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流れぬ彗星〜第二部(3)「宿敵、邂逅」【歴史小説】


この小説について

 あの畠山次郎はたけやまじろうが帰ってくる!
「天昇る火柱」第二部の終幕から、少しだけ時を戻して…
 天王寺の陣で、主君・足利義尹よしただの来援を待ち続けていた畠山尚慶ひさよし
 しかし願いは叶わず、細川ほそかわ京兆家けいちょうけの若き猛将・薬師寺やくしじ元一もとかずによってその軍勢は打ち砕かれてしまう。
 再び紀伊きいへ逃れようとした尚慶は、一体どのようにして生き延びたのか。
 どのようにして再起を果たしたのか?
 そして京兆家を揺るがした内訌「薬師寺元一の乱」に、どこまで関わっていたのか……?
 失われた断片を埋め、畠山次郎の苦闘のゆくえを紡ぐ第二部、ここに開幕!

世に不撓不屈の将は数あれど
足利|義尹、畠山尚慶の主従に勝る者はなし
~『紀和志』林堂山樹はやしどうさんじゅ

本編(3)

 次郎は林堂山樹を伴い、わずかな従者とともに堺を出発した。
 広城ひろじょうへ戻ると、留守を預かっていた紀伊守護代しゅごだい遊佐ゆざ勘解由かげゆ左衛門ざえもん順房のぶふさに迎えられた。
「御屋形様」
 実直な初老の男が冠木門かぶきもんの前に立ち尽くし、両目に涙さえ浮かべていた。
「よくぞご無事で」
「なに、生き恥よ。生き恥を重ねるばかりよ。しかし名誉も栄光も恥の先にしかあるまい。悪いがそなたにも、今しばらくつきあってもらおう」
 はっ、と頭を下げた家臣の頭頂は、もうずいぶん禿げていた。
根来寺ねごろじ行人方ぎょうにんがたもいたく喜びましょう」
「河内の方はいかがだ」
「おさおさ怠りなく。当地に伏せっている者たちは、ご下知げち一つでいつでも動き出せまする」
 ふむ、と次郎は満足してうなずいた。
 明応めいおう九(一五〇〇)年八月になっていた。
 堺の臙脂屋から引き出した金子で軍備を整えると、次郎は颯爽と広城を出陣した。
 遊佐勘解由の搔き集めた手勢、根来寺の悪僧らを率いて北上し、風吹峠かざふきとうげを越えて和泉へ侵入した。
 時を同じくして、河内でも遊佐九郎二郎くろうじろう順盛のぶもり丹下たんげ備後守びんごのかみ盛賢もりかたが兵を挙げ、平野ひらのの町を襲って細川方の守将桃井もものいを討ち取った。
「まずは上々の出来だ。和泉の両守護は、やはり此度は従わぬか」
「右京兆の手前、二度も続けては難しかりましょうな」
「例え命を失ってもか」
 遊佐勘解由は、致し方ない、とでも言いたげにかぶりを振った。
 和泉国のかみ守護、しも守護は細川一門であったが、かつて畠山尚順ひさのぶの進撃に恐れをなしてこれに従っていた。
 だが天王寺の戦いのあと、惣領の政元にその行いを厳しく追及され、二心がないことを誓って帰順していた。
「ならば、是非もなし。我が刀の錆になってもらうまでだ」
 紀伊勢は疾風の如く日根庄ひねしょうを駆け抜け、守護所の岸和田城きしわだじょうへ向かった。遠方のため後詰ごづめも望めない細川の両守護は、城外に布陣してこれを迎え撃つしかなかった。
 だが次郎の突撃によってたちまち粉砕され、乱戦のただ中で揃って首を刎ねられた。城のくるわには火がかけられて灰となった。
 紀伊勢は休みなく河内へ向かった。平野で遊佐順盛、丹下盛賢と合流すると、南下して畠山義英のいる高屋城たかやじょうを目差した。
 細作さいさくからの報せによると、城内では木沢左近の進言を容れ、十七箇所代官の赤沢宗益へ後ろ巻きを求めて籠城することに決したという。
「さて、実際のところ、あの者がどのように動くのか」
 次郎は馬上で両手のひらをすり合わせていた。
「ご安心くだされ。決して尾州様にとってわろきようにはなりますまい」
 全て手配りはできている、と言わんばかりに、林堂山樹は薄く笑みを浮かべた。
 紀伊勢は高屋城の水堀に沿って陣を張り、周囲を隙間なく取り囲んだ。すぐ北の誉田城は、かつての城主である誉田三河守が包囲した。
 攻め手はそのまま動くことなく、城内へ矢文やぶみを射込んだ。その中身は、脅しや勧告ではなかった。義英に宛てて、両畠山合一のための会談を持ちかけていたのである。
「文字通り、なしつぶてだ」
 高屋城下の陣中で、次郎は筒籠手つつごての腕を組んでいた。髻がまだ伸びきっておらず、引立ひきたて烏帽子えぼし掛緒かけおを顎の下で結んでいる。
「今はそれで構わぬのです。これまでとは別の道を選ぶこともできるのだと、まずは気づくことができれば」
