をひねりながら絵図を見下ろしていた。
かつての守護代神保長誠は、既にこの世にない。将軍義尹とともに周防へ下っていた嫡男が帰国し、跡を継いでいたが、河内の守護家とはだんだん疎遠になってしまっている。
能登守護家でも、兄弟の間で内紛が起こり、当主が守護代によって追放されるという事態になっていた。
「上を上とも思わぬ者が、天下の覇権を握っておれば、下、上に克つ、の風潮が収まることはあるまい」
「能登の匠作家と言えば、大坂の蓮能尼は、ご一門の娘御とか」
山樹は腕を組み、片眉を持ち上げながら言った。
本願寺の先代法主蓮如は、生涯で五人の妻を迎え、十三男十四女を儲けたという。最後の妻が蓮能で、やはり五男二女を生んでいる。その実家は、確かに羽咋郡を領する能登守護家の分流であった。
「そう言われればそうだが、直に顔を合わせたこともない、遠い縁だ」
「遠かろうと近かろうと、ご一家であることに変わりはありませぬ」
唐物の碗に立てた茶を一服し、山樹は心持ち膝を崩した。
「そもそも、本願寺と畠山の間に遺恨はありませぬ。河内や摂津では、むしろ平穏に共存してきたはずです。しかも蓮能尼は、お子らとともに大坂にある。山科からの命令に左右され、ご実家を相手に門徒を血みどろの合戦へ誘うことを、よしとされますでしょうや」
またぞろ調略を巡らすつもりだな、と次郎は笑みを含んだ。
蓮如は齢八十を超えた晩年、五男の実如に寺務を譲ると、蓮能とその子らを伴って大坂御坊へ隠居した。実際は各地の道場を巡り、さらなる布教に邁進していたという。
山樹はまたも旅姿を整えると、膝栗毛で大坂まで赴いた。
だが、こちらから打診するまでもなく、河内摂津の門徒衆は『開山以来例なし』と激しく憤っていた。
山樹が両畠山による支援を伝えると、蓮能もまたそれに同調した。蓮如との間に生まれた長男を法主に押し立て、山科から独立する意向を示したのである。
「でかしたぞ。本願寺の門徒衆と摂津欠郡が当方につけば、相当に大きな力となる」
次郎は報せを受けて小躍りした。
ところが、実如の側の対応もまた断固として素早かった。坊官の下間を大坂へ送ってくると、有無を言わさず蓮能とその子らを拘束し破門、追放したのである。
「してやられた。私の読みが甘かった。すぐさま当家の係累を大坂まで送っていれば」
次郎は不首尾を悔やんだが、畿内で元服した一門衆となると、本当に義英くらいしか見当たらない。かつての結束が緩みつつあるとは言え、そのような点においても、未だ細川との差は歴然としていた。
もっとも、河内と摂津の一向一揆が、揃って敵兵となる事態は防げた。実如は政元への義理立てとばかりに、千人ほどの門徒を加賀から河内へ送るとのことだったが、当面はこれでよしとせざるを得ない。
仲冬十一月の末。
復帰した赤沢宗益を大将とし、加賀の門徒衆を組み入れた両畠山追討軍が、京から進発したという報せがもたらされた。
「いよいよ来るか」
高屋城の本丸館で、長大な野太刀の刃文を検めながら、次郎は独りごちた。
「今度こそ我が手で、積年の決着をつけてくれる。貴様の首さえ取れば、細川政元は片翼をもがれた烏も同然なのだ、加藤三郎」
追討軍は、河内へ向かうために大和を通過しようとしたが、衆徒国民と興福寺は挙げてこれを拒絶した。
細川政元も無理押しはせず、赤沢宗益へ国境を迂回して、河内十七箇所から侵攻するよう命じた。赦免されたばかりの宗益も強いて逆らわず、北方へ兵を向け直した。
一方で、畠山方から筒井党への援軍要請もまた、ぴしゃりと撥ねつけられた。
「今度ばかりは、珍しく意地を張っているではないか。惣国一揆とまで言ったからには、そうでなくてはな」
次郎は高屋城の城下で、防備を固める普請の指揮を執っていた。
木枯らしの吹きすさぶ中を、白い息を吐き、洟をすすり上げながら、丸太や畚を担いだ人手が忙しく行き交っている。
土塁の上に所狭しと櫓を立て、外濠へ石川から水を引き、逆茂木を並べ、虎口の外に馬出郭を築いている。
「左様です。大和一国は今ようやく、自らの足で立とうとしている。本当に恃むに足るのは、そういう者だけなのです」
山樹はやはり角頭巾に黒い裳付衣、木蘭色の加行袈裟きりで、凍えるような空の下に立ち尽くしていた。
義英のいる誉田城はすぐ北だが、高屋城ほど守りを固められていない。それもあって、次郎は義英とともに城外へ打って出、南下してくる細川方を迎え撃つ腹づもりであった。
石積みの布置結構を指図する次郎の元へ、梨打烏帽子に小具足姿の武者が近づいてきた。
「御屋形様」
「河内守か」
若江城主の遊佐順盛は、戦力を集中して赤沢勢を邀撃するべく、城を自焼して高屋城まで退いていた。
「ぜひともお話ししたき儀がございます」
「今まさに敵を迎えようとしている、このような時にか」
次郎は訝しげに答えた。
「今でなければなりません。どうかお人払いを。九郎二郎より、たってのお願い上げにござる」
