7章-3 エディ しかし、最初から、わかっていたことではないか。ジュンが将来、市民社会の柱になる大物だということは。それを、悪の帝国までが認めたということだ。そして、素早く自分たちの側に取り込んだ。 彼らは正しい。ジュンなら、やってのけるだろう。違法都市の総督だろうと、違法組織の幹部だろうと。そして、その中で、自分の理想を実現しようとする。中央と辺境の融和は、ジュンのお母さんの願いでもあったのだから。 だが、それなら、ぼくは。 他に選択肢などない。ぼくも、ジュ
1章-7 紫の姫 空がとっぷりと暮れてから、二条院に帰り着いた。まずは、局で横になっていた少納言に謝ったけれど、たっぷり叱られたのは言うまでもない。 「今度こんなことがあったら、わたくしはもう、乳母をやめて端女にしていただきます!! その方がよっぽど、気が楽というものです!!」 お兄さまもわたくしも、最後には、逃げるようにして退散した。これでは、次の冒険は、よほど策を練らなくては。 わたくしを捜しに出ていた舎人や雑色たちも一人ずつ帰ってきて、女房たちにねぎらわれ
7章-2 エディ 「ここではもう、バイオロイドを使い捨てにすることは認めません。保護を必要とする人は、わたしが守ります。いかがわしい店も、取り締まります。女性が安心して暮らせる街にします」 それではもう、違法都市ではない。市民社会と同じ、普通の都市ではないか。 ほとんど、政治家の演説のようでもある。これが放送されたということは、中身について、最高幹部会は承認しているのだ。 辺境の権力者たちは、本気で、ジュンに違法都市の改革を許すというのか……!? それとも、そう
7章-1 エディ 「おい、大変だ!! 起きろ!!」 エイジに叩き起こされた時は、まだ明け方だった。彼は既に起きて、日課の稽古をしていたらしく、いつものトレーニングウェアを着ている。 「えっ、何か、ジュンのことで」 ぼくの問いかけに返事もせず、エイジはすぐさま、ルークやジェイクたちを起こしに行ってしまった。ただごとではない。いつも冷静なエイジが、あれほど慌てているとは。 顔だけ洗って急いで服を着て、みんなが談話室として使っている部屋に向かった。やはり叩き起こされ
6章-10 ジュン 「あなたたちが本気で、そんなことを望んでいるとは思えない。だって、それなら、自分たちで改革すればいいでしょう?」 するとメリュジーヌは、あたしに向き直った。風が動いて、甘い香水の香りを運んでくる。思わず、くらりとするような香り。あたしは百年生きても、こんな風にはなれないだろう。 「わたしたちでは、どう訴えても、市民に信用されないからよ」 「へえ、それは自覚しているんだ」 と言ったら、メリッサが慌てた様子で両手を上げかけ、そのまま固まった。辺境
6章-9 ジュン かなり上層でエレーベーターを降りた時、一瞬、センタービルの屋上庭園に出たのかと思ってしまった。小鳥の声がしたし、そよ風が背の高い竹林を揺らす、緑の空間だったから。 でもすぐに、数階分の高さを持つ屋内庭園だとわかった。周囲は、太い柱と透明な窓で囲まれている。窓の一部から、風を入れているようだ。 窓辺からは、繁華街の他の建物が、かなり下に見下ろせた。違法都市では、センタービルより背の高い建物はない。権力のありかを、わかりやすく示しているわけだ。
1章-6 紫の姫 けれど、お兄さまはまず、徒歩の女たちに声をかけた。 「弟がお世話になったようで、ありがとう」 と杜若の狩衣姿でにっこりする。お忍び用の古着姿とはいえ、気品は隠せない。彼女たちが、はっとして棒立ちになるのがわかった。すぐには口も利けない様子で、お兄さまに見惚れている。 無理もないことだった。二条院の新入り女房たちも、初めてお兄さまに声をかけられると、しばらくは腑抜け状態になってしまうものね。 でも、お兄さまの本当の良さは、気取った姿にあるので
1章-5 紫の姫 空が赤くなり、黒い蝙蝠が都の上空を飛び回る時刻、わたくしは、知らない道を一人でたどっていた。 ここは右京なのだから、このまま東へ向かえば、朱雀大路に出られるはず。そこからだったら、二条院まで帰れるわ。 気が済むまで洛外の野原を走り回っていたら、思いのほか時間が経ってしまい、ようやく元の川原に戻った時は、もう誰もいなかったのだ。それで、一人で帰宅することにしたというわけ。 慣れない通りを、闇が迫りかけた時刻に一人でたどるのは、馬上とはいえ心細か
