古典リメイク『レッド・レンズマン』14章 15章 16章 17章
14章 デッサ
アイヒ族たちは、わたしのことを忘れ去っているのではないか。少なくとも、自分たちの必要が生じるまでは、わたしに接触する意味すらないと思っている。
彼らの築いたこの無人基地には、わたしを救い出してくれた超空間チューブの発生装置があった。アイヒランたちは、必要な時、これを通じて移動するらしいのだ。
超空間を通じた移動は、どんな宇宙戦艦より、はるかに速い。邪魔なパトロール隊に遭遇することもない。チューブの出口を、相応しい場所に設定しさえすれば。
わたしは時間をかけて、超空間チューブの作動原理を調べた。そして、わたしでも使えると見極めた。
もっとも、たった一回きりだ。
アイヒ族の許可なくチューブを使用すれば、ただちに見咎められ、目的を見抜かれ、処罰されるだろう……でも、その一度で、リックの元へ行けるのなら。
もちろん、この距離からでは、リックの居場所を正確に捉えられない。彼はおそらく、専用艦で常に移動しているだろう。
だから、いったん、天の川銀河にあるボスコーン基地のどれかに移動し、そこからレンズを通して、リックの位置を特定するしかない。特定できたら、その基地に備え付けられている超空間チューブ発生装置を使用する。
だから、既にパトロール隊に発見されている下級基地ではなく、まだ隠されている上級基地を利用しなければならない。万が一、そこにアイヒ族が駐在していたら、言い逃れはきかない。
天の川銀河で活動しているアイヒ族は、ごく少数のはずだから、わたしが鉢合わせする可能性は、そう高くない。そのはずだ。
危険な賭けだが、もし成功すれば……
有毒大気の底のドーム基地で、何週間も、何か月も、考え続けた。いずれ将来、ボスコーンがわたしたちの銀河系を支配することになれば、パトロール隊は全滅しているだろうし、市民たちは奴隷化されていて、レンズマンなど、ただの一人も生き残っていないだろう。
そんな世界……地獄に等しいではないか。
残った人類を、わたしが支配することが認められるとしても、それが楽しい日々だとは……とても思えない。人に怖れられ、へつらわれるだけで、誰もわたしを好いてくれないのなら。
どれほど崇められ、賛美されても、彼らが内心でわたしを憎み、隙あらば暗殺しようと待ち構えているのなら……玉座にいても、心の安らぐ時はない。護衛も側近も、本当には信用できない。
きっと、そうなるはずだ。戦って這い上がれ。それが、ボスコーンの基本原理なのだから。
無限の闘争こそが、進化の道。
でも、わたしはそんな世界、望んでいない。
だったら今、まだ生きているうち、リックの腕に飛び込んで、何が悪いというの!?
その後、どういう結果になったとしても……人間のいないこんな僻地で、若さも美しさも無駄にしてしまうより、はるかにましではないか。
どうせわたしは、一度、母星を裏切っている。今度はボスコーンを裏切るのも、仕方のないこと。
そもそも、わたしを道具にした方が悪いのではないか。
わたしを愛してくれた夫も……母星のために殺したのだ。あんなことは、一度だけでたくさんだ。
――許してね、あなた。
いえ、許されはしない。今は、他の男の元へ行こうとしているのだもの。
でも、わたし、まだ生きているの。生きた心を持っているの。このまま凍りつくのはいや。
わたしは自分が美しく見えるドレスを着て、華奢なハイヒールを履き、好きな香水をつけた。自慢の長い髪は、丁寧に梳ってある。それから、レンズをはめた腕輪を身につけ、基地の最奥にある超空間チューブの発生装置に近づいた。
装置を作動させ、広い移送台の中央に立つ。本来は、宇宙船を送り出す装置だ。ただ、行く先が人類に対応した基地内であれば、生身でも問題ない。アイヒ族が作動に気付いて手を打つ前に、早くここから出なければ。
待っていて、リック。
姿を見せた途端、射殺されるかもしれない。あなたはわたしのことを、毒蛇のような女と思っている。
でも、その一瞬で、わたしの心は伝えられるだろう。お互い、レンズマンなのだから。
15章 リック
《――リック!!》
ぼくがいたドーントレス号の一室に、突然、何かが出現した。
亜空間というのか、超空間というのか、とにかく通常の空間に、一種の穴が生じたのだ。
ぼくのレンズをもってしても、その穴の向こうが見通せない。知覚を投射しても、もやに包まれるようで、何も見えないのだ。それどころか感覚が狂い、墜落しそうな恐怖に囚われる。
そして、そのもやの向こうから、何かが現れた。移動してくるというよりは、霧が凝縮して、実体になるという感じだ。
それはやがて、白い……白く長い髪をした、しなやかな女の姿になった。
デッサ・デスプレーンズ。アクアマリン色の目をして、白い頬を紅潮させ、真紅のドレスを着て。
なぜだ。
完全に姿を見せ、こちらの通常空間に足を踏み入れたデッサは、レンズを嵌めた華麗な腕輪をして、両腕を広げた。降伏するという意思表示なのか。薄いドレス一枚だから、武器を何も隠していないことは、一目でわかる。
