古典リメイク『レッド・レンズマン』19章-3 20-1章
19章-3 キム
新たに建造された二代目のドーントレス号が、ぼくの乗艦になっていた。船は最高基地のある惑星バージリアを離れ、辺鄙な星区にある惑星アリシアへ向かっている。片道、二週間ほどの旅だ。
アリシア人のことは、きわめて古い種族、としかわかっていない。一般人には、自分たちの星系から出てこない、偏屈な田舎種族と思われている。
だが、実際には、我々にレンズをくれた恩人だ。我々とは比較にならない、高度な精神文明を持っている。
それならば……彼らはアイヒ族のことも、その上に上位者がいることも、とうに知っていたのではないか。知っていて、何も言わず、ぼくらを戦わせているのではないか。レンズだけを道具に与えて。
それではまるで、チェスの駒で遊んでいるようではないか。あまりにも残酷なゲームだ。ぼくら後進種族は、大局が見えないまま、霧の中で戦っているようなものだろう。
アリシアに接近したら、すげなく追い払われるのか、それとも話を聞いてもらえるのか……とにかく、この銀河を離れる前に、一度はぶつかってみるべきだ。
「実はですね、レンズマン」
ドーントレス号の艦長は、ヘンリー・ヘンダスンだった。彼とは毎日、アリシアへの航路について、あるいはアンドロメダ遠征について、あれこれの相談をするが、それが雑談に切り替わった頃、打ち明け話をされた。
「イロナに手紙を出したんですよ。ライレーンの工作員だったイロナです。あなたがクリスを手紙で口説いたって聞いたもんだから、あやかろうと思って、駄目元でね」
「ああ……」
いま思い出すと、赤面ものの手紙だが。よくあれで、クリスさんがぼくに好意を持ってくれたものだ。しかしヘンリー・ヘンダスンは、イロナに洗脳されかけ、大変な目に遭って懲りたのではなかったか。
「そうしたら、何と返事が来たんですよ。へへへ」
ごつい大男の艦長は、思い出し笑いをして身をよじり、自慢そうに言う。
「もうちょっと進展したら、提案してみようと思ってね。一緒にアンドロメダに行かないかって」
つまり、プロポーズか。
「駄目元で当たるだけなら、もちろん、何でもやってみればいいのでは……」
するとヘンリー・ヘンダスン艦長は――非公式な場ではヘンと呼んでくれと言われているのだが――とっておきの内緒話のように宣言した。
「うまくいったら、結婚式には、あなたとクリスを特等席に招待しますよ!!」
ちなみに後日、この二人は本当に結婚した。大勢の聴衆を招いたコンサート形式で、華々しく。イロナはまた、アンドロメダ遠征隊にも、娯楽担当部門の歌姫として同行することになる。
付け加えれば、その結婚式当日、麗しい花嫁の投げたブーケは、赤毛の美女の腕の中に落ちたのである。
***
ドーントレス号には、クリスさんも同乗していた。彼女もまた、アリシア人に会いたい、と熱望したので。
「超空間チューブのことを知っていて、黙っていたなら、悪質すぎるわ。面と向かって、文句を言ってやる!!」
クリスさんには、ぼくらレンズマンのような、アリシア人に対する畏怖がないのだ。
「ボスコーンの真の中枢だって、アリシア人がまだ突き止めていないのだったら、たいしたことはないのよ。みんなして、神さまみたいに崇める必要はないわ」
つんとして、赤毛の頭をそびやかす。そういう強気のところが、ぼくは大好きだった。いつも励まされ、楽しくなる。この人がぼくの婚約者だなんて……全宇宙に自慢したい。
「なによ、にやにやして」
「えっ」
自分では、穏やかに微笑んでいるつもり、だったのだが。
とにかく、航行自体は平穏だった。もはや海賊も出ず、麻薬業者も暗躍していない。超空間チューブが出現することもない。この銀河に関する限り、一応は平和が保たれている。
ボスコーンは、ぼくらが大艦隊を建造していることを、今は黙って見ているだけのようだ……これはつまり、アンドロメダに入ったところで、準備万端、自信満々で待ち構えているということなのではないか。
それとも、先の最高基地攻撃で手持ちの武器や艦隊を使い果たし、態勢を整えるのに、まだ時間が必要だということなのか。しかし、アンドロメダの全資源を自由に使えるのであれば……
「ねえ、キム」
艦内の私室で色々な相談をしているうち、クリスさんが言い出した。
「そろそろ、呼び捨てにしてくれてもいい時期じゃない?」
