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流れぬ彗星〜第二部(4)「腐りゆく鉄」【歴史小説】


この小説について

 あの畠山次郎はたけやまじろうが帰ってくる!
「天昇る火柱」第二部の終幕から、少しだけ時を戻して…
 天王寺の陣で、主君・足利義尹よしただの来援を待ち続けていた畠山尚慶ひさよし
 しかし願いは叶わず、細川ほそかわ京兆家けいちょうけの若き猛将・薬師寺やくしじ元一もとかずによってその軍勢は打ち砕かれてしまう。
 再び紀伊きいへ逃れようとした尚慶は、一体どのようにして生き延びたのか。
 どのようにして再起を果たしたのか?
 そして京兆家を揺るがした内訌「薬師寺元一の乱」に、どこまで関わっていたのか……?
 失われた断片を埋め、畠山次郎の苦闘のゆくえを紡ぐ第二部、ここに開幕!

世に不撓不屈の将は数あれど
足利|義尹、畠山尚慶の主従に勝る者はなし
~『紀和志』林堂山樹はやしどうさんじゅ

本編(4)

 まぶたを開けると、汗にまみれていた。
 開け放たれた明かり障子から、真夏の日が射している。かまびすしく鳴き交わす蝉の声が、庭の木立の方から聞こえてくる。
 けだるい体を持ち上げ、小袖の袂で額と胸元をごしごしと拭った。
 紀伊守護所、広の館である。
 かすかな風が、潮の湿ったにおいを運んでくる。海へ注ぐ広川ひろがわの河口がほど近かった。
「御屋形様」
 榑縁くれえんに控えた者が、遠慮がちに声をかけてきた。
「構わぬ」
 座敷の中へ膝行しっこうしてきたのは、野辺のべ六郎右衛門ろくろうえもんである。
 長らく紀伊奥郡おくのこおり小守護代を務め、小松原こまつばら湯河ゆのかわ氏と絆を強めて、次郎の留守にも在地をよく治めていた。守護代の遊佐勘解由順房がいなくなった今、そのありようはますます重みを増している。
阿波あわの山樹坊より、書状が届いております」
「左様か」
 野辺六郎の差し出した折紙おりがみに、次郎はのっそりと手を伸ばした。
 封を切りながら、少し前の山樹の言葉を思い返していた。
『あれは、白起はくき項籍こうせきの類いでございます。すなわち、戦術を超えている』
 悪鬼に等しい赤沢宗益の目前から、後ろも見ずに逃げ出し、またしても命からがら、広城へ帰り着いたあとのことである。
 山樹は頭巾の上に網代笠あじろがさをかぶり、脛巾はばきを巻いておいを背にした旅姿で、わさづのの杖を手にしていた。
『私には勝てぬと申すか』
『尾州様は、当代随一の驍将ぎょうしょうであられます。かつての畠山義就よしひろがそうであったように。それは誰もが認めるところです。にもかかわらず、実際に戦場で赤沢宗益と相対あいたいしては、何もできなかった。それもまた事実でございます』
 直截ちょくせつな言い方に腹も立ったが、次郎は何も言い返せなかった。
『ならばどうすると言うのだ』
『こちらも范雎はんしょ陳平ちんぺいの行き方で参る他はありますまい』
 そうして山樹は、まず淀城、次いで海を渡り阿波へと旅立っていった。畠山被官として、まだほとんど名も顔も知られていないことが役に立った。
 山樹が狙いを定めたのは、摂津せっつ上郡かみのこおり守護代の薬師寺元一であった。
 香西こうざい、赤沢と並ぶ細川京兆家の猛将と称されるが、一世代下に当たってまだ若い。そのぶん現在よりも未来へ目が向いており、子のない政元の跡目について焦慮しているという。
「薬師寺の所望したとおり、阿波守護家の次子を養子とする内諾を得たようだ。政元も子弟が足りぬゆえ、拒みはしていないらしい」
 京兆家の弱みとして、急拡大している領国に対し、人材が払底しているという点がある。かつて内衆の中でも大立者であった上原うえはらが没落し、明らかに器量に不足がある安富やすとみを、変わらず筆頭として遇しなければならない。
「京兆家を内側から割り、その狭間に赤沢を叩き落とす。あの男、私が見込んだ以上の謀臣やもしれんな」
「御屋形様」
 眼前の野辺六郎が、つつと膝を進めてきた。
「何か」
「僭越を百も承知で、申し上げたき儀がございます」
 次郎は楮紙こうぞがみを置き、皺の寄った鉢割れ眉を見返した。
「言ってみよ」
「紀伊一国は、守護たる御屋形様の元に服してございます。地下の者どもにとって、京のことも京兆家のことも、はるか遠い空の出来事に過ぎませぬ。何卒、今後とも広に腰を据えられ、湯河殿や高野山こうやさんと手をお結びになって、国を安んじてはいただけませぬか」
「私は河内屋形である」
「それはよく、よおく存じ上げております。しかしどこであろうと、土地や人に違いがありましょうや。実る米の味に違いがありましょうや」
 しばらく答えなかった。相手は膝の前に手をつき、さらににじり寄ってきた。
「紀伊は天険に守られた国。京の勢力もここまでは手を伸ばしてこられませぬ」
「未来永劫にわたって、そうであり続ける証はない」
 興福寺の支配が永遠と思われた大和まで、征服されてしまったのだ。細川政元と赤沢宗益の組み合わせに、絶対などあり得ない。
「お聞き届けはいただけませぬか」
「それもまた、将来決してあり得ぬというわけではない。しかし今は、まだその時ではない。六郎右衛門尉えもんのじょう、忠言、有り難く聞いた」
 話を打ち切られたことを悟り、野辺六郎は平伏した。次郎は水を差されたような気分になって脇を向いた。