6章-8 ジュン 出迎えの兵たちに囲まれ、特別階へ通じる専用エレベーターに案内されたけれど、ふと気がついて振り向いたら、カトリーヌ・ソレルスは、ここまで乗ってきたトレーラー内に取り残されていた。 車の扉が開いたままなので、ぽつねんとシートに座って、こちらを見送っている姿が見える。《クーガ》の制服を着た護衛のアンドロイド兵が付いているけれど、何だか、監視されている囚人のようにも思えた。彼女は相変わらず、暗い顔のままでいるし。 大体、美人なのに、服が地味だよ。 も
1章-4 紫の姫 「どうしてもこうしても、ありません。とにかく、若い姫君が腕や足を出されては、殿方は困るものなのです」 そう断言した少納言は、若い女房に命じて手拭き布を差し出させた。 「さ、お上がり下さいませ。おみ足をお拭きいたします」 やむなく、岸の手頃な岩に座り、少納言の丸い膝に足を預けた。指の間まできちんと拭いてもらい、草履を履かせてもらう。 何しろ、亡くなったお祖母さまに全権を任された乳母。お母さまのいないわたくしには、小さい頃からずっと、この少納言が
6章-7 ジュン 事件後、学校でキャサリンと再会した時、彼女は曇り顔であたしに何か言おうとしたが、あたしは身振りで遮った。何も言わなくていい、という気持ちを込めて。 キャサリンが悪いのではない。彼女は何も知らず、巻き込まれただけ。あたしたちは、普通の友達のままでいればいい。 彼女の祖父母は、実行に関与した違法組織を通じて、グリフィンから援助を得ていたと思うけれど。 彼らは別の船で、辺境のどこかへ逃亡しおおせたらしいが、あたしの誘拐には失敗したのだから、何の利益
1章-3 紫の姫 目についた食べ物を買い込み、近くの川原に持って出て、真昼の宴会にした。さっき食べたばかりのお兄さまは、まだ食欲がないと言うけれど、早くから起きているわたくしはもう、お腹がぺこぺこ。惟光たちもそうですって。 鮎の塩焼き、焼いて醤で味付けした餅、塩をまぶして握った屯食、蒲鉾、野菜の塩漬け、甘い瓜や無花果、枇杷の実。 涼しい風に吹かれて、川を見下ろす土手に座り、みんなで賑やかに食べるのは最高。邸の奥で几帳に囲まれ、何人もの女房たちに給仕されて、ただ一人
6章-6 ジュン ――あたしが殺すのは、正当防衛の時だけだって? まあ、そうだとは思う。あの事件の時も、この事件の時も、やむを得ず戦っただけ。 でも、正当防衛と過剰防衛の境目は、どこにあるのだろう? そこを追及されたら、あんまり威張れないかもしれない。 与えられた船室で、ぼんやり中央のニュース番組を眺めていて、ふと思い出した。初めて人を殺したのは、確か十一歳の時だ。 もう、大昔のように思えるけれど。 あの頃はまだ髪を長くしていて、女の子らしいワンピース
1章-2 紫の姫 「あ、これ可愛い」 古着や古布の細工物を売る店で、端切れで作った小袋を見つけた。紐できゅっと口を絞るようになっていて、貝殻や数珠玉を入れるのにちょうどいい。 「まあ、そんな古物。新しいのを、幾つでも作らせますのに」 と少納言は渋い顔をするけれど、この方が気楽だわ。緋色か紫色かで悩んでいたら、 「両方買えば」 と、お兄さまが微笑んでくれたので、よかった。どちらを買っても、もう片方に未練が残りそうだもの。 植木や草花を売る店では、山から掘り
6章-5 ジュン しばらく、開いた口がふさがらなかった。冗談じゃない。まさか、そんな風に思われていたなんて。 「あたしがそんな、そんな風になるわけないでしょ。あなたこそ、大金目当てに人を誘拐するなんて、公務員のくせに……そんなこと、公務員でなくたって犯罪だけど……」 「お金じゃないわ」 え? 「じゃあ、不老処置……」 けれど、彼女は顔をそむけて言う。 「そんなことじゃない」 そういえば、今日もカトリーヌ・ソレルスは地味な格好だ。深緑のブラウスに、黒いタ
1章-1 紫の姫 あんまりいいお天気なので、お兄さまの部屋を覗きに行った。空は青く晴れて、風がさわやか。お庭の藤や牡丹の花も、こぼれるように咲き始めている。 こんな日に、お昼近くまで格子を立て込めて寝ているなんて、人生の無駄遣いだわ。 「お兄さま、おはよう。いつまで寝ていらっしゃるの」 妻戸を開けて、ずかずかと奥まで入り込み、御帳台で寝ているお兄さまの肩を揺すった。 白い単姿で、薄手の衾をかけている。いつも髷に結っている髪は解かれ、枕の周りに乱れ散っていた。