「六丁の娘」あとがき+参考文献
京都のとある和菓子店は、室町時代に創業し、明治時代の初めに東京奠都となるまで、毎朝欠かさず御所まで「御朝物」の塩餅を届け続けていたそうです。
実に四百年近くの長きにわたり、連綿と続けられていた、ということになります。
もちろん、一代限りの話ではありません。献上する方も受け取る側も、子々孫々へ語り継いで初めて可能になることです。
一体なぜそんなことができたのだろう、と不思議に思われてなりません。
その慣習が始まったとされる時代は、皇室の力が最も衰えていたころだと言われます。
全国の荘園は押領にさらされ、ろくに将軍家の庇護もなく、儀式の遂行さえ全くできない有様。
何しろ大葬や即位の礼すら、資金の目途が立たないため何年も先送りにされるくらいですから、その窮状は推して知るべしです。
しかしそんな状況の中でも、皇居たる土御門内裏の周りには、かすかな希望が芽吹いていました。
それが、応仁・文明の大乱からの戦災復興地たる「六丁」の町です。
公家、町民、農民、あらゆる階層が一体となって、自分たちの新しい町を作り上げようとしていました。
皇室も例外ではなく、御所の中にまで町民たちが入り込んで、ともに猿楽を楽しんだ、という記録もあるようです。
とすると、この時代の六丁は、現代まで続く皇室と国民との関係性を、初めに作り上げたとは言えないでしょうか。
破壊のただ中から立ち上がる新しい暮らし。
その始まりには、人と人とのつながりや深い思い、何百年もの約束を果たさせるだけの出来事があったのではないかと思い、この小説を書きました。
読んでいただいた方が、ほんの少しでも楽しんでいただいたり、興味深いと思っていただけたら、これ以上の喜びはありません。
ここまで見ていただき、本当にありがとうございました。
参考文献
加地宏江、中原俊章 『中世の大阪-水の里の兵たち-』(松籟社、一九八四年)
川端道喜『和菓子の京都』(岩波書店、一九九〇年)
高橋康夫「戦国期京都の町組『六町』の構成と沿革」『日本建築学会論文報告集 第267号』一九七八年
高橋康夫「『六町』の成立と展開」『史林 61巻第5号』一九七八年
高橋康夫「戦国期京都の町組『六町』の結成時期」『日本建築学会論文報告集 第282号』一九七九年
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