「阿波守護家は、大いに乗り気です。早速軍船を建造し、渡海の準備を進めております」
 露頭ろとうの山樹は、真っ黒く日に焼けていた。鯰髭も唇の下まで伸びており、人が変わったように活力をたぎらせている。
「さもあろう。はからずも宗家乗っ取りの機会が訪れたのだ」
 次郎は、古びた墨絵の軸を背にあぐらをかき、小袖の腕を組んでいた。
 堺の町外れ、木沢左近の屋敷である。
 義英に従って高屋城へ詰めている家主は不在だが、次郎と山樹の他に、遊佐九郎二郎順盛、丹下備後守盛賢も顔を揃えていた。
「執事の三好みよし筑前守ちくぜんのかみ之長ゆきながなる者が、家中を主導しております。これもまた、赤沢宗益とはやや異なりますが、常人離れした器量を持つ者」
「あのような男が、まだいるのか」
 次郎は率直に、げっそりとした声を出した。
「三好は、もっと知略に長けた梟雄きょうゆうといったところです。いずれにせよ、この者がおる限り、阿波守護家の野心が潰えることはないでしょう」
 阿波細川氏は、相伴衆しょうばんしゅうの家格を持ち、下屋形しもやかたとも称される名門である。京兆家が断絶するのならば、それを継ぐのは当然、との思いもあるに違いなかった。
「将軍家と右京兆の間にも、きしみが生じています。興福寺の神木動座しんぼくどうざは、何の効果もなく見えるやもしれませんが、寺社本所ほんじょの護持者を自認する将軍家にとっては、決して無視できぬこと。右京兆もまた、押領おうりょうをこととする内衆を抑えざるを得ません」
「見事な手並みだ」
 次郎は膝を打ち、山樹の働きぶりを賞した。相手は薄く微笑みながら、点々と吹き出物のある禿げ頭を下ろした。
「仕掛けは上々、あとは仕上げをごろうじあれ」
 薬師寺元一はさかんに動いた。
 永正えいしょう元年になると、長年の知己であったはずの赤沢宗益を、寺社領違乱いらんのかどで告発し、一時大和へ蟄居ちっきょさせることに成功した。
 だが、将軍家との結託を疑われ、自らも摂津上郡守護代を解任されそうになった。他ならぬ将軍義澄よしずみ本人によって静止されたが、さらなる疑念を招き、政元との間の亀裂が深まったのは間違いない。
 晩夏、宗益は赦免しゃめんされ上洛したが、槇島城へ帰らず京兆屋敷に軟禁された。あれだけの猛者が敢えて逃亡もしなかったので、二心のないことを証し立てたかったのであろう。
 堺、阿波、淀の間を使者と密書が行き交い、一斉蜂起の日取りを十月の朔日さくじつと定めた。
 山樹は大和へ赴くと、同じ衆徒の筒井順賢じゅんけんと語らい、時を同じくして奈良へ乱入する手はずを整えた。
 だが九月になって早々、淀の元一から急使がもたらされた。