「あ、ええと……そうですか?」
「第一、あなたは司令官なのよ。いつまで補佐官に、敬語で接するつもり?」
「ええと……経験に敬意を表しているので……年輩の艦長たちにも、敬語で接するつもりですが……」
「わかったわ。それはいいでしょう。でも、わたしはクリスと呼んで欲しいの。わたしをさん付けで呼んだら、びんた一回。そういうルールにしましょう」
「ええっ!!」
毎日、顔が腫れ上がる結果になる気がする。
「ほら、練習して。クリスって呼んで」
「ええと……クリス……」
うわあ、むずむずする。ヘンではないが、身をよじってしまいそうだ。
「もっと呼んで」
クリスさんは……もといクリスは……ぼくの腕の中にすっぽり納まって、くすくす笑いをしている。
「クリス……」
「わたしね、ベルがうらやましくて……赤ちゃんて、可愛いでしょうね」
「そりゃあ、もう……」
「どうせアリシアまでは、時間があるんだし……ねえキム、あなた、わたしが赤ちゃんを作るのに、協力してくれるわよね?」
ぼくは危うく、後ろへ飛び退るところだった。
「い、い、い、今ですか!?」
「そう、今」
「で、で、でも、妊娠したら、仕事が……」
「妊娠しても、頭は働くわよ。わたしが無理をしないよう、あなたが配慮してくれればいいでしょ? どうせ、アンドロメダ進攻は長くかかるのよ。わたしはもう、待てないわ」
確かに、クリスさんは三十代後半になっているから、早く妊娠したい気持ちはわかるが……多くの女性同様、学生の頃に卵子を保存しているはずだし、体外受精で人工子宮という方法もあるのだから、焦る必要はないではないか。
ぼくはまだ、そんな覚悟をしていなかった。というか、ウォーゼルにけしかけられて、ちらとは考えたが、任務優先のクリスさんが渋るだろうと思って、棚上げにしてしまったのだ。
しかし、こうして甘い香りのする、熱い肉体をすりつけられると、この誘惑を退けることは……非常に困難だ。どんなに強く、生き延びる覚悟をしていても、明日、何かが起きて死ぬかもしれないのだから、今日できることは、今日してもいいのではないか。
「あの……その……ぼくは未経験なので……上手にできるかどうか、わかりませんが……」
訓練生時代、ぎりぎりの誘惑は幾度か経験したが、ぼくは何とか逃げた。いや、逃げてばかりいた。何かトラブルを起こして、レンズマンになれなくなったら大変だと、そればかり心配して。何という、臆病な小僧だったのか。
昏睡して入院した時も、退院までの期間、クリスさんとは親密に過ごしたが……まだ本調子ではなかったし、母も近くにいたので、そこまでは及んでいなかった。クリスさんは、いや、クリスはにっこりする。
「それは、わたしも同じよ。だから、二人で研究すればいいでしょう?」
20章-1 クリス
アリシアは、惑星全体が防御力場で覆われていて、外からは地表を観測できない。ただ、地球型の岩石惑星とわかっているだけだ。普通は、星系の外縁にさしかかっただけで、離れるよう警告を受けるという。それが海賊船であれ、無害な旅人であれ。
でも、ドーントレス号は、咎められずに星系内に入ることができた。そしてわたしたちは、白く不透明な力場に包まれた惑星を眼下にしている。
「じゃあ、行ってくるわ」
「気をつけて……喧嘩腰にならないように」
と、からかう態度で言うのは、艦長席のヘンリーだ。
「あら、わたし、そんなに信用ないの?」
「きみは危険人物だからな。グレー・レンズマン、クリスをうまく抑えて下さいよ」
「大丈夫、だと思うよ、ヘン」
キムがヘンリーと仲良くなったのは、いいことだ。大規模戦闘時には、キムは全体の指揮だけで手一杯になるから、艦隊旗艦であるドーントレス号の操縦は、ほとんどヘンリー一人の判断で行うことになる。最初から、二人の息が合っていることが望ましい。
わたしはキムと二人で小型上陸艇に乗り、母艦を離れた。通常の電磁波通信で、アリシアに声をかける。
「銀河パトロール隊の隊員、キムボール・キニスンとクラリッサ・マクドゥガルです。アリシアのメンターにお話したいことがあります。上陸の許可を下さい」
導師――メンターと名指したのは、アリシア人が、部外者にそう名乗ることが多いと聞いたからだ。すると、きわめて普通に返答があった。性別のわからない、中性的な声だ。
「着陸を許可します。こちらの誘導に従いなさい」
ほら、来てよかったじゃない!!
