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【雑感】AI、新しい曲創造不能 久石譲さんに聞く
こんにちは!エルザスです。
先日、生成AIが台頭してきた中でなぜ「私が」書くのかという記事を出しました↓
この記事では「生成AIとの付き合い方についてはこれから模索していく」という形でひとまず終えました。
そんな折、新聞に久石譲さんへのインタビューが載っていて、生成AIとの付き合い方についても触れられていました。
久石譲さんの生成AI活用ポリシー
興味深かったところを引用します。
生成AIに過去の楽曲を学ばせて曲をつくっても、イミテーション(模倣)にしかならず、それは新しい曲ではない。
(音楽の分野ではテクノロジーで)過去をほじくり返しても未来にはいかないし、現在を超えることもない。
AIが学習できることには限度があると考えている
かなりはっきりと、生成AIに作らせたものは「模倣」に過ぎないと断言しています。
模倣で作ったものは新しい作品と呼ぶに値しないとは、さすがは久石譲さん、クリエイティブであることに厳しい。
ただ、生成AIの活用の可能性をまったく考えずにこういうことをおっしゃっているわけではありません。むしろご本人はテクノロジーの活用に前向きなスタンス。
作曲におけるAIの活用に関してはこうもおっしゃっています。
僕は同じパターン(音型)を微妙に変えながら繰り返す『ミニマル音楽』の作曲手法を取る。例えばの話だが、ある音からつくるパターンの可能性を探るときに、AIで瞬時に何百種類も出してもらい、そこから自分がチョイスするといった使い方なら利用価値はあるかもしれない。
たしかに、久石譲さんの音楽は同じパターンを微妙に変えながら繰り返す音楽ですね。
名曲『Summer』はその最たる例で、有名なあのメロディを、ストリングスがピチカートで弾いたり、ピアノが弾いたりして繰り返しつつ、その裏の伴奏も楽器が変わったり音型がアレンジされたりしながら展開していきます。
その多彩なアレンジのパターンを一瞬で大量に生み出すのに生成AIを活用できる、と久石譲さんはおっしゃっているんでしょう。
つまり、久石譲さんの考え方は、
幹になるメインメロディは自分のインスピレーションで作曲して、その枝葉であるアレンジには生成AIも活用する
というものです。それならば単なる模倣ではなく、クリエイティビティを認められる、ということになります。
根幹になるメロディが強いからこそ有効かつ有意義な生成AIの活用法だと言えるでしょう。
この考え方、私の書き物における生成AI活用ポリシーにも取り入れたいと思いました。
つまり私の場合、
幹(書くテーマと初稿)は自分で!
枝葉(書きぶりの修正やアレンジ)には生成AIも活用!
という感じです。
私が書くのは主に子育てのことなので、良い幹を作るためには
「日々の子育ての中で私は何を感じるか」
が重要になる気がします。
子育てから何かを感じ取るのは、生成AIには決してできないことなので、そこにこそ「私が」書く意義があるな、と思えました。
そういえば、ショーペンハウアーの『著作と文体』という作品でこんな一節がありました。
すぐれた文体たるための第一規則は、主張すべきものを所有することである。
さすがショーペンハウアー、AI時代にも通用することを19世紀には既に指摘していた……!
そんなわけで、「AI時代には『何かを感じる力』、つまりインスピレーションが重要である」という割とありきたりな結論に、私なりのルートで辿りついたのでした。
文章力を向上させるだけでなく、日々の子育ての中で何かをキャッチする感度も高めないとなぁ、とぼんやり思ったりもしました。
そういう本ないかな。ChatGPTに訊いてみようっと。
ではまた!