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【歴史小説】天昇る火柱(3)「天竺」


この小説について

 この小説の主人公は、赤沢あかざわ新兵衛しんべえ長経ながつねという男です。
 彼は、信州の小城に庶子として生まれ、田舎武士として平凡な一生を送るはずでした。
 しかし彼には、二十歳近くも年の離れた兄がいました。
 兄は早くに出家して家督を放り出すと、諸国を放浪し、唐船からふねに乗って明国にまで渡ってゆきました。
 そして細川京兆家ほそかわけいちょうけ内衆うちしゅとなり、やがて畿内のほとんどを征服することになります。
 神も仏も恐れぬ破壊者、赤沢沢蔵軒たくぞうけん宗益そうえき
 その前に立ちふさがるのは、魔王・細川政元まさもとへの復讐に全てを捧げる驍将ぎょうしょう畠山はたけやま尚慶ひさよし
 弟にして養子の新兵衛とともに、赤沢宗益の運命を追いかけていただければ幸いです。
 どうぞよろしくお願いいたします。

本編(3)

 自分の世話役で目付だという男と対面して、新兵衛は思わず目を見開いた。
「鬼か、天狗か」
「何じゃと」
 相手はぎろり、とこちらを睨み据えてきた。その目つきがまた、常の人間とも思われない。
 目頭が開き、眉骨が突き出しているのだ。しかも瞳は薄い鳶色とびいろをしている。鼻がやけに長く、先が尖っている。
「鬼か、天狗じゃ」
「おい、どっちでもないわ。わしは楠葉くすば新右衛門しんえもん元次もとじ。またの名を、カリームという」
「カリーム」
 やっぱり、鬼の名前じゃないか。いっぱしに、直垂ひたたれ烏帽子えぼしなぞ着込んではいるが。
「赤沢新兵衛よ」
 相手は、噛んで含めるような調子で膝を進めてきた。郷の北口、上壇うえのだんのふもとにある屋敷の板間だった。誰も住んでいない離れである。
「わしも当年六十過ぎじゃ。生涯を通じて、今のお前のような顔を向けられるのには慣れきっておる。わかるな」
「うん」
「ならばもう、とやかく言うでない。わしは古市の惣領様から、お前をいっぱしの武士へ育て上げるよう、仰せつかっているのだからな」
「澄胤が自分で、教えちゃくれないのか」
 避ける間もなく、拳骨が飛んできた。ごつごつと節くれだったかたまりが、こちらのこめかみにぶち当たって弾けた。
「ぐおっ」
 新兵衛は思わず頭を抱え込んだ。
「貴様のようなガキに、いちいち割く時間などあられるものか。まず、この古市にいる限りは澄胤様と呼べっ。貴様に教えなければならんのは、まずそこからじゃな」
「楠葉新右衛門、……殿」
 痛みに頭の横をさすりながら、ゆるゆると顔を上げた。
「あんたは一体どこから来た。俺は信濃から来た。この大和の人間と少しも変わらん顔だ。でも、あんたは違う。あんはきっと、どこか異国から来た者なんだろう」
「期待を裏切るようで悪いが、わしは生まれも育ちもこの大和じゃ」
 ふん、と高い鼻をそびやかしてみせた。 
「だが、爺様は遠い異国からこの国へやってきた。雲よりも高い山を越え、果ての見えない砂漠を越え、鯨でいっぱいの海を越え、天竺てんじくよりもはるかに向こうからじゃ」
「そいつは」
 新兵衛はふと思い当たり、指先を突き出してみせた。
「三宝太監鄭和ていわが旅したような海か」
「ほう」
 相手の目つきが変わった。咄嗟に見直した、とでも言うのか。
「よく知っておるな、そんな名前を」
「お兄が教えてくれた。お兄は、唐船に乗って明国へ渡ったことがあるんだ。応天府から歩いて、はるか北の順天府まで行ってきたんだ」
「このわしも、若いころに全く同じ道をたどったことがある。父上と一緒にな」
「そうなのか」
 今度は新兵衛の方が、目を見張る番だった。こんな緑の山に囲まれた大和国が、不思議と大いなる外海へつながっている。
「ことによると、お前とは馬が合うかもしれんな、赤沢新兵衛」
 楠葉元次は、そこで初めてにんまりと笑んでみせた。
「が、惣領様に命ぜられたこととはまた別の話じゃ。これから毎朝、庭訓往来ていきんおうらい富士野往来ふじのおうらい、論語に古今集、兵書に史書、建武以来式目けんむいらいしきもくまでみっちり学んでもらうぞ。それが終わったら、刀と長柄ながえの稽古じゃ。一日も欠かさず、それを続けてもらうぞ」
「何だって?」
「これからは毎朝、とら正刻せいこく(午前四時)に起きよ。そんなこともできなんだら、とっととお前を信州へ送り返す。これは我らが惣領、古市澄胤様のお言葉じゃ」
 改めて、新兵衛が怖気をふるったことは言うまでもない。
 楠葉元次が去ってから、新兵衛は離れの板間でひとりぼんやりとしていた。
 老人の独居にしては、いかにも大き過ぎる屋敷だ。どう見ても、かつては二つの家族が住んでいたとしか思われない。
 あるいは妻や子どもはみんな世を去り、あのカリームだけが一人取り残されたのだろうか。
 ふと、蹴込床けこみどこに掛けられた一幅の墨絵が目についた。
 天竺の天女だろうか。縮れた髪は豊かな胸元へかかり、唐草模様を透かし彫りした冠に薄手の羽衣をまとっている。垂れた目尻は夢見るようで、厚い唇は桃にそっくりだ。それが手足の先を奇妙に折り曲げ、踊るような仕草をしている。
「まるで生きてるみたいだ」
 と、新兵衛はつぶやいた。少なくとも、頭の中で思い描いただけの像だとは思われない。誰かの姿を描き写したのか。あるいは、あの天竺人もどきの家族だったのだろうか。
 しかし差し当たっては、新兵衛は明朝から始まる厳しい暮らしを思いやらねばならなかった。

                           ~(4)へ続く

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大純はる
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