「アリシア人も、そう〝わからず屋〟ではないみたいね」
と言うと、キムも戸惑い半分ながら、ほっとした顔だった。
「二人で来たのが、よかったのかもしれない。きっと、クリスのおかげだよ」
「あら、あなたがアンドロメダ遠征の指揮官だからよ、きっと」
これまで、アリシア人に面会を許されたのはレンズマンだけだと聞いている。わたしは稀有な例外らしい。
それでいいのよ。わたしを追い返すようだったら、それこそ、本気で腹を立ててやるんだから。
わたしたちは誘導電波に乗って、防御力場を通過した。見えてきたのは、青い海を持つ美しい星だ。緑の大陸、大小の島……
何なの、これ。
陸地の上に、予期していたものがない。大都市も、それをつなぐハイウェイも。港もなければ工業地帯もない。農地や牧場らしき広がりもない。それとも、余計なものは、みな地下に隠されているのだろうか?
「キム、あなたが前に来た時は、大学があったそうじゃない?」
なのに今は、自然の山河が広がるだけだ。まさか、人工物のない文明惑星があるなんて。
「うん、ぼくはアリシア大学……のような場所に降りたんだ。でも、あの時の町並みは、どこにも見えないな。やっぱり、あれ全体が、メンターの見せた幻覚だったのかもしれない」
「なぜメンターは、外来者に幻覚で対応するの?」
「わからない。アリシア人に関しては、わからないことだらけだ」
着陸するよう指定された場所は、ただの田舎空港程度の平坦地だった。それも、舗装すらされていない土の地面だ。空港の端に、事務所らしい建物がぽつんとあるだけ。ホテルもなければ、格納庫もない。
空気成分は地球と変わりない。それでも、一応、宇宙服は着たままにした。気密扉を開き、二人して大地に降り立つ。気温は二十度ほどで、湿度もほどよい。宇宙服を脱いだら、きっと気持ちがいいだろう。
そうしたら、そこに人がいた。そんな馬鹿な。艇内からは、何も見えなかったのに。
長い黒髪をきっちり結い上げた、白い簡素な衣装の女性だ。年齢は、四十歳から五十歳くらいに見える。健康そうな蜂蜜色の肌で、装飾品は何も身につけていないが、上品で理知的な雰囲気だった。学者か教育者、それとも神殿の巫女? まるきり、人間の女性そっくりに見える。
「ようこそ、娘よ。待っていました」
「は、初めまして。わたしは……」
わたしだけが呼びかけられたことを不審に感じて、ちらりと横を見たら、キムがいない。まさか。たった今まで、隣に立っていたのに。
「クリスと呼びましょう。わたしのことは、メンターと呼ぶのがいいでしょう」
アリシアのメンター。過去何百年も、レンズマンたちを導いてきた導師。ずっと同一の人物なのか、それとも、代替わりしているのかも不明だ。
「あの、メンター。わたしの連れが……レンズマンがここにいたのですが……」
「心配ありません。彼は別の場所にいます」
この星は、やはり変だ。普通ではない。でも、それだからこそ、アリシアなのかもしれない。
『レッド・レンズマン』20章-2に続く