 政元が企ての全貌をつかみ、大軍を催そうとしている。その大将に赤沢宗益を起用しようとしており、もはや一刻の猶予もならない。洛中洛外の土一揆つちいっき勢と話がついたので、先に兵を挙げる。速やかに援軍を送られたし、とのことであった。
「堪え性のない者が、先走りおって」
 だが薬師寺もまた、赤沢と正面から戦って勝つ自信はないのであろうと思われた。
 阿波勢が渡海してくるまでには、さらに時間がかかる。紀伊勢が長駆、南山城まで駆けつけ、京兆家の大軍を食い止めなければならない。
 出陣の支度を前倒しで急がせている間にも、事態は動き続けていた。
 薬師寺の反乱がはっきりしてから、赤沢宗益は京を脱出して槇島へ向かった。だが入城は果たせず、古市澄胤と筒井党の和睦を阻止するべく大和へ取って返した。
 薬師寺勢は単独で追討軍を迎え撃ち、大将の安富元家もといえを討ち取って気勢を上げた。だが政元が徳政令とくせいれいを発し、半済はんぜい得分とくぶん郷民ごうみんへ分け与えたため、土一揆勢はたちまち離反した。
 それらを手勢に加えた香西元長もとなが軍の惣掛そうがかりによって、淀城は陥落、薬師寺元一は捕らえられた。
 既に広から出陣していた次郎は、行軍途上の堺でその報せを受け取った。
「またしても、右京兆に一枚上手を行かれた」
 歯噛みしたが、もはや筋書きが崩壊してしまったのは間違いない。成すところなく、紀伊へ引き返す他はなかった。
 大和では、宗益に尻を叩かれた古市澄胤が、筒井順賢の弟が籠もる井戸城いどじょうを攻め立てていた。だが返り討ちにあい、追撃を食らって再建したばかりの古市城まで攻め込まれ、またしてもこれを丸焼きにされた。
「今となっては、とことん冴えない男だ。一時の勢いはどこへ行った」
 次郎の言葉に、山樹も苦笑を返すしかなかった。
 大和一国の重石おもしであった赤沢宗益が不在となり、細川政元は対応を迫られた。
 分家である野州家やしゅうけ政春まさはるらを使者として送ると、十月のうちに興福寺と和睦を取り結んだ。それはとりもなおさず、寺社領を巡る将軍家の圧力へ屈したことに他ならない。
 ひとまず大和の混乱を収めた京兆家は、内紛を仕掛けてまで主家を乗っ取ろうとした阿波守護家の討伐に向けて動き出した。
 それを察知した阿波の執事三好之長は、機先を制して船団を繰り出し、淡路島あわじしまの沿岸を攻撃した。さらに慶野けいの松原まつばらから兵を上陸させ、守護所の養宜館やぎやかたまで肉薄した。
 京兆家を核とする細川一門の鉄の団結は、内部から音を立てて崩れ落ちようとしていた。

                           ~(5)へ続く


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大純はる
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