 林堂山樹は、陣幕の内でも粗末な僧衣に角頭巾のままである。
「あとは、力で河内と大和を抑えつけている赤沢宗益を、私が打ち破ることだな」
「左様です。それこそ、尾州様の他にはなし得ない仕事」
「ついに巡り合うぞ、加藤かとう三郎さぶろう
「は、何と」
「何もない」
 次郎は凄みを宿した目つきで微笑んでいた。
 片時も忘れたことはなかった。明国みんこくで師の右腕を切り落とし、名誉を奪った信州しんしゅうの牢人。それが今や、諸国に殺戮の赤い雨を降らせる、わざわいの元凶となっている。
 おのれが必ず討ち滅ぼさなければならない。弟子として、武士の棟梁として。
 果たして高屋城を救援するため、赤沢に加えて薬師寺の軍勢が、それぞれ南山城の槇島城まきしまじょう淀城よどじょうを出陣してきた。
 一息に河内十七箇所を南下し、淀川左岸を駆け抜けて、たった数日で河内の戦場へ姿を現した。
「誉田三河守殿が、討ち死になされました」
 最初の報せがそれであった。
 誉田城を囲んでいた三河守は、敵の襲来に備えて陣替えを行おうとしていたが、颶風ぐふうのように接近してきた相手にたちまち蹴散らされ、防戦する暇もなく首を刎ねられたという。
「既に敵勢は半里の先にあり、歩みを止めずこちらへ向かっております」
「面白い」
 次郎は肩に杏葉ぎょうようをつけた胴丸鎧どうまるよろいを着込み、葦毛の愛馬にまたがった。大弓を背負い、獅子の前立ての筋兜すじかぶとをかぶって、火の粉が弾け飛ぶように駆け出した。
 紀伊勢の馬廻うままわり衆が、慌てて追いかけてきた。
 誉田城の周りから、幾筋もの黒煙がたなびいている。巨大な御廟山ごびょうやまの影を背にして、具足、兜、馬具に至るまで赤土色で揃えた軍勢が、錐のように細長くなって駆け寄せてくる。やはり同じ色の幟旗のぼりばたには、松皮菱まつかわびしに十文字が白く染め抜かれていた。
 その先頭に立つ男は、遠目に見ても一際大柄で、あたかも鞍上あんじょうの獣のようであった。
 胸と腹に半月形の鉄板を当てた、唐様からようの甲冑に身を固めている。鍬形くわがたの前立てこそついているが、頭頂から赤いふさをたなびかせた兜もまた異様である。
 次郎はそこで手綱を引いた。
 長弓を前に回し、えびらを引き寄せると、杉成すぎなりの矢をつがえて引き絞った。馬の背を両腿で挟みながら狙いを定め、先頭の眉間めがけてひょうと放つ。
 射抜く、という手応えはあった。だが相手は咄嗟に円盾を構え、それを薙ぎ払うように跳ね返した。
 続けざまに放った二の矢、わざと膝下へ狙いを外した三の矢も同じことであった。
 次郎は息を呑み、目を見開くしかなかった。
「あれはもはや、この国の人間とは言えんな」
 数十騎の馬廻りたちが追いつき、鶴翼かくよくなりに広がって周囲を固めた。
「大将首だけを目指せ。あの者を討ち取れば、細川の侵略は必ず止まる」
「応」
 気合いとともに馬の腹を蹴り、紀伊勢は一体となって突撃を開始した。
 次郎は腰から提げた長柄ながえの大太刀を抜き放った。かつて師から授けられたものを打ち直し、こしらえを変えたのである。
 怒号を上げる二つの集団が、少しのためらいもなく真正面からぶつかり合った。
「加藤三郎よ。愛洲あいす陰流かげりゅう、畠山次郎が推参」
 先行く互いの大将を守ろうと、周囲の騎馬が押し包むように前へ出た。次郎は刀を振るってたちまち数騎を斬り倒した。
 だが、相手の将はそれをもはるかに凌駕していた。
 一丈にも及ぶ金砕棒かなさいぼうを車のように振り回すと、後方までその風圧が届き、巻き込まれた五騎ばかりが馬ごと吹き飛んだ。しかも、片手のみである。盾を巻きつけた馬手めては、機敏な動作で手綱をさばいている。
 あまりのことに、次郎は口を開けたまま動きを止めていた。
「御屋形様」
 目前の赤鬼は、間髪を入れず得物えものを振り上げていた。主の馬を後方へ押しやるように、一騎の武者が前へ飛び出した。
「順房」
 遊佐勘解由である。かつて自ら一字を授けたその名を、次郎はつぶやいていた。
 鉄菱のついた金棒が、兜ごと頭頂から人間を叩き割るのを目の当たりにした。

                           ~(4)へ続く


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大純はる
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