血走って鬼気迫る目つきに、どうもただ事ではないと感じられた。
「ならば、陣幕へ参れ」
二人のあとへ続こうとした山樹を、順盛は振り返って厳しく目で制した。
「人払いと言ったはずだ」
「御坊、続けて普請の目配りを頼む」
僧はその場で立ち止まり、黙礼して引き下がった。
床几の置かれた幕の内で二人きりになると、順盛は体全体でため息をついた。
「いかがした、お前らしくもない」
「御屋形様。我らは紀伊での旗揚げ以来、御屋形様をまことの武士の鑑、当代一の勇将と惚れ込み、いかなる辛苦の時でもお従いして参りました。以来、もう十二年にもなります」
「もうそんなにもなるか。まるで昨日のことのようだな」
次郎は宥めるように微笑んだが、順盛は頑なに目を合わせようとはしなかった。そのまま籠手の腕を伸ばし、普請場の方を指し示した。
「以前にも、全く同じことがございました。高屋城の外で、赤沢宗益を迎え撃つ。ちょうど五年前のことです。あれから何かが変わったとお考えですか」
「全く同じではない。あの時には、義英はまだ細川の傀儡であった」
「総州など、いてもいなくても同じです。足手まといにこそなれ、助けになることはない。むしろ、筒井党の加勢も望めなくなり、我らは全く孤立してしまった。天王寺の時ですら、まだ朝倉の南下に一縷の望みをつなぐことができたのに」
「何が言いたい」
「林堂山樹の意図は、ただ大和一国を団結させ、外敵の侵入を排除するというだけのこと。河内も京も、あの者にとっては異境に過ぎない。御屋形様は、実は大和を守る武力として使われているだけなのです」
「何を言うか」
次郎もさすがに色をなした。
「山樹坊は、身一つで海越え山越え、命がけの談判を行ってきたではないか」
「それが一体何のためかということです。決して御屋形様への、畠山家への忠誠ゆえではない。この五年で、我らにとって何か一つでも良くなったと思われますか」
「一足跳びに細川を滅ぼすことはできん。だが、少しずつでも事態は良くなっているであろう。京兆家の将は一人また一人と斃れ、一時とは言え赤沢宗益を失脚させることにも成功した」
「ところが今、高屋城へ向かっているのはその赤沢宗益です。薬師寺の勢力は元一の弟が引き継ぎ、阿波守護家は京兆家の藩屏となってしまった。一向一揆という、寝ていた子まで起こしてしまう始末です。派手な策を弄しているようでいて、その実、我らは一歩また一歩と追い詰められている」
「私が騙されていたと言いたいのか」
次郎は、最も古くから仕えている子飼いの将を、取り殺さんばかりに睨みつけた。
「騙す騙さないではございませぬ。ただ、あの者はおのれの目的のために動いてきただけのこと。それを御屋形様は、あたかも自らの軍師であるかのように遇している。我ら譜代の者にとっては、それがただ見ていて歯がゆいのです」
九郎二郎は既に、こちらの目をまっすぐ見つめ返していた。怒りとも悲しみともつかぬ、やるせない思いが両の瞳からほとばしっていた。
「もうよい。これから決戦という時に、言い争っている場合ではない」
「我ら畠山の臣は、命がけで戦います。どうかこの合戦のあと、あの者の処遇をご再考いただけますよう」
「もうよいと言っている。主の言うことが聞けぬのか」
珍しく一喝され、順盛はあとずさって土くれの上に平伏した。心の鏡を曇らされたような気がして、次郎は奥歯を強く噛みしめながら耐えていた。
永正三(一五〇六)年正月二十六日。
赤沢宗益率いる赤備え、加賀一向一揆合わせて数千の兵と、畠山尚慶率いる河内勢が、誉田城の北、石川と大乗川の狭間の野で激突した。
合戦が始まってほどなく、河内方の一翼を担っていた畠山義英勢が、ふいに反転し、戦場を離れて誉田城へ逃げ込んだ。
それによって河内方は惣崩れとなり、たちまち恐慌をきたして、我先にと散らばって敗走し始めた。
赤沢勢は容赦なく誉田城を力攻めして火をかけると、返す刀で南隣の高屋城にも襲いかかった。最後まで踏み留まっていた遊佐順盛も抗しきれず、城を捨てて逃亡していった。
赤沢勢は町場、二の丸、本丸館を、釘一本すら残さぬほど徹底して略奪し、跡形もなく燃やし尽くした。
畠山尚慶は乱戦の中で乗馬を失い、旗印を倒され、雑兵に紛れて行方知れずとなった。
「総州、裏切りおったな。総州、今度ばかりは、地獄の果てまで追い詰めてくれる」
羅刹のごとき絶叫を、少なからぬ人々が耳にしていた。
しかし以後、河内でその姿を見た者はいない。
~「流れぬ彗星」第二部【天下会盟編】完
ここまで見ていただき、本当にありがとうございました。
次回より、「天昇る火柱」最終第三部を開始いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
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