《リック、あなたに会いたかったの……》
瞬時に、全面的な往復精神感応が起きた。デッサの過去も、夫を殺した経緯も、アイヒ族という上級種族の生態も、超空間チューブの原理も、彼女の今の感情も、全て伝わってきた。同時に、ぼくがベルを愛していること、子供の誕生を待ちわびていることも伝わっただろう。
次の瞬間、デッサはぼくの胸にすがりついている。熱い体温。甘い香り。しなやかな腕。
まさか、この女が……ぼくに殺される覚悟をしてまで、別の銀河から戻ってくるなんて……それはアンドロメダよりもっと遠い、分類記号でしか知られていない銀河らしい……ボスコーンは本当に、全宇宙に広がっているのか……
《どうでもいいの、他のことはみんな》
何ということを。女というやつは。
デッサの手が、ぼくの顔に触れた。彼女の美しい顔には、泣き笑いのような表情が浮かんでいる。その瞬間、デッサの背後から何かが現れ、実体化した。磁力容器に包まれた、極小ではあるが、致命的な物体。
――間に合わない。
いかなる回避も、不可能だ。
そう悟った瞬間に、ぼくは全身全霊を込めて姉を呼んでいた。敬愛するヘインズ司令でも、信頼するウォーゼルでも、最愛のベルでもなく、幼い頃から心が通じていた姉を。
《――姉さん!!》
16章 クリス
《――姉さん!!》
リックの魂の叫びが、爆撃のようにわたしを打った。たぶん同時に、多くのレンズマンが、その衝撃波を感じた取っただろう。でも、わたしほど精密には、内容を受け取らなかったのではないか。
気がついたら、わたしは私室の床に倒れている。しびれたように、身動きできない。
この最高基地全体を、リックの思念が打った。そして、彼の知った事実を後に残して過ぎ去った。
これが、宇宙の地獄穴の正体。
行方不明の艦船は、超空間チューブを通じて、遠い宇宙へ吸い出されたのだろう。ボスコーンはおそらく……予備的な実験をしていたのではないか。大規模反攻のための実験を。
リック自身は……もういない。この世界のどこにも、彼の存在を感じられない。あの子が生まれた時からずっと、心のつながりを感じていたのに。
おそらくは、超空間の経路を通じて送り込まれた、反物質爆弾。
彼の乗艦ドーントレス号は、大勢の乗組員共々、対消滅の爆発に呑まれ、蒸発して消え去った。リック以外は、何が起きたのかもわからないうち、消滅していただろう。
何ということなの。身重のベルを残して。あんなに、子供の誕生を楽しみにしていたのに。
ベルにいったい、何と伝えればいいのだろう。最後の瞬間、リックが、デッサをしっかり抱きしめていたなんて。
それでも、一瞬の全面精神感応で、リックの知りえたことを、わたしが全て受け取ることができた。驚くほど鮮やかに、細部まで。
――別の銀河の基地。アンドロメダにある、アイヒ族の出身惑星ジャーヌボン。
そしてアイヒ族の上にもまだ、上位種族がいるらしい。アイヒ族にすら、わずかな手掛かりしか与えていない種族が。
ボスコーンは、わたしたちの銀河だけの存在ではなかった。それどころか、宇宙全体にはびこっていた。何百億、何千億という銀河に。リックの推測は正しかった。わたしたちはこれから、全宇宙を巻き込んだ闘争をしていかなければならないのだ。
17章 キム
リック先輩の警告の叫びと、クリスさんの悲嘆とが、続けざまにぼくを打った。
超空間チューブ。反物質爆弾。そして……アイヒ族の惑星ジャーヌボン。
デッサが独自に探り出していた知識を、先輩は瞬間的に知って、それをパトロール隊に伝えなければと考えたのだ。だから、魂の近しいクリスさんを選んで、精神接触を行った。
対消滅で消滅する寸前の、わずかな時間に。
膝から力が抜け、立っていられなかった。止めようもなく、涙が流れ出す。
何という……何という損失だ。銀河パトロール隊にとって。銀河文明にとって。
同時に、自分の愚かさを初めて痛切に自覚した。
キムボール・キニスン、この大馬鹿野郎。
ぼくは、レンズマンになれなければ、戦えないと思っていたのだ。それどころか、レンズなしで一般の将兵になるなど、耐えられない屈辱だと思っていた。大勢の将兵が、それぞれ、自分の出来る精一杯のことをして、パトロール隊に貢献しているというのに。
間違ったエリート意識の染みついていたぼくは、先輩にデッサをスパイするよう頼まれたことを、余計な重荷だと思っていたのだ。もう戦う意味なんかないのに、とんだ迷惑だと。
救いがたい愚かさだ。銀河文明がボスコーンに敗北したら、一般市民の生活もまた、破壊されるのに。その時は、クリスさんだって、生きていられないだろう。
ぼくがもっと本気で、スパイの任務に取り組んでいたら。もっと真剣に、デッサを観察していたら。そうしたら、もっと早くブラック・レンズの存在に気がついて、アイヒ族に邪魔されないような調査の方法を考えられたかもしれない。
ぼくの責任だ。
ぼくがデッサを取り逃がしたりしなければ、こんなことにはならなかったのだ。
『レッド・レンズマン』18章に続く
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